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異世界釣り日誌 ―魔王討伐を拒否して、神から授かった万能釣り道具で、世界中の水辺を旅する放浪スローライフ―  作者: echo
1章

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7話 新たな街を目指して

朝日が湖面を黄金色に染め、周囲の霧がゆっくりと晴れていく。

最高の朝マズメだ。俺は重い瞼をこすりながら、静かに竿を振っていた。


だが、その背後から聞こえてくるのは、小鳥のさえずりではなく、必死に地面をこする額の音だった。


「申し訳ございません、和真殿! 万死に値します! 盾になると言ったそばから、寝てしまうなんてっ!」


振り返らなくてもわかる。ルフィリアが完璧な土下座を決めている姿が。

昨夜、彼女はマントにくるまって数秒で夢の国へ旅立った。俺が焚き火を絶やさず、周囲を警戒し、結局一睡もできずに夜を明かした横で、彼女はそれはもう幸せそうにスースーと寝息を立てていたのだ。


「……いいよ、別に。最初から期待してなかったし」


「そのお言葉が一番胸に刺さります……っ! なぜ起こしてくださらなかったのですか!」


「……起きそうになかったし。それに、ろくに寝れてなかったんだろ、お前」


俺の言葉に、地面に額をこすりつけていたルフィリアの動きが止まった。

 実際、昨日までの彼女は空腹と逃亡生活でボロボロだったはずだ。アジで少しだけ満たされたとはいえ、その反動で深い眠りに落ちるのは、生物として当然のことだと言える。


「……和真殿」


「それでも気が済まないっていうなら、この朝飯の後、俺を寝かせてくれればいいから。その間、しっかり見張っててくれよ」


俺が投げやりにそう言うと、ルフィリアはバッと勢いよく顔を上げた。その瞳には涙がうっすらと浮かんでおり、鼻の頭には土下座の際についた土がついている。


「は、はい! お任せください! 和真殿が眠っている間は、たとえ蟻の一匹でも私がすべて切り捨てます!」


「いや、たぶんそれ俺も切られてるよね」


極端なんだよな、この勇者様。

俺が苦笑しながら再び水面に目を戻した、その時だった。


ピクン、と万能釣竿の穂先が震え、次いで一気に水中へと引き込まれた。昨日アジを釣り上げた時よりも、ずっと重く、鋭い引き。


「お、来たな。ルフィリア、謝罪は終わりだ。火の準備だけしといてくれ」


「はい! 喜んでっ!!」


鼻の頭に土をつけたまま、昨日俺が組んだ石の竈へと猛ダッシュする。その動き、まさに疾風。魔王軍の幹部も驚くであろう神速の火熾しである。



俺は感心半分、呆れ半分でリールを巻く。

竿を通じて伝わる感触は、アジのような軽快なバイブレーションではない。ズッシリと重く、時折、底へと突き刺さるような力強い。


「――おっと。こいつは、期待できそうだ」


万能釣竿をしっかりと保持し、相手の疲れを待つ。

数分後。水面に浮上したのは、朝日に照らされて銀色に輝く、体高のある逞しい魚影だった。


「こっちの世界の魚か? 」


釣り上げたのは、50センチは優に超える立派な魚体だった。

エラから尾にかけて、淡い桃色の帯が走っている。前世でいうところのサクラマスに近いが、ヒレの先がほんのり青く発光しているのは異世界特有の魚だからだろう。


「和真殿、火の準備、整いました! いつでも焼けます! いつでも食べられます!」


ルフィリアは両手に割った薪を握りしめ、獲物を狙う鷹のような鋭い眼光で俺の足元を見つめている。


「これ、知ってるか? 前いた世界の魚とはちょっと違うみたいだけど」


俺が釣り上げた50センチ超えの獲物を差し出すと、ルフィリアは薪を抱えたまま、まじまじとその銀色の魚体を見つめた。


「いえ、恥ずかしながら。このような立派な魚は初めて見ました。そもそも、魚そのものをあまり詳しく存じ上げないのです」


俺の問いに、ルフィリアは現実的な理由を語り始めた。


「リネア王国は内陸に位置し、海からは遠く離れています。もちろん川は流れておりますが……魔物が跋扈するこの世界において、漁は命がけの作業なのです」


「確かにそれもそうか」


「はい。魚を得るために熟練の兵を出すのは、あまりに採算が合いません。王族の晩餐ならいざ知らず、我らのような平民や、騎士団の末端でさえ、魚は干からびた保存食程度の認識でした」


なるほどな。釣りが趣味として成立している日本とは事情が違うわけだ。

この世界において、淡水魚は高級食材というよりは獲るリスクが高すぎて誰も手を出さない未開の資源なのかもしれない。







俺は名前も知らないサクラマスに似た魚を捌き食べやすいように切り分け脂の、乗った身に塩を振り、じっくりと火に当てる。

昨日のアジのような丸焼きとはまた違う、重厚な香ばしさが漂い始めた。



「よし、いい色になったな。熱いうちに食え」


俺が枝ごと手渡すと、ルフィリアは受けとり、そして、溢れんばかりの期待を込めて、一気にその身に齧り付く。


「…………っ!!」


ルフィリアは目を見開き、咀嚼するのも忘れたように固まっている。

パリッと焼かれた皮の食感の直後、中から溢れ出したのは、これまでに経験したことのないほど濃厚で、それでいて上品な甘みを湛えた脂の奔流だった。


「……ん、んんんっ! はふ、はふっ! ……美味しい、美味しいです和真殿! 昨日のアジも衝撃でしたが、これも美味しいです!」


「確かに、デカい分だけ、脂の乗りも格別だな」


「皮は香ばしく、身は驚くほどふっくらとして。噛み締めるたびに、塩気が強いだけの干し肉ばかり食べていた私の人生は一体何だったのでしょうか! 」


彼女は熱さに悶えながらも、止まることなく食べ進める。

先ほどまでの土下座の悲壮感は微塵も残っていない。ただ、食の喜びに魂を震わせる一人の少女がそこにいた。


俺も自分の分を口に運ぶ。

サクラマスに似た、それでいて魔力のせいか後味がスッキリと抜けるような極上の味。徹夜明けの身体に、上質なタンパク質が染み渡る。


「ふぅ。ごちそうさまでした。世界は、まだこんなにも輝いていたのですね……」


綺麗に骨だけになった枝を眺め、ルフィリアは深く、深いため息をついた。

その表情は、魔王討伐を果たした後のような達成感に満ち溢れている。


「満足したなら、約束通り頼むぞ。……俺は、もう限界だ」


俺が焚き火のそばに横たわると、ルフィリアは即座に立ち上がり、腰の剣を引き抜いた。


「……お任せください。このルフィリアが世界の終わりまでお守りしましょう」


「三時間でいいから。」


俺の意識は、彼女の頼もしいけど少しズレた誓いを子守唄代わりに、深い眠りの中へと沈んでいった。







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