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【悲報】私怨によって石田三成をざまぁ!する歴史書を書こうとしたら、己の愚かさを思い知らされた件 〜晩年の福島正則は咽び泣く〜  作者: 詰襟コアラ
第1章 市松と佐吉

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第3話:本能寺の炎と、中国大返しの奔流

夜を徹して続いた幾夜の手習い——。


佐吉が市松の手を包み込み、墨の匂いと和紙の擦れる音だけが静まり返った幕舎に響いていたあの小姓時代は、ある日を境に突如として断ち切られた。


天正十年、夏。

梅雨の重い湿気が立ち込める、備中高松城の水攻めの陣中でのことである。


京・本能寺にて、戦国の魔王・織田内府公(信長公)が倒れた。

明智日向守(光秀)謀反の報せは、落雷の如く陣中を駆け抜けた。


その事実があまりにも巨大すぎ、羽柴の陣内の空気は一瞬にして凍りついた。


(……この先、俺たちはどうなるのだ)


まだあどけなさを残した小姓たちの間に、言い知れぬ動揺と底知れぬ不安が波のように広がっていく。

内府公という絶対の支柱を失い、羽柴家そのものがこのまま潰えるのではないか。自分たちの栄達も、これまで積み上げてきた血汗の日々も、すべてが泡と消えてしまうのではないか。誰もが先の見えない暗闇に怯え、息をのんでいた。


そんな中——


混迷の只中にあっても、佐吉だけは微塵も揺るがなかった。

顔色を青白くさせながらも、佐吉は誰よりも早く帳面を開き、毛利との講和の条件、京までの最短の道筋、沿道に配置すべき兵糧と馬の数、そして一刻を争う「大返し」の行軍の算段を恐ろしい速さで弾き出し始めた。


(——見事だ)


ふと覗き込んだ文机の上には、墨痕鮮やかに引かれた一本の「道」があった。

備中から京へ至るまでの全街道の距離、渡し場の船の数、どの村で何俵の米が調達できるか、どの地点で兵がバテるか——そのすべてが、一分の狂いもなく計算し尽くされ、紙の上に見事な絵図として描き出されていたのである。

それはただの軍略の書などではない。あいつの脳裡には、この泥にまみれた日本列島の地図がそのまま広がり、数万の兵が駆ける未来の光景が寸分違わず描き上げられていたのだ。


「怯えるな。主君の首を取られた程度で、我が羽柴が潰れてたまるものか」


あの時、佐吉が淡々と紡いだ一言と、その文机に描かれた「大返しの絵図」こそが、恐怖に震えていた若者たちの背を強く押したのだ。

そこからの日々は、まさに泥に塗れた怒濤の疾走であった。


「おい、佐吉の野郎! 俺たちを足が千切れるまで走らせる気か!」


「馬を何頭潰せば気が済むのだ! あの無愛想め、後で一発殴り飛ばしてやる!」


市松(正則)や虎之助(加藤清正)らは泥まみれとなり、血の滲むような思いでぬかるんだ街道を駆け抜けた。

だが、吐き捨てる毒舌の裏には、不思議と絶対の信頼があった。


佐吉の弾いた算段通りに走りさえすれば、途中で糧米が途切れず、夜道の松明が絶えず、替え馬が滞らない。佐吉の冷徹なる緻密さを信じ、市松らは一丸となって京へとって返したのである。


◇


そして——六月十三日、山崎の戦い。


未の刻(午後四時頃)、天王山の麓にて、動揺を猛進の力に変えた羽柴軍は明智光秀の軍勢と激突した。

折り悪く降りしきる小雨と、立ち込める硝煙。敵味が入り乱れる泥濘の中で、市松の血が滾った。


「秀吉様を天下人にするのだ! 立ち塞がる敵は残らず薙ぎ払え!」


市松は大槍を打ち振り、血煙を巻き上げて敵陣へ突き進んだ。光秀軍の武者を次々と撃ち倒し、陣を食い破っていく。


先頭に立ち敵を討ち果たす市松と、後方で佐吉が描いた緻密な絵図の通りに一石の狂いもなく兵糧と弾薬を送り出し続けた後方陣営。文と武の歯車が寸分なく噛み合い、羽柴軍は明智の陣を天王山の麓から一気に押し潰していった。


申の刻が過ぎ、申の刻下がり(午後六時過ぎ)。

西の空が赤黒い夕闇に染まる中、敗走した光秀は勝龍寺城へと逃げ込んでいく。


雨上がりの湿った風が吹き抜け、勝鬨の歓声が山崎の夕空に響き渡った。

返り血を全身に浴びた市松は、暮れなずむ陣中で静かに筆を走らせている佐吉の姿を見つけた。


「見たか佐吉! 俺たちの槍で光秀を叩き潰してやったぞ!」


息を荒くして破顔する市松に、佐吉は淡々と手帳から目を上げ、かすかに口元をゆるめた。その瞳には、夕闇の残光が静かに映り込んでいた。


「……ああ、見事だ市松。お前たちが前線で暴れてくれたおかげで、俺の計算も無駄にならずに済んだ」


「ふん、最後まで可愛げのない奴め! だが……まあ、悪くない走りであったぞ!」


互いに汗と泥と返り血に塗れながら、主君・秀吉様を天下の表舞台へ押し上げたという誇りと達成感。

この時、ふたりの間には間違いなく、何ものにも代えがたい固い絆が結ばれていた。


◇


——高井野の雪夜。老いた正則は、盃を傾けながら遠い目をした。


(あの山崎の時こそが……俺とあ奴の、最も美しき刻であったのかもしれん)


怨嗟も、惨めなすれ違いも、まだ何一つ存在しなかったあの頃。

小栗栖にて討たれたという光秀の呆気ない最期の報せと、その後に巻き起こる清洲会議の暗闘。そして積雪に阻まれたあの運命の冬——賤ヶ岳前夜の記憶へと、正則の筆は静かに進んでいくのだった。


(第4話へ続く)

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