町への誘い
あっという間に時間が過ぎて、気がつけば夕方になってしまった。
あれからレミリアたちはバラ園を一通り散策して、咲きかけた綺麗な薔薇をいくつか摘んで持ち帰っていた。
それを夕食の食卓にあった花瓶へ飾り、眺めながら食事を取っている時、不意に入り口から魔王が入ってきた。
「魔王様、おかえりなさいませ。夕食を取りにいらしたのですか」
レミリアは立ち上がって、彼のために席を空けようとした。けれど、魔王はそれを遮る。
「いや、私はいらない。レミリアは食事を続けて」
魔王はそう言って、奥で給仕をしていたルーナと、なにやら話し込んでいた。
それが終わると、今度はレミリアの方に向き直る。
「今日は庭の方を散策していたようだね」
深紅の目を細めて、レミリアの方を見下ろす。
魔王は、昼間レミリアたちがバラ園を散策している様子を、城の中から見かけていたようだった。
「はい。とても広くて美しいバラ園だったので、一日中散策してしまいました。それに、今日はとても良いことがあったのですよ」
レミリアは、昼間のバラ園での出来事を魔王に話して聞かせた。
開花魔法が発動したことを説明すると、魔王も喜んでくれた。
「魔法が? それは良かったね」
「はい。今までまともに魔法を使うことができなかったので、自分でもびっくりです」
「以前、魔王様にも申し上げましたでしょう。お嬢様には素質がおありです」
横で話を聞いていたルーナが口をはさむ。
「確かに。むしろ、これまでろくに魔法を使えないでいたという方が驚きだ」
ルーナが口添えすると、魔王も頷いた。先日の一件以来、魔王はレミリアを一目おくようになっていた。
魔王もルーナも、レミリアが人間界でろくに魔法を使えずに来たことに、驚きを隠せない様子だった。
聞き終えると、魔王は今度はテーブルに飾ってある薔薇の生け花に目を止める。
「これは?」
「バラ園の薔薇をいくつか摘んできたんです。まだ見頃は先でしたが、とても良い香りがするので、しばらく部屋に持ち込んで愛でようと思って」
「綺麗だね」
魔王は頷くと、花瓶に差してあるうち、濃い真紅に咲いている薔薇の枝を数本、拾い上げた。
「これ、もらってもいいかな」
「もちろん」
薔薇はこれから最盛期を迎え、咲き盛りになる。いくら摘んできても余りあるだろう。
どうぞと手を差し出すと、魔王はその枝に咲いている花のうち一つを、枝先近くでつまみ取った。そして、それをレミリアの耳の後ろに差してくれる。
「レミリアの瞳の色にそっくりだ」
頬にかかっていた銀水色の髪を指先ですくい取って耳にかけながら、魔王はレミリアの顔を覗き込んで微笑んだ。
突然のことに、レミリアはぱっと顔を赤らめて、その場でぼうっとしたまま動けなくなってしまう。
そうしてレミリアが固まっているうちに、魔王は残りの薔薇の枝を携えて、そのまま部屋を去っていってしまった。
***
城での生活にも慣れてきて、しばらく経った頃。
いつものように、レミリアは菜園で野菜の世話に精を出していた。
「レミリア、ここにいたのか」
「魔王様」
水やりをする手をとめて、レミリアが顔を上げる。
すると回廊の方から、魔王がこちらに歩いてくるところだった。
今日も彼は、ウェーブの掛かった玄鉄の髪と、神秘的に光る深紅の瞳が眩しい。
彼を前にすると、レミリアはいつだって見惚れてしまいそうになる。
「菜園の手入れをしていたの?」
「はい。近頃は収穫の最盛期で、毎日のように大量の野菜が採れるんです」
バラ園で開花魔法を成功させてから、レミリアはその後もいくつかの魔法を習得していた。その一つが、植物の育成を促進させる〝生育魔法〟である。これは前に覚えた開花魔法の派生で、比較的容易に習得できた。
レミリアはあれから毎日のように野菜へ生育魔法をかけ、魔法の特訓がてら成長を促進させている。また、晴れの日があるたびに陽光遮断のスキルで、菜園を陽光のダメージから守っていた。
それらが相まって、今や菜園の野菜たちは、レミリアの予想を超えて伸び盛りになってしまった。
「近頃は、毎日食べきれないほどの野菜や果物が収穫できるんです。最初は私も料理長も喜んでいたのですが、最近はルーナも料理長も苦笑いになってきてしまいました……」
今日もまた、レミリアが水やりをしている菜園には、よく熟れた野菜や果物がたくさん実っている。しかしレミリアは、それを呆然と眺めながら途方に暮れていた。
「まあ、良いのでは。食材はたくさんあっても困らないし。君の魔力が高まっているのは良いことじゃないか」
魔王は、そんなレミリアをなだめてくれた。
「ところで、今日はどんなご用でこちらに?」
思い出したように、レミリアは魔王へ向き直った。
「ああ、そうだった。レミリア、今度一緒に町へ出かけてみないか」
「町に?」
「今度、城の近くで収穫祭が開催されるんだ。君はここへ来てから城の外に出たことが無いから、気分転換になるかと思って」
確かに、ここへ来てからというもの、レミリアは城の外に一度も出たことはない。城の敷地は広大なので特段窮屈に思うことはないけれど、実は外の世界がどうなっているのか、興味があった。
ルーナから聞いた話によれば、城の外には荒くれ者の魔族も多いらしい。一人で行く勇気はないけれど、魔王様がいれば心強いと思った。
「わあ、それは嬉しいお誘いです。ぜひ行ってみたいです」
「よかった。では、ルーナたちにも準備をととのえるよう伝えておこう」
レミリアが目を輝かせて答えると、魔王もまたホッとしたように顔をほころばせ、その場を去っていった。
その後ろ姿を眺めながら、レミリアは呟く。
(なんだか最近、魔王様と少しだけ距離が縮まってきている気がするわ……)
先日、庭で二人きりで会話をしてからというもの、なんだか以前よりも少しだけ打ち解けたように感じている。
ここに来てすぐの頃は、彼に対してどこか恐ろしいというか、冷たくて近寄りがたい印象が拭えないでいた。
(……なんだか、魔王様って不思議な方だわ)
考えてみれば彼は、レミリアが魔界に来てから出会った中で、最も人間らしく、親近感を持てる存在だった。
見かけ上、彼はほとんど魔族には見えない。人間にしてはあまりにも美男子すぎる、ということを除けば、ほとんど人間にしか見えないと思う。普通に話している分には、彼が魔族の王であることを忘れてしまいそうだった。
当初危惧していたような魔界での苦難はまったく起こらなくて、あまりにも順風満帆な生活に拍子抜けしてしまうほどだ。先ほどもああしてレミリアを気遣って、誘ってくれたみたいだし。
一緒に出かけることになったのを思い出してウキウキしながら、レミリアは水やりを終えて、城内に戻っていった。




