4話 プライドは腹の足しにならない
魔物を倒し、月光を背に受けて佇む少女の姿は、間違いなく救世主そのものだった。
剣を鞘に収めた彼女は、ゆっくりとこちらを振り返る。
「怪我はありませんか?」
「あ……ああ。危うく死ぬところだったよ。ありがとう、助かった」
俺が震える声で礼を言うと、彼女は「それはよかった」と短く応じた。
だが、安堵したのも束の間。次の瞬間、彼女の膝ががくんと折れた。
「……ぐへぇ〜……」
両手を地面につき、這いつくばるような姿勢で情けない声を漏らす美少女。
さっきまでの神々しさはどこへ行ったのか。俺は慌てて駆け寄った。
「おい、大丈夫か!? どこか怪我でも――」
「しょ……」
「しょ?」
「……食事を、もう何日も摂っていないのです。……何か、恵んでくれませんか……?」
見上げれば、銀色の瞳が涙で潤んでいる。
腹の虫が「グゥ〜」と鳴り響き、彼女は顔を伏せた。
腹が減ってはなんとやら、と言うが、これでは威厳も台無しだ。
まぁ、命の恩人だしな。それにさっき、あの立派な尺アジと謎の虹色フィッシュが釣れたばかりだ。一人で食うには多すぎるし、食わせてやるか。
だが、問題は火だ。俺がさっきまで格闘していた、あの冷め切った木の棒を見つめる。
待てよ。この世界には魔法とかあるんじゃないか?神様も魔法とか聖剣とか言ってたし、こんだけ強い人ならもしかして
俺は名案を思いつき、ニヤリと笑った。
「いいだろう。お前に飯を食わせてやってもいい」
「本当ですか……っ!」
俺がしばらく黙り込んでいたのを見て、見捨てられると思ったのか。
涙目だったが、一瞬でパァァァッと輝いた。
だが、俺はあえて厳しい顔を作り、人差し指を立てる。
「だが。条件がある」
女の動きがピタリと止まった。
彼女はごくりと唾を飲み込み、地面を見つめたまま、顔をごく薄い朱色に染める。
そして何かを覚悟したように、震える手で自らの胸元の鎧の留め具に手をかけた。
「わかり、ました。……っ」
「……は?」
カチャリ、と金属音が響き、鎧を脱ぎ始めようとする。
俺は心臓が飛び跳ねるのを抑え、慌てて両手を振った。
「ちょ、何してんの! 待て待て、落ち着け!」
「何、とは。男性が、女性に求めることなど、一つしかありませんから」
彼女は瞳を伏せ、覚悟を決めたような顔、諦めたように言い放った。
確かに、近くで見れば整った鼻筋に、透き通るような白い肌。銀色の髪が月光に溶けて、超絶と言っていいほどの美人だ。
男として、一瞬だけ「もしかして」という邪推が頭をよぎったが、俺は全力で首を横に振って脳内の煩悩を消し飛ばした。
「いやいや! そういうのは大切にした方がいいぞ。おれのかあさんが言ってた、体は大事にしろって」
「……確かに大切にしてはいますよ。まだ誰にも捧げたことはありませんし。……でも、この状況になって気が付いたのです。プライドなど、いくらあっても腹の足しにはならないのだと」
まさかの処女宣言と、この女、空腹のあまり思考が極端になりすぎている。
「何いってんだよ。それに俺が要求したいことは、そんなことじゃない!」
「……なら、何なのですか。金貨も宝石も持っていませんよ」
ポカンとした顔でこちらを見る。
俺は力一杯、目の前に積まれた木の山を指差した。
「お前、火つけれるか?」
「………………火、ですか?魔法で使えはしますが?」
「なら火をつけてくれ!そうした最高の飯を振る舞ってやる!」
拍子抜けしたように口を半開きにした。
どうやら、異世界人の火を起こせない苦労は、魔法のあるこの世界の住人には想像もつかないことだったらしい。
残念美女が虚空に向かって指を鳴らすと、小さな魔法陣が浮かび上がり、そこから小さな火の玉が放たれた。
ボォッ! という景気のいい音とともに、俺が数十分格闘して煙すら出せなかった薪の山が、一瞬で炎に包まれる。
魔法すげぇ~と感心ていたが火を灯した当の本人は、もう一方の手で真っ赤になっている顔をして覆い隠し、後悔の念を唱えている。
「……私は、私はなんてことを口走ってしまったのでしょう……」
「まぁまぁ、言っちゃったものはしょうがないだろ」
