魔界での生活
翌朝、レミリアはお城の客間の一室で目を覚ました。
儀式が終わった後、レミリアはここに案内されて、初日は終了した。
緊張と長旅の疲労が蓄積していたのか、ベッドに入るとレミリア自身もびっくりするくらいぐっすり眠ってしまった。
レミリアは眠い目をこすりながら起き上がり、改めて部屋を見渡す。
客室は清潔に保たれていた。リネンやシーツには皺ひとつなく、室内の調度品や家具も、ピカピカに磨かれている。どれも人間界と変わらないものだ。
(――さて、どうしようかしら)
部屋にぽつんと残されたままのレミリア、
部屋を出て様子を確かめようとも思ったが、見知らぬ場所で気が引けた。ぼんやりとその場に座り込んでいると、誰かが扉をノックする音が聞こえた。
「お妃様、お目覚めになりましたでしょうか」
戸口からひょっこりと顔を出したのは、見慣れない風貌をした魔族の娘だった。
大きな黒い双眸。髪型は人間と変わらないけれど、額のところから二本の触覚のようなものが生えている。
メイド服を着ているので、彼女が使用人であることがわかった。娘は愛想の良い微笑を浮かべて、気さくに話しかけてくる。
「長旅のところ、お疲れでしたでしょう。昨晩はよく眠れましたか
「はい。それはもう、ぐっすり」
「それは良かったです。人間は我々と異なり、非力な種族と聞いておりましたから、少し心配していたのです」
メイドは話しながら、せっせとリネンを剥がしてシーツを整えていく。それが終わると、今度はこちらを振り返った。
「申し遅れました。私はお妃様付きの使用人で、ルーナと申します。何でもお申し付けくださいね」
ルーナは気さくにそう言いながら会釈をする。
ルーナ荷期にかけてもらえて、レミリアは少しだけ緊張がほぐれた。
「お着替えがすみましたら、食堂でお食事の支度が整っております。魔王様からもきつく言われているのです。人間は非力なので、一日三食欠かさず食事を取らせるようにと。ただ、人間用の食事を用意することなど滅多にないもので、お口に合えばよろしいのですが……」
動きやすいドレスに着替えると、レミリアはルーナに案内されて、食堂のある下の階へと降りていった。
***
食堂の中央には、大きな長テーブルが鎮座していた。その上には、美味しそうなご馳走が湯気を上げて大皿に盛られている。
(すごく美味しそうだわ……)
香ばしい匂いに誘われて、レミリアは鼻をひくつかせながら食堂へ入っていく。
テーブルの上には、馴染みの分厚いステーキや、野菜や果物、スープやパンまであった。どれも人間界と変わらないものばかりだ。昨晩から何も食べていなかったので、無意識にお腹が鳴ってしまう。
「うーん、どれも本当に美味しいわ。ここの料理人は、とても腕がよいのね」
「そう言っていただけると、料理長も喜びます。なんたって、お妃様のために数年前から人間の料理の修行をしてきたと申しておりましたもの」
レミリアは昨日からの緊張続きで疲れ切っていた。けれど、ほっぺたが落ちそうなご馳走をお腹いっぱい食べると、満腹とともに幸福感で満たされていく。
「お食事がすみましたら、城の中を一通りご案内させていただきますね」
「城の中を、見せていただけるのですか」
ここでは幽閉されるように不自由な暮らしを送るとばかり思っていたので、レミリアは思わず聞き返した。
「もちろんです。魔王様からも仰せつかっております。お妃様には城の敷地内を、好きにお使いいただいてよいそうですよ」
――魔王様。その名を聞いて、レミリアは昨晩のことを思い出す。深紅の瞳をした、人間によく似た青年。想像していた魔王とは、まるで異なっていた。
レミリアは昨晩の彼との不思議な初対面のことを思い起こしながらつぶやいた。
***
朝食後、レミリアとルーナは二人で城の敷地内を見て回った。
