9話 釣れた魚は意外と高かった
「で査定を頼みたいものが」
俺はギルドプレートをポケットにしまい、背負い袋の中から丁寧に布で包んだ獲物を取り出した。
「はい、素材の査定ですね。どのような魔物の部位でしょうか?」
受付嬢が慣れた手つきで査定用のトレイを差し出す。俺はそこに、サクラマス似の半身と、あの虹色フィッシュを静かに置いた。
その瞬間、受付嬢の動きが凍りついた。
「…………え?」
彼女は目を丸くし、トレイの上の魚と俺の顔を何度も往復させた。その場にいた他の冒険者たちも、漂ってきた独特の瑞々しくも甘い香りに気づき、一人、また一人とこちらを振り返る。
「あの、これ……お魚、ですよね? しかも……この輝き、まさか月光マス? それに、この虹色の個体は……」
受付嬢の声が震えている。彼女はトレイに触れることすら躊躇うように一歩引き、慌てて背後の奥まった席にいる年配の職員を呼び寄せた。
やってきたベテラン職員も、魚を一目見た瞬間に眼鏡をずり上げ、絶句した。
「……信じられん。これほど。おい、君! これは一体どこで、どうやって手に入れた!?」
「どこって、湖で釣っただけだけど」
俺が正直に答えると、ギルド内が静まり返った。
魔物が跋扈し、まともな網も入れられないあの水域で、これほど鮮度の良い魚を手に入れるなど、この世界の常識ではあり得ないことなのだろう。
「……申し訳ありません。これは私共の手に負える査定ではありません。ギルド長に相談して参りますので、少々お待ちいただけますか?」
受付嬢は顔を引きつらせたまま、トレイを抱えて奥へと消えていった。
数分後。
現れたのは、熊のような体躯に無数の傷跡を刻んだ、筋骨隆々の老人だった。彼が歩くだけで、周囲の冒険者たちが道を空ける。
「お前がこれを持ってきたカズマか。……ここでは耳目が多すぎる。奥へ来い」
有無を言わせぬ圧力で、俺はギルド長室と思わしき別室へと案内された。
重厚なソファに座らされると、ギルド長は机の上に置かれた魚を、まるで宝石でも鑑定するかのような鋭い眼差しで見つめた。
「小僧。お前、自分が何を持ち込んだか分かっているのか?」
「……珍しい魚だとは思ってたけど」
「珍しいどころの話じゃない。この月光マスは、その身に高純度の魔力を宿す一級品だ。そしてこの瑠璃魚……これは王都の晩餐会ですら、年に一度拝めるかどうかの伝説級だぞ」
ギルド長は深くため息をつき、頭を抱えた。
「本来、ギルドは魚の仲介は専門外だ。だが、これほどの代物となると話は別だ。高級料理屋ですら、鮮度を保って仕入れるルートがないせいで、怖くて手を出せん代物なんだよ。もし市場に出せば、貴族同士で血で血を洗う競り合いが始まるぞ」
……どうやら、俺は思った以上にとんでもないものを釣り上げてしまったらしい。
俺はただ、バターと小麦粉を買う路銀が欲しかっただけなのだが。
「……で、いくらになるんだ?」
「月光マスは肩身だけだが、骨も残っているから魔道具になる。瑠璃魚に関しては信じられん位の高値になるぞ」
ギルド長は、革手袋を嵌めた手で慎重に瑠璃魚の鱗に触れた。朝日の下で見た時よりも、その七色の輝きはさらに深みを増しているように見える。
「いいか。魔物が棲む水域の魚は、生きているだけで周囲の魔力をその身に取り込む。特にこの瑠璃魚は幸運の象徴とも呼ばれ、貴族たちが権力を誇示するために喉から手が出るほど欲しがる代物だ。……適正価格で買い取るなら、この街のギルドの月間運営予算が半分は吹き飛ぶな」
「予算が半分って……そんなにかよ」
俺は思わず頬を掻いた。
バターと小麦粉どころか、この街の家が一軒買えるんじゃないか、そんな馬鹿げた予感が頭をよぎる。
