13.迷子の聖女
「私生きてる……」
結局斜面の下まで滑り落ちた私は、力なくそう呟いた。細かい切り傷と打ち身だけで済んだようだが、いかんせん滑り落ちた距離が長い。斜面の上を見ても、うっそうと茂る草と木で何も見えない。耳を澄ましてみても、何も聞こえない。
「さすがに滑って追いかけてきたりは……しないか」
あとはラファエルやモニカが空から探しにくるかもしれないが、この辺りは特に木がみっしりと茂っているので、上空から私を見つけるのはおそらく無理だろう。
「はぐれた時の鉄則。その場を動かない」
そう言えば私、位置の魔法具持ってた。ということは位置の魔法具持っている人が私の位置を把握できる。だったらそのうち見つけに来てもらえる……駄目だ、肝心のジークたち第二部隊はこれ持ってない! もしかしたらラファエルかモニカが位置の魔法具と似たような魔法を使えるかもしれないけど期待はできない。ああ、こんなことなら通信の魔法具も私が持っておくんだったか。
とすると、現状で私が救助される最短の手順は、まずジーク達がアルフレッドに連絡して、そのアルフレッドから他の隊に連絡が行って、そして連絡を受けた隊が助けに来る、か。結構かかりそう。
それまで大人しく待っていようと思ったその時、前方のやぶがガサガサ鳴った。よりによってこのタイミングで何か来たの!?
やぶをかき分け現れたのは一頭の猪。猪だよね? こめかみに大きな角生えてますが。口から大きな牙がはみ出てますが。
驚いた私は、さっきその場を動かないと言ったこともきれいに忘れ、全速力でその場から逃げ出したのだった。
「はぁっ、はぁ、追いかけてきて、ないよね」
しばらく走り続けて後ろを確認し、猪が追ってきていないことを確認して止まる。火事場の馬鹿力で思いっきり走り続けたせいで完全に息が上がっている。かたわらにあった手ごろな石の上に腰を下ろした。さすがにちょっと休みたい。
「疲れた……喉乾いた」
私は不安になると独り言が多くなるようだ。それにちょっと幼児退行気味かもしれない。と言うか独り言でも言わないとやってられない。一人きりで心細いし、滑り落ちた時の傷が地味に痛いし。
泣き出したいのを我慢しながら膝を抱えて小さくなる。みんな心配してるだろうな。ごめんなさいどじな聖女で。
一人どん底まで落ち込みそうになっていると、また遠くで茂みががさがさ言う音が聞こえた。
「また猪……?」
ああ、私がジークの半分でも戦えたならなあ。初歩の魔法だけでも使えたらなあ。そうしたら猪を追い払うこともできたかもしれないのになあ。
現実逃避と諦めに首までひたっていると、目の前の茂みからそれは現れた。
「人だ……」
そう、それは猪ではなく人だった。若者には珍しい真っ白な髪と茶色に近い肌、澄んだすみれ色の目をしたどこか異国風の面差しの青年。腰の後ろに短剣を提げている。見た目は私と同じくらいの年頃に見えるが、野生の獣のようなしなやかさと落ち着き払った雰囲気とが同居した独特の雰囲気の持ち主だ。緑色を基調とした頑丈そうな長袖の服をまとっている。
「こんなとこで人が走ってる気配がすると思って来てみれば……どうした、迷子か?」
その青年は形のいい眉をひそめて言った。おっと幼児退行してる場合じゃないと、慌てて気持ちを切り替える。
「斜面から滑り落ちてしまって、連れともはぐれてしまったのです」
そう言いながらも私は警戒を解かない。だって私はこの人を知っているから。
「それは災難だったな。俺は狩りをしてたんだが……ここで会ったのも何かの縁だ、良ければ森の出口まで案内してやろうか?」
「お願いしてもよろしいでしょうか」
ここでこの申し出を断るのは不自然だ。受けるしかない。幸い位置の魔法具もあるし、おかしな方向に連れていかれることもないだろう。
初対面の相手に私がこうまで警戒しているのにはいくつか訳がある。まず、私はこの人を知っている、つまりゲーム中で彼を見たことがある。というか彼は五人目の攻略対象だ。しかし、ゲームにおいて初めて彼に会うのはここではなくもっと先だ。つまりは今の状況がゲームと食い違っているということ。そしてもう一つが、このキャラはゲーム中で聖女の命を狙う刺客として登場するということだ。月明かりの中聖女の寝所まで忍び込み、彼女の首に短剣を突き付けている、そんなスチルに見覚えがある。
さて、この局面をどう切り抜けよう?
