果樹園の旱害②
「あれは、魔王様?」
「レミリア、こんなところにいたの? セレスタが君の姿が見当たらないと探していたようだよ」
「あっ……そうでした」
言われてレミリアは思い出した。晴れの日に外へ出る時は、使用人を伴わなければならない。今まではルーナが付き添ってくれていたが、今は後任のセレスタがその役を担っている。
「果樹園の様子が気になってしまい、セレスタに伝えるのを忘れてしまいました」
レミリアは弁解した。
先日、庭師から果樹園の相談を受けてからというもの、レミリアはいても立ってもいられなくなっていた。それで言づけもせずに、朝一番に城を抜け出してここへ駆けてきてしまったのだ。
魔王はそんなレミリアの行方を、例の指輪の魔力で探知したのだろう。
彼はレミリアのそばまで歩いてくると、木陰の隣に腰を下ろす。
「まあ良いさ。今日は私も暇をしていたから、代わりに君のお供をしよう。セレスタには、お得意の掃除仕事を思う存分やってもらえばいい」
セレスタはこのお城にやってきてからというもの、仕事熱心で有名になりつつある。
着任した初日から、暇を見つけては城内を片っ端から掃除して回り。お陰でお城は今、半分ほどがピカピカになりつつあった。
「それで、今日はなにをしに、こんな城の果てまで出てきたの?」
言われて、レミリアは思い出したように、先日の庭師とのやり取りを話して聞かせた。
「庭師に相談されて、果樹園の木々を守りに来ていたのです」
「なるほど。それでこんな広範囲にスキルを発動していたのだね」
「今日を凌ぐことができれば、果樹園の木々も持ちこたえるだろうと、庭師も言っておりました。確かにこの様子なら大丈夫そうです」
レミリアは頭上で風にそよいでいる木の葉を仰ぎ見ながらつぶやいた。
木漏れ日に透かして、葉は明るい新緑色に輝いている。枝の先に実っているのは、林檎ほどの大きさの紫色の果実だった。今はほとんどが色の薄いままだけれど、所々、濃い紫に色づいているものもある。
(完熟したら、これも収穫して食べてみるのが楽しみだわ……)
この城で取れる食材のほとんどが、レミリアには絶品のものばかりだ。
初めて目にする果実を前に、レミリアは期待を膨らませていた。
「それにしても、君はずいぶんとスキルを磨いたようだ。城からここまで何の障害もなく、たどり着くことができた。今に城の敷地を覆い尽くしてしまいそうな勢いだね」
横に座っていた魔王が、不意に感心したような視線を向ける。
「そうなんです。以前に頂いた蛍石の効果なのか、自分でも驚くくらい魔力が向上しています」
「確かに石の効力もある。しかしこれは石の力だけではなく、君自身に備わっていた魔力も強まっているのだと思う」
「やはり、そうですか」
言われてレミリアも頷く。
魔界にやってきてからというもの、自身を取り巻く環境がどんどんと変わっていくのを感じていた。知らなかった魔法の使い道に目覚め、レミリア自身も、段々と魔力が強化されているのを感じている。
単なる蛍石の効果だけではない。レミリア自身の潜在的な魔力が増大しているのだ。理由はわからないけれど、魔界に来てからというもの、自分の中のなにかが変わったような、そんな気がしていた。
「その様子だと、大分体力は回復したようだね。でも、油断は禁物だよ。まだあまり無理をしないほうが良いのでは?」
先日の一件からしばらく経つけれど、魔王は未だにレミリアの体調を気遣ってくる。元々人間は非力であるという思い込みがあったようだけれど、ここへ来てそれに拍車がかかったようだった。
レミリアはそんな魔王を安心させようと、笑みを返した。
「ご心配には及びません、もうすっかり良くなりました。魔王様にもご心配をおかけしました」
「元気になって本当によかったよ」
言いながら、魔王は瞳を細めた後、片手を差し出してレミリアの頭をすっと撫でる。
いつものことながら、レミリアは魔王にそうやって優しく触れてもらう度に、胸がどきりとしてしまうのだった。
それからしばらく、二人は木陰に座って景色を眺めていた。
「――レミリア。もし、今からでも人間界に戻れるとしたら。君は元の世界に帰りたいと思う?」
不意に、魔王がそんなことを言い出した。
唐突な一言に、レミリアが魔王を見つめ返すと、彼はやけに真剣な表情をしている。
「どうして、そんなことを仰るのですか」
「ずっと考えていたんだ。君が誘拐された時、君はあの場で死にかけていた。私が蘇生させたことで回復させることはできたものの、元を正せば、これらは全て私の油断が招いたことだ。君を危険な目に合わせてしまったのは、全て私の責任だ」
「あれは、魔王様のせいじゃありません」
思わず、レミリアは魔王の方へ身を乗り出す。
目の前にいる魔王の表情は、苦悶に満ちていた。彼自身、この間の誘拐事件に責任を感じている様子が、ひしひしと伝わってくる。
「私は、ここへ来たことを一度も後悔したことはありません。正直に言えば、ここへ来る前は、魔界とは恐ろしいところだと思っていました。けれど、ここでの生活は私が想像したよりも、ずっと素敵なものでしたよ」
レミリアは、魔界へ来てからのこれまでの日々を思い起こしていた。
ほとんど生贄のような形で嫁いできたけれど、ここでの生活はレミリアを一変させた。
今まで無能と思っていた魔法は、魔族にとって生活を一変させるようなものであるとわかった。
そのせいでレミリア自身が狙われることにはなったものの、それを凌駕するほどに、魔界での生活は充実したものであると断言できる。
「そんな風にご自分を責めないでください。私はこれからも、魔王様と一緒にいたいと思っているんです……!」
「……レミリア」
赤面しながら、レミリアが打ち明ける。
それを聞いて、魔王も深紅の目を見開いた。
「君にそんな風に言ってもらえるとは思わなかったな。あの時は本当に、君を失うことになると思って、とても恐ろしかったよ。こうして、また君の元気な姿を見られてほっとしている。
――私も君と同意見だ。本音を言えば、君と離れ離れにはなりたくない」
魔王はおもむろにレミリアの顔に手を添えて、片手でその頬をそっとなぞる。
そのままレミリアの方にかがみこんで、彼女の唇をそっと包みこんだ。
柔らかな感触が伝わって、それと同時に、不思議な高揚感で満たされるのを感じる。
木漏れ日の差す昼下がりに、二人の影が静かに重なって見えた。