城は広大な面積を誇っていた。広さだけでも祖国の王城の倍はあるだろう。建物はいくつもの塔に分かれていて、長い回廊がそれらを繋いでいる。各塔には、大小さまざまな用途の部屋が並んでいた。
「こんなに広いお城に、魔王様はお一人で住んでいらっしゃるのですか」
「ええ、そうですね。ここにお仕えする使用人たちを除けば、王族の方は魔王様お一人しかおられません」
確かに、城の内部にはルーナを始め、多くの魔族の使用人たちが行き交っていた。どれも人間から見れば摩訶不思議な風貌をした者たちばかりで、レミリアはいまだに臆してしまう。
それにしても、これだけ広大な城に、たった一人で。とてつもない規模の建物を見て回りながら、レミリアは拍子抜けしてしまった。
本邸から塔の方へ移動するために、二人は敷地内に張り巡らされた回廊を渡っていく。
ふと外の空に目を向けると、昼だというのに、頭上には分厚い紫色の雲が絶えず立ち込めていた。薄明かりで昼間だとわかるものの、その仄暗さはまるで、黄昏時の夕日を溶かし込んだような、深い濃紺色に染まっている。
「ここは、いつも曇り空なのかしら」
「ええ、そうです。ここは一年を通して曇りか雨がほとんどで、めったに太陽は差し込みません。私たち魔族は日の光に弱いので、大昔にこの地へ移り住んだのですよ」
やはり、伝説に聞いたとおりだ。魔族は日光のもとでは生きられない。この地はもともと曇りがちな気候で、だからこそ魔族が住み着いたのだろう。
「本当にずっと曇ったままなの? たまには晴れるときもあるのかしら」
「月に一度くらいは、日がさすこともありますよ。でもそういった時は、この城は戸締まりをしてカーテンを閉め切って、外へは出ずに過ごすのです」
「なるほど、そうなのね」
レミリアは納得した。この不思議な曇り空も、見た目ほど悪くはない。けれど、晴れ間が差すことがあるのなら、それはそれで見てみたいと思った。
それからルーナとともに、城の各塔の内部を一通り見て回る。
塔の長い螺旋階段を降りて、再び回廊へと繋がる中庭のところまで降りてくると。前方に、数人の使用人を伴った魔王が姿を現した。
彼は昨晩と同様に、ウェーブの掛かった玄鉄の髪に、ルビーのような深紅の瞳。異形の魔族たちに囲まれた魔王の佇まいは、遠くからでも異彩を放っている。
すると、彼はこちらに気がついて、従者たちに合図をしてから、一人でレミリアの方へ歩いてきた。
「レミリア。いたのか」
「ま、魔王様」
びっくりして、レミリアは慌てて居住まいを正す。その横で、隣にいたルーナが魔王に傅いて、すかさず挨拶をした。
「魔王様。ただいま、お妃様に城の内部をご案内していたところです」
「もう歩き回っても大丈夫なのだろうか。……ほら、人間はわれわれと違って非力な生き物と聞くから」
「は、はい。あの、この通り元気です」
レミリアは魔王を安心させようと返事をする。
すると、魔王は僅かに目を細めて微笑んだ。
「よかった。到着早々に君へ負担をかけてしまったのではないかと心配していた」
「そ、そんな。お心遣いを頂きありがとうございます」
レミリアは思わず目を見開く。
まさか魔王様から、そんな気遣いの言葉が出てくるなんて思いもよらなかった。
昨晩の初対面では彼はなんだか冷たい印象だった。
けれども、こうしてあらためて魔王と会話できたことで、レミリア自身も肩にのしかかっていた重しが外れ、身体が軽くなったのがわかった。
「では、私は執務があるのでこれで。ルーナ、後は頼んだぞ」
レミリアとルーナがお辞儀を返すと、魔王は再び微笑みを浮かべて去っていった。
その後ろ姿を見送っていると、ふとあることに気がついた。魔王の左手の薬指に、銀色の指輪が光っている。それは、レミリアの指にあるものと同じに見えた。
レミリアは自分の手へ視線を落とす。それと同時に、昨晩のあの不思議な儀式のことを思い起こした。




