6話 旅のお供は勇者様
「……ごちそうさまでした。和真殿、この御恩は一生忘れません」
最後の一口を惜しむように飲み込み、ルフィリアは焚き火の前で正座して深く頭を下げた。
さっきまで獣のようにアジに食らいついていた娘と同一人物とは思えない、騎士らしい見事な礼法だ。……まあ、口の端にアジの身がちょっと付いているし、お腹が少しふくれているせいで、若干姿勢が苦しそうなのが台無しなのだが。
「一生は大袈裟だろ。……で、落ち着いたなら少し教えてくれ。ここがどこなのか、さっぱりわかってないんだ」
俺がそう切り出すと、ルフィリアは居住まいを正した。
「失礼いたしました。……ここはアステリア大陸。古くから四つの王国が分かち合い、統治してきた大地です。今私たちがいるこの一帯は、東を司るリネア王国の領土……私の、出身の国でもあります」
ルフィリアは手近な枝を拾うと、地面の灰に慣れた手つきで図を描き始めた。
四つに分けられた大陸。その中央に大きな境界線がある。
「へぇ、そういえば、自称・神様のおっさんにここに飛ばされた時、魔王が復活して世界がヤバいとか言ってたけど、それもホントなのか?」
「おっ、……おっさん!?」
ルフィリアが裏返った声を上げた。神をおっさん呼ばわりする不敬に、心臓が止まりそうな顔をしている。だが、俺にしてみれば、勝手に人をこっちの世界に送ったあのおっさんは、せいぜい近所の口うるさい親父程度の認識だ。
まぁ、この釣り道具には感謝してるけど
「……え、ええ。事実です。先ほど四つの王国が統治していると言いましたが、それはあくまで『人間の勢力圏』に限った話です」
彼女の枝が、描いた図の半分以上を黒々と塗りつぶしていく。
「もともと、大陸の八割は人間が治めていました。ですが数年前、復活した魔王が率いる軍勢によって、多くの土地が蹂躙されました。現在、私たちの手にあるのは、全体の六割ほど……。それも、今この瞬間にも削り取られている状況なのです」
「ほぉ〜……」
俺は焚き火に新しい枝を放り込みながら、他人事のように相槌を打った。
なるほどな。だからあのおっさんも必死だったわけだ。人手不足が深刻すぎて、俺みたいな「釣りができればそれでいい」なんてハズレ人材まで異世界からかき集めて、数合わせをしてるってことか。
心の中で、あのおっさんの焦り顔を思い浮かべて同情する。
だが、それだけだ。
大陸の四割が魔王のものだろうが、平和な場所が六割も残っているなら、一生かけて釣り歩くには十分すぎる広さだ。
「まあ、頑張ってくれよ。俺は戦いなんてごめんだから、魔王軍が来ないような静かな水辺を探して、のんびり旅を続けるつもりだ」
俺のあまりに緊張感のない言葉に、ルフィリアは目を丸くして固まっていた。
だが、彼女の瞳の奥に、何か別の光が宿ったのを俺は見逃さなかった。それは使命感ではなく、もっと根源的な……そう、先ほどアジを見つめていた時に近い、切実な「欲」の色だった。
「……大変だな、この世界の連中も」
俺が他人事のように呟くと、ルフィリアは地面に描いた図を見つめたまま、一呼吸置いてから静かに口を開いた。
「……実は、私は勇者なのです」
「は?」
あまりにベタな単語に、俺の手が止まる。
「勇者? ……お前が?」
「その反応は癪ですが。はい。まぁ、押し付けられた称号ですが」
ルフィリアは自嘲気味に笑った。その瞳には、先ほどアジを食べていた時の無邪気さは微塵もなかった。
彼女の話を要約すると、こうだ。
彼女の故郷であるリネア王国は、一部の上流階級が私腹を肥やすために平民を搾取する、救いようのない腐敗国家だった。平民生まれのルフィリアは、そんな荒んだ環境で自分の身を守るために剣を覚えた。
その腕を買われて騎士団に入ったものの、そこは特権階級の二世たちの社交場。泥臭い努力で這い上がってきた平民の彼女は徹底的に疎まれ、時には卑劣な夜襲さえ受けたという。
「ですが、あんな温室育ちの連中が、私の剣に勝てるはずもありません」
返り討ちにされた貴族たちは、面目を潰されたと逆上した。
そこで王国が取った手段が、彼女を魔王討伐の勇者として強制的に召し上げ、国から追い出すことだった。
「この世界には勇者登録というものがあります。冒険者ギルドを通じて世界中にその名が共有され魔王討伐のために命を賭す義務が生じます。リネア王国はそれを利用し、近隣諸国に圧力をかけました。私の入国を拒否するように、と」
「嫌がらせのレベルが国家規模だな」
「ええ。宿にも泊まれず、街で食料を買うことも叶わない。国境付近の郊外を彷徨うしかありませんでした」
剣術は一流。だが、彼女には野草を見分ける知識も、獲物を捕れたとしてもその調理法などの手段がない。
これは言ってしまえば勇者という名の流刑囚。
それが、ルフィリアの正体だった。
「なるほどな。道理で魚一匹にあんなに食いつくわけだ」
俺の言葉に、ルフィリアは少し頬を赤くして俯いた。
