第43話 番号で本音を言う
王宮の接見室。
アルノルト二世は、先日の大雨で被害を受けた西部地方の代表者たちとの面会を行っていた。
長机の向こう側に座る代表者たちは、泥にまみれた衣服のまま、必死の形相で訴えかけていた。
「陛下! 堤防の修復には一刻の猶予もありません! このままでは次の雨で補修費用がさらに増えてしまいます。どうか、どうか特別予算の認可を!」
彼らの切実な願いに対し、アルノルトは手元の『王言標準法』の発言番号リストに目を落とした。
試行期間中の今、王は公の場において、このリストにある「安全が確認された標準文型」しか発することができない。
アルノルトは無表情を取り繕い、リストの項目を読み上げた。
「発言番号B-12。現状を重く受け止める」
「陛下……!」
「発言番号C-05。関係省庁にて検討を指示する。発言番号A-14。前向きな対応を約束する」
その言葉を聞いた瞬間、地方代表の顔に深い絶望の色が広がった。
「前向きな対応、検討……! そのようなお役所言葉ではなく、陛下の本当のお言葉が聞きたいのです! いつ、いくらの予算が出るのか! 我々はそれすら分からないまま帰るわけにはいきません!」
代表が机を叩いて食い下がり、接見室の空気が一気に険悪になった。
ユリウスは、見積書と緊急修繕規程を並べた。特別予算には審議が必要だが、既存の修繕費と備蓄資材で仮の補強はできる。
王はその頁を確認し、番号リストを何枚も戻った。
「発言番号E-03」
アルノルトの声に、コンラートが怪訝な顔をした。
「陛下? それは財政の却下通知に使う文型ですが」
「国庫の特別枠は『現在確保困難』である」
アルノルトは、標準文型に用意された、数値や固有名詞を自由に入れるための『補足欄』を使ってそう告げた。
代表たちが「そんな!」と悲鳴を上げる。だが、アルノルトは言葉を止めなかった。
「発言番号D-15。ただし、既存の『緊急修繕手続き』の利用は『妨げない』」
「え?」
代表たちの動きが止まった。
アルノルトは、ユリウスの目を真っ直ぐに見据えたまま、さらに番号を重ねる。
「発言番号C-08。担当は『西部地方局』。発言番号C-11。回答期限は『本日日没』とする」
ユリウスは書類を引き寄せた。王は却下通知から、利用できる手続き、担当、期限へと、文型をつないでいる。
「注記。地方局は、現地の備蓄量と費用を本日中に確認し、既定の緊急修繕費で仮補強を手配できます。使用量と支出は、通常どおり記録します」
「発言番号E-09。本復旧は『別途審議を要する』」
「注記。三日後の評議会に、法制局が書類を揃えます」
コンラートは王の使った番号を指で追った。
「却下通知から、担当指定へ。ずいぶん離れた項目を使いましたな」
「もっと近くにあればよかったのだが」
王は五箇所に指を挟んだ冊子を持ち上げた。
「これでは、握手もできん」
「今日、地方局から連絡があり、まず仮補強を始める。本復旧は三日後の審議、ということですね」
代表が確認した。ユリウスは決定事項を書いて渡す。
「こちらには番号を入れていません。日付と担当者名は入っています」
「……陛下の御心、しかと承りました!」
地方代表は、涙ぐみながら深く頭を下げた。
「直ちに村へ戻り、我々の手で堤防の修復にあたります! 費用の見積もりと被害報告も、提出いたします!」
「うむ。発言番号H-01。健闘を祈る」
アルノルトが最後に定型文で締めくくり、面会は完璧な形で成立した。
コンラートは、番号を抜いた決定事項の控えを受け取り、黙って読み始めた。
数十分後。王宮の執務室。
「はっはっは! どうだヴェルナー、番号の羅列でも、余の本音がしっかり伝わっただろう!」
アルノルトは上着を脱ぎ捨て、心底楽しそうに笑った。
「お前のあの合いの手も完璧だった。さすがは余の校正官だ」
「……ええ。必要な条件は伝わりました。ただ、頁を探す時間がずいぶんかかりました」
ユリウスはバインダーを机に置き、短く答えた。
長く付き合い、互いの性格を知り尽くしているからこそ、あの暗号のような番号の羅列から本音を読み取ることができた。
だが、ユリウスの表情は、アルノルトとは対照的に険しかった。
「しかし、陛下。今回のように機転の利く相手ばかりではありません。あのような暗号のような会話を、すべての国民に強いるわけにはいきません」
「……ああ。そうだな」
アルノルトも笑いを収め、真剣な顔になった。
「余も疲れた。言葉の裏を読ませるような真似は、本来王がすべきことではない」
「はい。この『王言標準法』は、誤登録の確認もまだ必要ですが、王と民のコミュニケーションを根本から破壊する致命的なバグを抱えています」
ユリウスは、自分の机に向かって歩き出した。
机の上には、コンラートが持ち込んだ分厚い法案書が置かれている。
ユリウスはペン立てから、インクがたっぷりと入った赤ペンを抜き出した。
「どうする気だ、ヴェルナー」
アルノルトの問いに、ユリウスは眼鏡を光らせ、静かに、だが確固たる決意を込めて言った。
「法案そのものに、赤を入れます」
それは、自らが過去に作り上げた安全思想の集大成を、自らの手で解体するという宣言であった。