そう身構えていたのだけれど、目の前の青年は私の記憶とは異なり、通りすがりの親切な人にしか見えない。
「あの、私はセレスティナです。お名前を聞いても?」
それとも見た目がそっくりの別人なのかと思い、名前を聞いてみた。
「俺はヴィーカ。狩人だ」
うん、別人ではないね。ゲームの刺客本人だ。
「あんた、いいとこのお嬢様だろ? はぐれたって言うのは従者か」
「ええ、そのようなものです」
刺客(仮)に正体を教えるのはどう考えてもまずい。あちらが勘違いしているのに乗っかってしまおう。そんな訳で適当にお茶を濁すことにした。はっ、しまった偽名を使えばよかったかも!
「心配しているだろうし、早く戻ってやった方がいいぞ」
そうやって内心あたふたしていたら、もっともな指摘をされてしまった。
そんなこんなで、私は将来刺客になるかもしれない人、あるいはもう刺客なのかもしれない人の案内で魔物がうろつく森の中を歩く羽目になってしまった。先行き不安しかない。
「こういう森では、声を出しながら歩いたほうが獣は寄ってこないんだ。あいつらも人は避けるからな。逆にさっきのあんたみたいに無言で走ったりすると、餌になる動物と勘違いして大物が寄ってきたりする」
「そうなのですか、初耳です」
「俺一人なら、ほぼ完璧に気配を消せるから黙ってても問題ないんだがな。ところであんた、何でまたこんな森の奥深くにいたんだ? ここまで奥だと魔物も出るぞ」
「実は、森に行く従者たちに私が無理を言って同行したのです」
「何だそりゃ。好奇心とか言うなよ?」
「ええと……」
「図星かよ」
色々ごまかしつつではあったが、意外にもヴィーカとの会話は楽しかった。聖女様扱いされないのは新鮮でいいかもしれない。
「ヴィーカはいつもこの森で狩りをしているのですか?」
せっかくなので、少し彼について情報収集しておこう。
「ん? いや俺は流れの狩人だからな。しばらく同じ森で狩りをしたら、別の森に移る。獲物を狩り過ぎないようにそうしてるんだ。この森には子供のころ来たことがあって、それで地形を知ってた」
「まあ、そうだったのですか。そういえば先ほど、この森に魔物が出ると言っていましたけど、大丈夫なのですか?」
「ん? ……まあ、襲ってきたら返り討ちにしてやるよ。それくらいの腕はある」
なんか今不自然な間がなかった? 気のせい?