「お恥ずかしい限りです。……ですが、この包囲網を抜けて遠くの国まで行けば、王国の影響も届かなくなります。私はそこを目指しているのです」
話を聞き終えた俺は、焚き火の音を聞きながら考えた。
要するにこいつは、クソみたいな国の馬鹿どものせいで、追い出されたわけだ。
だが魔王討伐する気のない俺とは相反するわけだ。
「……あの、和真殿」
「ん?」
「和真殿は、その……世界を救うために召喚されたのですよね? 先ほどおっさん?に呼び出されたと」
彼女の背中には、王国から押し付けられた勇者という重い十字架がある。魔王を倒さなければ死罪か、あるいは野垂れ死に。それが彼女に課せられた、逃れられぬ運命だ。
「召喚っていうか、勝手にね。こっちは頼んでもないし。魔王討伐なんて、そんな物騒なもん俺には無理だし、やる気もねぇよ」
「ですが、人類の危機なのは変わりはないのです。もしこの大陸がすべて魔王の手に落ちれば、和真殿の愛する釣り場も……」
「そんときゃ、また別の場所を探すだけだ。俺にとっては、世界が誰の支配下にあるかなんてのは二の次なんだ。今日の一匹を、どうやって旨く食うか。俺の人生、それだけで忙しいんだよ」
俺の言葉に、ルフィリアは絶句していた。
彼女にとっての異世界人は、いつか自分をこの地獄から救ってくれる救世主だったはずだ。だが、目の前にいるのは、救世主どころか、世界の崩壊よりも明日の釣果を心配する釣りバカである。
「和真殿、あなたは……」
ルフィリアは呆れたように、そして少しだけ羨ましそうに、小さく息を吐いた。
彼女が背負わされている義務と、俺が勝手に掲げている自由。
焚き火を挟んで座る二人の立場は、この世界の正義という物差しで測れば、完全に相反するものだった。
「さて、そろそろ話も終わりか。明日も早起きしねぇとな」
俺が寝床の準備をしようと腰を浮かせた、その時だった。
「 私があなたを護衛します!」
唐突な宣言に、俺は思わず動きを止めた。
「……は?」
「和真殿は戦う気がないのですよね。ですが、この先は魔物も出ます。釣りどころではなくなるかもしれません!」
身を乗り出すルフィリアの瞳は、これまでにないほどキラキラと輝いていた。
……いや、待て。こいつ、絶対さっきのアジの味が忘れられないだけだろ。
「和真殿が水辺を探して旅をするなら、私が剣となり、盾となりましょう! ですから……」
「ですから?」
「……その、食事だけ。さっきのような、美味しいお魚を……」
最後の方は恥ずかしそうに小さな声だったが、はっきりと俺の耳に届いた。
「……たく、仕方ねぇな」
「いいのですか!」
「言っとくけど俺は本当に魔王とか討伐する気ないからな」
「大丈夫です!」
食いつき気味に放たれたルフィリアの言葉は、騎士の返答というよりは、おねだりが通った子供のそれだった。
「いいですか和真殿。私は、勇者として魔王討伐の義務はあります。ですが、このまま近隣諸国に拒絶され続け、野垂れ死ぬの気もありません」
彼女は力強く、それでいてどこか清々しい顔で伝えてきた。
「ならば、王国の目の届かない遠方の地まで旅をし、そこで力を蓄えつつ機会を待つ。そうこれは準備しているだけです! 決して、美味しい魚に釣られて任務を放り出したわけではありません!」
「……自分で言ってて虚しくならないか、それ」
必死に自分を正当化しようとする勇者様を見て、俺は思わず額を押さえた。
要するに食い扶持がないから、美味い飯を食わせるお前に寄生して、ほとぼりが冷めるまで逃げるという話を、ものすごく高尚な作戦っぽく言い換えただけだ。
「魔王討伐なんて大層な目標より、まずは明日の飯。……まあ、俺も一人で旅するよりは、魔物除けの用心棒がいた方が助かるのは確かだけどな」
俺がそう認めると、ルフィリアはパッと表情を輝かせた。
「決まりですね! 和真殿は釣りと調理に専念してください。周辺の警戒、および不埒な輩の排除は、お任せを!」
「はいはい。……じゃあ、明日は早朝に出発だ。朝マズメを逃すと、朝飯が抜きになるからな」
「あさま……ずめ? よく分かりませんが、心得ました!」
ルフィリアは嬉々として、自分のボロボロなマントを毛布代わりに丸まった。
勇者の責任なんてどこへやら。彼女の頭の中は、今ごろ明日の朝に釣れるであろう新しい魚のことで一杯なのだろう。
(……やれやれ。とんだ大物を釣り上げちまったな)
俺も横になり、パチパチとなる焚き火の音を聞きながら目を閉じる。
国に捨てられた勇者と、世界を救う気ゼロの釣り大好き人間。
そんな二人の逃避行という名の釣り行脚が、ここから始まることになった。
大陸の命運なんて知ったことか。
俺たちの前には、まだ見ぬ巨大な水辺と、旨い魚たちが待っているのだから。
てか、どっちか起きてないといけなくね?
そう思い、目を開けルフィリアを見るといい顔をでスースーと小さく寝息を立てながら寝ていた。
「今日は徹夜だな」




