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異世界釣り日誌 ―魔王討伐を拒否して、神から授かった万能釣り道具で、世界中の水辺を旅する放浪スローライフ―  作者: echo
1章

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5話 いつだって旨いものは旨い

パチパチと爆ぜる焚き火の爆ぜる音が、静まり返った湖畔に心地よく響く。

 俺は焚き火の熱が直接当たらない絶妙な距離……いわゆる「遠火」の位置に、アジを刺した枝を固定した。


「……じっと待つのですか?」


ルフィリアが、膝を抱えて焚き火の前に座り込み、穴が開くほどアジを見つめている。その瞳には、さっきまでの羞恥心など微塵もなく、ただただ本能的な渇望が宿っていた。


「焦りは禁物だ。強火で一気に焼けば皮だけ焦げて中は生になる。遠火の熱でじっくりと水分を飛ばしながら、中まで熱を通していくんだ。そうすることで、身がふっくらと仕上がる」


しばらくすると、アジの表面に変化が訪れた。

 ルフィリアが提供してくれた天然の塩が、火の熱によってアジの皮にじわりと馴染んでいく。それと同時に、皮の下に蓄えられた良質な脂が、熱に耐えかねたように表面へと染み出してきた。


「あ……」


ルフィリアが小さく声を漏らす。

 銀色に輝いていたアジの鱗が、熱によって少しずつ、少しずつ、美味そうな狐色へと変色していく。


その視線は、もはや俺でも異世界人であることでもなく、一点、火の傍らで黄金色に染まりつつある魚に釘付けになっている。


アジの表面から、透明な脂がぷつぷつと湧き出してきた。

 それが焚き火の熱に炙られ、小さな泡となって身の上で踊る。やがて、堪えきれなくなった脂の雫が、火の中にポタリと落ちた。


ジュッ――。


刹那、夜の静寂を切り裂くように、暴力的なまでに芳醇な匂いが立ち昇った。

 ただの魚を焼く匂いではない。ルフィリアから提供された塩の、尖りのない、しかし力強いミネラルの香りが、アジ独特の脂の匂いと混ざり合い、熱風に乗って彼女の鼻腔をダイレクトに突き上げる。


「な、……なんなのですか!この香りは!。……ただ魚を焼いているだけなのに、なぜこれほどまでに……っ」


ルフィリアが、ふらふらと、獲物に吸い寄せられる獣のように焚き火へと膝を進めた。

 月光に照らされた彼女の横顔は、もはや凛々しい女騎士ではない。ただひたすらに、本能に忠実な一人の少女だった。


「慌てるな。皮目がパリッとするまで我慢だ。中まで熱が通って、脂が身全体に回った瞬間が一番うまいんだからな」


俺はナイフを使い、火の当たり具合を微調整する。

 アジの皮が熱で収縮し、細かなひび割れを作る。そこから覗く白身は、ふっくらと、そして瑞々しく、火が通るにつれて透明から純白へとその色を変えていく。


「和真……殿……。もう、もう耐えられません!」


「もう少し待て」


だが、その気持ちはわかる。俺だって、自分で焼いておきながら涎が止まらないんだから。






ぱちん、と焚き火が心地いい音を鳴らす。

 それと同時に、アジがカリカリに焼き上がり、周囲にさらに濃密な、香ばしさを撒き散らす。

 

「そろそろ頃合いだな」


俺が枝を地面から引き抜くと、ルフィリアの視線もまた、吸い寄せられるように枝の先へと移動した。

ルフィリアに焼き立てのアジを差し出そうとすると、ルフィリアは無言で、それをひったくるように奪い取った。


「たく、、火傷すんなよ」


俺の忠告など、耳に入っていないようだった。

 ルフィリアは両手で枝を持ち、目の前の黄金色に輝くアジを見つめる。その瞳は、獲物を前にした肉食獣のそれだ。


「……ふぅ、ふぅー……っ、ふぅー!」


熱気立つ湯気に、短く、しかし鋭く息を吹きかける。

 香ばしい匂いがさらに広がり、彼女の理性を粉砕した。


「……いただきますッ!」


ガブリ、とルフィリアは女性らしからぬ大きな口を開け、アジの腹に豪快にかぶりついた。


バリィッ!


