第2話:狂医の執刀、最悪の邂逅
王都ルミナリアの華やかな白大理石の街並みの真下には、張り巡らされた広大な地下水道と、かつて放棄された古い魔導工房の跡地が迷宮のように広がっている。
魔力灯の届かない暗闇の中、湿った空気とカビの臭い、そしてそれらを塗り潰すような強烈な鉄錆の臭いが漂っていた。血の臭いだ。
ミレイユ・サン=クレアは、足音を完全に消しながら濡れた石床を進んでいた。腰の長剣の柄にそっと手をかけ、周囲の気配を鋭く探る。その後ろでは、大柄なベルンハルトが巨大な盾をいつでも構えられる体勢で、息を潜めて追従していた。
「……静かすぎるな」
ミレイユが微かな声で呟く。
「ああ。誘拐組織のアジトが近いってのは間違いないはずだが、見張りの気配がまるでない。それに、この鼻を突く血臭は何だ?」
ベルンハルトが顔をしかめ、空いた手で胃のあたりをさする。彼の予感は、この後に及んでさらに悪い方向へと向かっているようだった。
二人が通路の角を曲がり、かつて魔導具の鋳造に使われていたと思われる開けた広間へと足を踏み入れた瞬間、その視界に異常な光景が飛び込んできた。
そこは、すでに壊滅していた。
組織の末端と思われる黒い外套をまとった構成員たちが、十数人も床に転がっている。しかし、それらは単に剣で斬り伏せられたわけではなかった。まるで内側から干からびたかのように、肌は土気色に変色し、異常なほどに痩せ細って息絶えている。
そして、その死体の山の中心に、背を向けた一人の女が佇んでいた。
頭に被った純白のフードからは、夜の闇に紛れるような漆黒の髪が覗いている。彼女は返り血で汚れた白衣を翻し、まだ微かに息のある男の胸元に、見たこともない歪な形状の呪具――赤黒い細針が幾本も突き出た、注射器に似た器具を突き立てていた。
「ひ、ひうっ、あ、があああああっ!」
男が絶叫する。
その叫びをものともせず、女――リュミナ・クレセントは、冷徹極まる手付きで呪具のピストンを引いた。男の体から、どす黒く脈打つ生命エネルギーが、実体化した生血の濁流となって器具の中へと吸い上げられていく。見る間に男の目は落ちくぼみ、痙攣の末に動かなくなった。
「ふう……。これで三分の一といったところかしら。死にかけの割には、まずまずの魔力波長ね」
リュミナは慈愛すら感じさせる美しい微笑を浮かべながら、吸い上げた赤黒い液体を見つめ、満足げに息を吐いた。その瞳は、狂気的な熱を帯びて潤っている。
「……外道が」
闇を裂くような冷たい声と共に、ミレイユが踏み出した。
すでにその長剣は抜かれ、刀身からは目に見えないほどの超高速の振動と、熱風の圧力が立ち上っている。彼女の赤髪の先端は、激しい嫌悪感によって真紅に燃え上がるように揺らめいていた。
「息のある者を弄び、その命を貪るか。それがお前の戦い方なら、ここで私がその歪んだ腕ごと叩き斬る」
リュミナは驚く風もなく、ゆっくりと振り返った。白衣についた血を面倒そうに指先で払いながら、ミレイユの燃えるような赤髪と、その圧倒的な剣気を見つめる。
「あら、綺麗な髪の剣聖様。でも勘違いしないで? 私は彼らを救えないから、せめて次の命のために効率よく使ってあげているだけ。死に行く肉体に、これ以上の価値があるかしら?」
「命の価値をお前が決めるな」
ミレイユの身体がブレる。視認不能の抜刀術「刹那の紅」の予備動作。空気が一瞬で沸点に達し、熱風が広間を吹き抜けた。
「おいおいおい! 待て、二人とも待て!」
その一触即発の空間に、ベルンハルトが命がけで割り込んだ。二人の間に巨大な鉄盾を突き立て、必死の形相で両者を見比べる。
「ミレイユ、落ち着け! リュミナ、お前も挑発するような言い方をするな! 俺の胃に穴をあける気か!」
「ベルンハルト、そこをどけ。その女は組織の人間と同類だ。生かしておけば害にしかならん」
ミレイユの氷のような視線がベルンハルトを射抜くが、リュミナはクスリと可笑しそうに笑った。
「失礼ね。私はただの医者よ。少しばかり、治療の『素材』を現地調達していただけ。……それより剣聖様、そんなところで私と遊んでいていいのかしら? この奥の部屋から、今まさに消え入りそうな小さな命の鼓動が聞こえるのだけれど?」
リュミナが呪具の針で指し示したのは、広間の奥にある重厚な鉄扉だった。
ミレイユは忌々しげに剣の切っ先を微かに下げたが、その瞳に宿る警戒の炎が消えることはなかった。