「そこで提案だ。ギルドが一時的にこの魚を預かり、競りに出すに。その前借りとして、今ここで金貨十枚を渡そう。最終的な落札額から手数料を引いた分は、後日また支払う。どうだ?」
「金貨、十枚……」
この世界の物価をルフィリアから聞いた限りでは、金貨一枚あれば一般的な家族がひと月は贅沢に暮らせるはずだ。それが十枚。しかも、これはあくまで『前払い金』に過ぎないという。
「……分かった。その条件でいい」
「話が早くて助かる。……おい、カズマと言ったか。お前、その様子だと、これからもこういうのを持ち込むつもりか?」
ギルド長が、獲物を狙う猟師のような鋭い目で俺を射抜く。
「さあな。……気が向けば、また何か釣ってくるかもな」
「そうかい、競りが終わったら受付には俺から言っておく。また来な」
ギルド長室を出ると、先ほどの受付嬢がさらに顔を引きつらせて待っていた。
彼女から、革袋を受け取ると中には十枚の金貨と、数枚の銀貨が入っている。
「こんだけあれば、何とかなるか」
俺はギルドを後にし、活気溢れる市場へと足早に向かった。
ギルドを出た俺の足取りは、かつてないほど軽かった。
ずっしりと重い革袋が腰で跳ねる。中身は金貨十枚と銀貨数枚――ルフィリアの全財産をはたいて門をくぐった一時間前とは、まさに天と地ほどの差だ。
「よし、まずは市場だ」
広場の一角にある市場には、色とりどりの野菜や果物、そして生活雑貨を売る露店がひしめき合っている。行き交う人々の活気に当てられながら、俺の目は獲物を探すようにお目当てのものを追いかけた。
まずは調理器具だ。
万能釣り道具は便利だが、あれはあくまで釣り特化型のサバイバル用。本格的な料理を作るなら、厚手のフライパンや、手に馴染む包丁が欲しい。
「おじさん、この薄手の鍋、貰うよ。あと、こっちの小ぶりな鍋も。……ああ、それから蓋も付けてくれあと、この木の皿も数枚とこの革製の鞄もお願い。」
「毎度! 」
これで調理器具は大丈夫だろう、次は本命の調味料と食材のエリアへ。
「小麦粉と。それからバター。あとはニンニクと、スパイス。……ああ、それからこの琥珀色の油は何だ?」
「そいつは植物油さ。」
「それも一本くれ」
薄力粉に、新鮮な大粒のニンニク。ハーブとかは保存がききそうだから数種類を束で買い込んだ。
俺は料金を支払い、買ったばかりの革製の鞄に、手に入れた宝物たちを丁寧に詰め込んでいく。
小麦粉、バター、植物油、ニンニク、そしてスパイス。
これだけ揃えば、ただのサバイバル飯は、一気に料理へと昇華される。魚をバターで焼き上げ、ニンニクの香りを移したオイルで仕上げる……。想像しただけで、口の中に唾液が溜まってきた。
「よし、完璧だ」
ずっしりと重くなった鞄を肩にかけ、俺は市場の喧騒を後にした。
金貨はまだ、ほとんど手付かずのまま袋の中にある。ルフィリアから預かったなけなしの銅貨数枚で始まった買い出しが、まさかこんな贅沢な結末になるとは、一時間前の自分には想像もできなかっただろう。
ふと、視界の端に保存の利きそうな干し果物や、携帯性の高いパンの包みが映る。
俺は銀貨で、自分用の間食と、ルフィリアへのお土産として少し多めの菓子パンを買い足し、ホクホク顔で帰路に就いた。
だが、門を出て森へ向かう道中、ふとある事実に気づいて足が止まった。
「……待てよ。道具と調味料は揃った。けど、肝心のメインが足りなくないか?」
月光マスはギルドに預けてしまったし、瑠璃魚も手元にはない。
今あるのは、自分たちの昼飯として残しておいたアジが一匹……。
「……いや、アジ一匹じゃ、さすがに足りないか。」
どうやら、道具を揃えたことで満足して、肝心の食材調達を忘れていたらしい。本末転倒とはこのことだ。
「まあいい。道具も揃った。あとはルフィリアと合流して、またどっかいいポイントを探して釣るだけだ」