静寂を切り裂いたのは、小気味よい、しかし凶暴なまでの音だった。

 遠火でじっくりと水分を飛ばされた皮が、小気味よい音を立てる。


「……っ!? ……ふ、ふぉぉおおおお……ッ!!」


直後、ルフィリアの動きがピタリと止まった。

 見開かれた銀色の瞳が、驚愕に染まる。


口いっぱいにアジを頬張り、熱さと格闘しながらも至福の表情を浮かべるルフィリア。銀色の髪を振り乱し、骨までしゃぶらん勢いの彼女を横目に、俺も自分の分の枝を引き抜いた。


「……さて、俺もいただくか」


皮目に浮き出た脂が、焚き火の光を反射して宝石のようにキラキラと輝いている。

俺は大きく一口、その身に食らいついた。


バリィッ!


遠火でじっくり焼いたおかげで、皮は極薄の煎餅のようになっており、その奥から、あふれ出したのは、とろけるような熱い脂だ。

 青魚特有のクセなど微塵もない。ただひたすらに濃厚で、しかしサラリとした上質な脂。純白のふっくらとした身は驚くほどジューシーで、噛みしめるたびに、上質な脂がじゅわっと溢れ出し、それがルフィリアの持ってきた塩のまろやかな塩気と舌の上で渾然一体とな、その旨味をこれでもかと強調してくる。


「……ふぅ、うめぇ。やっぱアジはこれだよな」


思わず独り言が漏れる。

 自分で釣って、自分で下処理して、火加減にまでこだわって焼いた魚。前いた世界で食ったことはあるが、この異世界の澄んだ空気と、パチパチと爆ぜる焚き火のスパイスが、味をさらに数段階引き上げている。


「む、んぐ……はふぅ。……和真殿、これ、本当になんですか!」


ルフィリアが、口の周りを脂でテカらせながら、必死に食レポのような感想を述べてくる。まぁ、それだけ衝撃的なんだろう。

俺は鼻を高くして、自慢げに彼女に問いかけた。


「最高にうまいだろ?」


「はい! こんなに美味しい食べ物、生まれて初めてです!」


感動のあまり、涙目になりながら伝えてくるが。

 ……が、その視線は。


一瞬で、俺の手元へと移った。


俺がまだ一口しかつけていない、焼き立てホヤホヤの二匹目のアジ。

 ルフィリアは、自分が手に持っているアジはすでに骨までしゃぶり尽くさんばかりの勢いで平らげられており、何ならアジの頭まで食い尽くされ、俺の持つアジをまじまじと見つめていた。

頭で食うなんて通だな、なんて思いつつ、ため息をつきながら一口だけ食べたアジをルフィリアに差し出した。


「……たく、仕方ねぇな。ほら、これ食えよ」


目の前で大型犬のように涎を垂らしている美少女の生存本能(?)を優先することにしたのだ。


「えっ……! よ、よろしいのですか!? 」


口では遠慮しつつも、彼女の両手はすでに俺のアジを迎え入れる準備を完了させている。その指先が、期待で微かに震えていた。


「いいんだよ。相当腹減ってんだろ。それにもう一匹いるし」


俺が言い終えるか終えないかのうちに、ルフィリアはアジを引ったくり豪快に食べ始めた。


「……あむっ、はふっ! ぱり……っ、じゅわぁぁ……っ!」


彼女は口の端から黄金色の脂をひと筋垂らし、頬をリスのようにパンパンに膨らませている。咀嚼するたびに「バリッ、サクッ」と、遠火で仕上げた皮の最高の音が響く。

 

「……んむ、んぐっ……はふぅっ!!」


ルフィリアは溢れ出す旨味をこぼさないよう、必死にもごもごと口を動かしながら、目を細めてこちらを見た。


「……んぐ、……かんふぁ……ふひまふっ!」


そういうと、ルフィリアは満面の笑みを浮かべた。


その表情に不意にときめいてしまう。

今までだれかに振舞ったとこはなかったけど、意外と悪くないかもしれない。

そう思いながら、もう一匹のアジを焼く準備を始めた。


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