そんなたわいない会話を続けつつ、こっそりと腕につけた位置の魔法具に目を落とす。間違いなく私たちは森の出口の方角に近づいている。そして私に向かっている点が一つ。黄色の点は確か第三部隊。予想通り他の部隊が合流しに来ているようだ。
「何見てるんだ?」
おっと、こっそりのつもりが思いっきりばれていた。
「それ魔法具か? フィアにはいいのがたくさんあるからな」
「ええ。この魔法具によれば、もうすぐ迎えがくるようなのですが」
「なんだ、そうなのか。だったらこれ以上動き回らずにここで待ってればいいんじゃないか?」
そう言ってヴィーカは立ち止った。目を閉じて耳を澄ませている。
「あっちから人の気配がするな……あれがあんたの従者か。じきにここまで来るだろう」
つられて私も耳を澄ませるが何も聞こえない。ヴィーカ、耳いいんだなあ。
そのまま少し待っていると、茂みをかき分けるせわしない音が私にも聞こえてきた。位置の魔法具によればすぐそこまで第三部隊が来ている。
やがて第三部隊が到着した。第三部隊は隊長がフィニアンで、あとはアドリアンと顔見知りの騎士二人の計四人で構成された部隊だ。
「えらく派手な連中が来たなあ。あれがあんたの従者か?」
「はい」
彼らが派手なのは否定できない。特に一面緑の森の中だとすごく浮くよね、あの真っ赤な鎧。
「迎え、ありがとうございます。助かりました」
「こんなおてんばお嬢様だと大変だな、従者も」
「じゅうし……むぐぐ」
ヴィーカの軽口に反応したフィニアンの口を、今度はアドリアンが手でふさいだ。
「いいえ、お嬢様にお仕えするのが従者の仕事ですから。あなたがお嬢様を助けてくれたんですね、ありがとうございます」
状況は全く分かっていないだろうに、アドリアンは見事にアドリブを利かせてくれた。逆に黙らされているフィニアンは訳が分かっていない目をしている。
「俺はただの通りすがりだから、気にすんな。じゃあな」
「本当に助かりました。ありがとうございます、ヴィーカ」
私が礼を言うと、ヴィーカはひらひらと手を振ってまた森の奥へと消えていった。
どうやら今の段階では彼はまだ刺客ではないようだった。ということは後日改めて襲いに来るのだろうか。顔見知りが刺客って、双方やりづらそうだ。
ヴィーカが十分に遠くに行っただろう頃合いを見計らって、私たちはアルフレッドに報告することにした。フィニアンが首にかけた通信の魔法具に触れると、聞き覚えのある鈴の音がした。
「第三部隊、無事セレスティナ様を保護しました。かすり傷は負っておられますが、命に別状ございません」
『よくやった。以降は第三部隊が聖女殿を目的地点へ連れて行くように。作戦は予定通り実行する』
うん、分かってたけどね。アルフレッドがこの程度で作戦を中止する訳ないってことは。
通信が終了すると、アドリアンが真っ先に声をかけてきた。
「セレスティナ様、傷痛みますよね……これ、どうぞ。傷薬です。あと、お水も」
私はアドリアンに礼を言い、傷薬と水を受け取って軽く手当を済ませた。
「そう言えばセレスティナ様、さっきの人は従者がどうとか言っていましたが」
フィニアンはやっぱりさっきの状況が理解できていなかったようだ。
「さっきの人にはセレスティナ様が聖女だって内緒にしてたんだと思うよ、兄さん。こんな森の奥に聖女が一人でいるなんて怪しすぎるから」
「その通りです、アドリアン。先ほどは調子を合わせていただいて助かりました」
アドリアンにお礼を言うと、とても嬉しそうに笑み崩れた。反対にフィニアンは少し面白くなさそうだ。
「とにかく! セレスティナ様の護衛は俺たちが引き継ぐんだから、気合入れていくぞ第三部隊!」
握り拳を突き上げて気合を入れるフィニアンと、彼に続く第三部隊。そんな彼らの姿を見ながら、私はひっそりと困っていた。どうやって白の浄化の前にラファエルと合流すればいいのか。今の第二部隊は私の居場所を特定できないし私も第二部隊の居場所が分からない、だって第二部隊の分の位置の魔法具は私が持ってるから。
こうなったら目標地点で第二部隊と合流できる可能性にかけるしかない。私が外れた第二部隊は、おそらく魔物を倒しながら目標地点に追い込む作業にかかっているだろうから。
私の命に係わることなのに、運と成り行きに任せる羽目になってしまった。不安だなあ。




