拾弍
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「よし、今日はこれで終わりだ。初日の授業だからそこまできつくはなかっただろう」
……………どっ…どこがだ…。
詩螺歩はあれから何回か泳ぎ、足は痛い、力が入らない、まともに歩けるか、という重病に陥っていた。
「…うわー筋肉痛になるよー」
「え? あれだけで?」
選抜組も終わって、詩螺歩の横に来た須邏希が余裕そうに、そして心配そうに言った。
「連は水泳できない人の気持ちを知らないんだー」
「…そんなこと言われてもなぁ」
「じゃ、解散。あ、この後、午後から開けてるからなー来たい奴はこい。自主練だ」
瀬臥のその掛け声で解散となった。
わらわらと人が帰り始める。
瀬臥はプールの整備をするためか奥の方に歩き始めた。
「ほら、行くぞ」
「うん。ちょっとまって」
「おい、大丈夫かよ。足そんなに痛むのか?」
「ははは、日ごろの運動不足が祟ったね、こりゃ」
「お前、中年のおばさんみてえだなあー」
「なんだと!?」
詩螺歩と須邏希は顔を見合わせて笑い合った。
「連、あんたすっごい喋りやすいよ」
「お前だろ。で、立てるか?」
詩螺歩は足に力を入れてみた。
「…ごめん。先に行って」
「…大丈夫か? 何なら俺が…」
「いいよ、大丈夫だから」
「…そうか」
「じゃあね」
「おう」
須邏希は詩螺歩を気にしながらも歩き出した。
さて、どうするか。あたしはこの気まずい空気の中でジャージ(上着)を返さなければならないのだ。そのためには更衣室に行く必要がある。
詩螺歩は知らなくて部屋でスクール水着に着替えてしまったのだがプールの横には更衣室があったのだ。なので、荷物はそこに置いてある。
…とりあえず、立たないと。
詩螺歩は足に力を入れて立ってみた。
お…? 意外といけるぞ。そう思って足を一歩踏み出した。その時、―――詩螺歩の体がプールの方へぐらりと傾いた。
あ、やばい。と思った瞬間、
瀬臥がすごい形相でこっちに向かってくるのが見えた。
はやっ! …この人走るのも早いのか。
……プールサイドで走ったら駄目なんだよ。危ないよ。
ぼんやりと、そんなことを考えた。
そして次の瞬間、手をグイッとつかまれてすごい力で引き戻される。
「わぁぁぁっ」
思わず叫び声をあげた。
そして、瀬臥の体で受け止められる。
「ぶっ…!」
その瞬間、詩螺歩は瀬臥の胸板に鼻をぶつけた。
そしてそれに被さる様に詩螺歩がきいた中で一番の怒声が瀬臥の口から発せられた。
「ばっ…馬鹿野郎―――――――! あっぶねえ! お前死にたいのか!」
「うっ…」
詩螺歩は呻いた。
耳と鼻で二重に来た衝撃に詩螺歩は思わず目を回した。
「プールは危険なんだ! 死人も出る! 足が痛いなら俺が運んで―――」
そう言ったところで寄りかかっていた詩螺歩をガバッと引き離した。
「すっすまん…」
あ、………。その時気付いた。すべて、分かってしまった。
……そうか。この人は、優しい人なんだな。いちいちあたしの言葉に反応して。考えて、きっと悩んだりもしたんだ。あたしの言葉なんて流しちゃえばいいのに…。
思えば、カツ丼のおかげで今日の授業を乗り切れたようなもんだ。たぶん朝食Aなんちゃらだったらエネルギー切れだっただろう。背中を押してくれたのも今みたいに足が動かなくなるのを心配して…。
はっ…馬鹿なのは、――――あたしだ。
あたしが全部悪い。
「ごっ…ごめんなさい。あたしが悪いです。すべて、全部あたしが。地球温暖化も、戦争が終わらないのも、核兵器がなくならないのも、全部、全部あたしが悪いんです」
「…はっ?」
うわ…しまった。間違えた。何だよ意味不明じゃん! そしてあたし超悪者じゃん! 瀬臥さんすっごい怪訝な顔してるよ。
「あ……っと…地球温暖化も、戦争が終わらないのも、核兵器がなくならないのも全部、…お前のせいじゃないぞ?」
うわあああ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。芹崎―――!助けて!
詩螺歩は本気で思った。身悶えするように両手のこぶしを握りしめた。刹那―――――。
「おっ…おい」
瀬臥の戸惑ったような声が聞こえた。
詩螺歩がいきなり瀬臥の手を握ったのだった。
もうパニックになってしまって詩螺歩は何が何だか分からなくなっていた。しかし、とっさに、言うべき言葉は出てきた。
「セクハラじゃないですから。触っていいですから。だから、――――――あたしに水泳を教えてください」
そして詩螺歩は微笑んだ。
すると、
「…カツ丼…」
「へっ…?」
瀬臥は意味不明なことを言った。
「あっ…いや、なんでもない。今度は泳ぎでカツ丼の笑顔を…」
「…は?」
やはり、詩螺歩には理解できなかった。
すると、瀬臥は詩螺歩の手を自分から握りなおした。
「こい。足を冷やせ」
詩螺歩は瀬臥に手をひかれる形でプールから出た。
その歩調は詩螺歩にあわせたゆっくりなものだった。




