果樹園の旱害(かんがい)
城が平穏な日々を取り戻してしばらく経った後、城内である騒ぎが起こった。
「先日の日照りの影響で、城の裏手にある果樹園の果実たちが、旱害に悩まされているのです」
それはレミリアが、日課である菜園の水やりをしているときのことだった。
この日は珍しく、中庭に庭師の魔族がやってきていた。庭師は老齢の魔族で、胸元まである長い口ひげを蓄えている。深い皺の刻まれた眼窩には、黒い全眼が光っていた。
「旱害?」
「ああ、お嬢様は人間ですから、ご存知ありませんでしたな」
庭師は口ひげを撫でながら説明してくれた。
「魔界の作物は元来、日光に弱いのです。陽光にさらされると、葉がしおれて灼けてしまう。一日程度なら耐えることが多いのですが……ほら、先日の天気予言で、二日続けて晴れた日がありましたでしょう。あれで、裏の果樹園の木々が大分弱ってしまったようなのです」
言われてレミリアは思い出した。つい先日の天気予言で、ここへ来て初めての“二日続きの晴れ”という天気が起こった。
通常、魔界の天気はだいたい曇り空である。そこに、おおむね月に一度の割合で晴れる日がある。これはどの季節においても一定であり、晴れ間が続けて起こるのは、魔界でも非常に珍しいことらしかった。
「たしかに、そのようなことがありましたね」
「屋外に自生している植物たちは、我々と異なって、多少は日光に耐えられる構造になっております。けれども、今回お城で栽培している果実たちは、日照りに弱い品種なのです。味は最高級品なのですが、少々手間がかかり、日照りが続くとしおれてしまうのですよ」
「そうだったのですね……」
レミリアが魔界に来てからというもの、城の中庭の菜園の世話をすることが日課になっていた。今でも晴れ間が差すたびに、自身のスキルで菜園を守っている。よって菜園の野菜たちは常に元気いっぱいだ。けれども、菜園以外の作物や木々のことまでは気が回っていなかった。
「それで、果樹園は今どんな様子なのですか。――もう手遅れなのでしょうか」
「今のところは持ちこたえております。しかし、また数日後に晴れる予言が出ましたでしょう。次の晴れ間で、葉が完全に灼けてしまわないかと心配しているのです」
「なるほど」
「もちろん、天候のことは我々にもどうすることもできません。晴れ間が続くことは、魔界でも稀に起こりますし。せっかく収穫間近の果実たちが沢山実っていたのですが、こればかりはどうしようもありませんな」
庭師は肩を落とした。
「そういうことであれば、私にお任せください」
「――えっ、お嬢様にですか」
庭師はキョトンとしていた。
無理もない。レミリアの魔力は依然として周囲には伏せられている。
レミリア自身は人間なので、日光は弱点ではない。晴れ間のあるときに外へ出ていることは周知の事実だった。けれども、レミリアが外で一体なにをしているのか、そのスキルによって外ではなにが起こっているのかまでは、知る由もなかった。
「せっかく収穫間近の果実たちが、このまま駄目になってしまうのは惜しいです。私は人間なので、晴れ間でも動けますし。次のお天気に外へ出て、様子を見てみようと思います」
「ありがとうございます。そうしていただけると、助かります」
レミリアは、詳細をぼかしてそう言った。
庭師自身も期待はしていなかったが、彼女に任せることにした。
***
予言によって晴天となる当日。
レミリアは朝から城を出て、裏手の果樹園へと向かっていた。
城の裏側には、広大な面積を誇る森が広がっている。
レミリアは以前から、城の敷地内であれば自由に出入りして良いことになっていた。けれどもこの森に関しては、広すぎて一度も足を踏み入れたことはなかった。
庭師に教えてもらった通り、果樹園へと続く小道を辿っていくと、突然視界が開ける。
なだらかな斜面を柵で囲って、木々が均一に植えられている果樹園があった。
植えられた木々にはどれも果実が沢山実っていて、熟すのを待っているようだった。
さらに近寄ってよく見ると、確かに木々の葉が所々、灼けてしおれたようになっているものが目立つ。
(――確かに、森の他の木々と比べると、幾分か弱っているみたいね)
レミリアは早速、この果樹園の周囲に向かって、自身の魔法を放った。
「陽光遮断」
この頃になると、レミリアがスキルを発動できる範囲も大分広がってきた。
最初に魔界に来た頃は、城の中庭一帯だけにしか発動することができなかった。
けれど今では蛍石の効果もあってか、発動範囲は飛躍的に伸びている。気軽に放っても、この城の敷地全体を覆い尽くすほどの広さに及んでいた。
(こんなことなら、最初からもっと範囲を広げて発動すればよかったわ)
今のレミリアにとっては、やろうと思えばこの城の敷地を超えて、さらに広い範囲にまでスキルを効かせることができるような気がしている。
しかし、この間の誘拐事件しかり、お城の外にはレミリアも知らない危険が沢山潜んでいる可能性がある。軽はずみに、自身のスキルを広範囲に発動させるのは控えていた。
そんなことを考えながら、レミリアは念のため果樹園の木々を一通り眺めて回る。スキルの効果もあってか、木々はこれ以上灼けることなく凌いでいるように見えた。
一通り散策した後、休憩がてら木陰に腰かけて空を仰ぎ見る。空には紫色の雲が薄くたなびいて、あたりの斜面には爽やかな風が吹き抜けていく。
(この分なら、木々は持ちこたえられそうね)
レミリアは、たわわに実った果実たちを眺めながら、そんなことをつぶやいていた。
――そんな時。
不意に前方から、こちらに向かって歩いてくる人影が目に止まった。