俺が投げやりに慰めると、彼女は指の間から恨めしそうにこちらを睨んだ。
「たしかに口走ってしまったのは私ですが……なぜでしょうか、あなたには慰められたくないです」
ガチで嫌そうな顔だ。さらに彼女は思い出したように声を荒らげ八つ当たりのように続ける。
「それに! さっき私の事、お前って言いましたよね! 私にはルフィリアという名前があるのです!」
「そうかい。じゃあ次から名前で呼ぶよ。ルフィリア」
「それでいいです。あなたのお名前は何というのですか?」
「名前か? 和真だ」
「和真、ですか。なかなか聞かない名前ですね」
「まぁ別の世界から来たしな、聞かないのはそのせいだろ」
俺がさらっと白状すると、ルフィリアは今日一番の驚き顔で固まった。夜の静寂の中、パチパチと爆ぜる焚き火の音だけが響く。
「なんと! 異世界の方でしたか」
「そうだよ、とりあえず飯の準備するぞ」
驚く彼女を置いておき、俺は万能釣り道具のカバンから、血抜き用としてよく売られている小さめのナイフを取り出した。
「見たことない魚ですね……」
「そりゃそうだろ、多分こっちの世界の魚じゃないし。アジっていうんだよ」
俺は手際よくナイフを滑らせ、鱗を落とし、ぜいごを削ぎ、エラと内臓を取り除いていく。その迷いのない動作に、ルフィリアが感心したように声を漏らした。
「……意外と器用なのですね」
「意外で悪かったな」
「あ、いえ! そんなつもりでは……!」
「いいよ、別に気にしてないから。……よし、内臓も出したしエラも取れた。あとは木の枝に刺して焼くだけだが……少しリスクがあるけどやるしかないか~」
俺は落ちていた木の枝を数本拾い上げると、無言でその枝をペロリと舐め始めた。
「……な、なぜ、木の枝を舐めているのですか?」
ルフィリアが引き気味に尋ねてくる。
「前いた世界で得た知識だよ。木によっては毒があるものもある。同じ種類かどうかは知らんが、ルフィリアが火をつけてくれた、この木から出た煙を少し吸っても痺れとかはないからそれは安心だが、もしかしたら生木の状態だと毒を持ってるかもしれんだろ。だからこうして舐めて毒がないか確認してんの」
「博識なのですね。それに毒を感じることができるなんてすごいですね」
「そんな便利なもんじゃない。毒があったら舌がピリピリするらしいからそれで判断してるだけ。あと博識なら最初からこんな事せずに、毒があることわかってるから」
俺が投げやりに返すと、ルフィリアはがっくりと肩を落とした。
「……すごいと思った私がバカでした」
「よし大丈夫そうだな」
俺は舐めていた木の枝を焚き木にくべ、新しく適切な太さの枝を取り出した。
「あとはアジを刺して、遠火でじっくり焼くだけだ。……贅沢を言うなら塩があれば完璧なんだけどな」
「塩ならありますよ」
「本当か!」
「はい、私は手持ちで持っていますが……。結構いろんなところに実ってますよ?」
そういうと彼女は近くに生えていた一本の木に歩み寄り、指を差した。
「丁度ありました、この木です」
「この木から塩ができるのか?」
「正確には木の実からです。この木は地中から得た栄養のうち、塩分だけを蓄えて、それを木の実の中に溜め込むのです。その木の実を干して、割ると中から塩が取れます」
「そんな木があるんだな。前の世界では海の水で作ったりしてたけど」
「海の水で作る方法もありますが、こっちの方が一般的ですね」
ルフィリアから受け取った木の実を割ると、中から精製されたような真っ白な塩の結晶が現れた。
俺はその結晶を指ですり潰しながら、アジの身にパラパラと振りかけていく。
「とりあえず、塩が手に入るなら完璧だ」
「……いただく立場で言いにくいのですが、これだけで本当においしくなるのですか?」
ルフィリアが不安げに覗き込んでくる。
見た目はどっかのお嬢様とかでもおかしくないしベテランの料理人が作ったものしか食べてこなかったのだろうか。こんなのうまくないわけないの金持ちというのも残念な人種なのだなと憐れみを抱きつつ、自信満々に、焚き火の傍らに枝を突き刺した。
「あぁ、最高にうまくなるぞ」




