09.ピッツァとティーカップ
結局、エリオットはファーストダンスまでには戻ってきた。
オリン公爵夫妻にいたく叱られて不機嫌ではあったが、ミラジェーンに軽く頭を下げて謝罪した。
「……すまなかった。ダンスがあまり得意ではないから、避けたかったんだ」
ミラジェーンは、にこりと微笑んでエリオットを見上げた。
「まあ、でしたら今度一緒に練習いたしましょう。私もあまり得意ではありませんの。エリオット様は身のこなしが軽くていらっしゃるから、きっと練習すればすぐに踊れますわ」
「……僕は、君のそういうところが……いや、そのうち。音楽が始まったから行こう」
「はい、よろしくお願いします」
ミラジェーンはエリオットとともに、ホールの中央へと進んだ。
並んで一礼し、向かい合う。
音楽に合わせて二人は踊り出した。
エリオットの踊りは、上手くもなく、下手でもなかった。
後ほどミラジェーンが聞いたところでは、オリン夫人に厳しくしつけられたらしい。
その後、第一王子とルーシーが踊り、ホール全体が賑やかになってきた。
ミラジェーンがふと気づくと、エリオットの姿は消えており、代わりにエースがやって来た。
「ミラジェーン・ブライズ嬢。わたしと一曲踊ってくださいませんか?」
「……喜んで、エース殿下」
二人が手を取り合って踊り出すと、曲調はゆったりとしたものへと変わった。
「この楽団は、速い曲だと俺が転ぶと覚えているから助かるよ。ミラ、足は痛くない?」
「まだ大丈夫です」
「お腹は空いていないかい。一曲終えたら、何か食べに行こうか」
「お供いたしますわ。……ですが本日のコルセットはいつもよりきつく、あまり食べられませんの。けれど美味しいごちそうを用意いたしましたから、殿下はたくさんお召し上がりくださいませ」
「それは楽しみだ。でも君とも食事を楽しみたいから、次に城に来たらごちそうを用意させてくれ」
ゆったりと踊りながら、ミラジェーンはエースと取り留めのない会話を続けた。
先程のエリオットとのダンスでは、互いに不慣れで曲についていくのが精一杯であり、ファーストダンスは衆目を集めるため雑談する余裕がなかった。
「ところで、君の婚約者殿は?」
「見当たりませんので、探そうと思っていたところですの。どこかでご友人と話し込んでおられるのではないでしょうか」
「ふうん、ご友人、ね」
エースが意味ありげに呟いたところで曲が終わり、そのまま二人は壁際へ移動してグラスを受け取った。
「おすすめのメニューはある?」
「殿下におすすめするなら、こちらでございましょうか」
「……なに?」
「ピッツァですわ。インサラータ伯爵が隣国から取り入れた品でして、薄いパンの上にトマトソースとチーズを載せて焼いたものです。端が香ばしく、美味しゅうございますよ。今回は片手で召し上がりやすいよう、しっかりと焼かせております」
ミラジェーンが熱心に説明するので、エースはそれならばとピッツァを手に取り、口に運んだ。
黙ったまま一切れ食べ、そのまま二つ目にも手を伸ばした。
「お気に召していただけましたか?」
「うん、とても美味しい。今度、城の料理人にも作り方を教えてやってくれ」
「かしこまりました。それからウサギのパイ包みもぜひお召し上がりください」
社交パーティではあったが、エースは特に社交することもなく、ミラジェーンのすすめに従って食べ続けた。どれもこれも美味しかったため。
「……ごめん、一人でひたすら食べてしまって」
デザートまで食べて満腹になったところで我に返ったエースは、頬を赤くしてミラジェーンに謝ったが、彼女は笑顔のままだった。
「とんでもございません。どれもお口に合って何よりでございます。それに殿下が美味しそうに召し上がってくださったおかげで、他の方々もたくさんお召し上がりくださり、用意した甲斐がございました。よろしければ外に涼みに参りましょうか」
エースは頷いてバルコニーへと歩き出したが、扉の前で足を止めた。
「申し訳ない、挨拶にいかないといけない相手がいたんだった」
「そうですの。ではすぐに参りませんと。どなたでしょうか」
「インサラータ伯爵と、それから君のご友人であるリサーナ侯爵令嬢はどちらかな」
「インサラータ伯爵でしたら、先ほどまで殿下の食べっぷりをご覧になっておりましたが……」
ミラジェーンはバルコニーの入口からホールを見回した。
その隙にエースは、バルコニーの扉をわざと音を立てて閉めた……バルコニーにいた者たちにも聞こえるように。
エースと別れたミラジェーンが両親のもとへ向かう途中、エリオットが駆け寄ってきた。
「ミラ、さっきバルコニーにいたかい?」
「いいえ、入口までは参りましたが、外には出ておりませんわ。いかがなさいましたか」
「いや、出ていないのならそれでいい」
エリオットが安心したように微笑んだそのとき、ミラジェーンが王城で時折顔を合わせる貴族が姿を現した。
「こんばんは、ブライズ嬢。こちらが最近ご婚約されたエリオット・オリン公爵令息でいらっしゃいますね。お噂はかねがね伺っております。さぞ素晴らしい方なのでしょうな」
「こんばんは。本日はお越しいただきありがとうございます。はい、とてもお優しい方ですのよ。エリオット様、こちらの伯爵は西部に領地をお持ちでいらして、最近は行路の整備に精を出されていらっしゃいますの」
「そうなのですか」
ミラジェーンが頷くと、エリオットも笑顔で会釈した。
「はい、東部ではインサラータ伯爵が交易で幅を利かせていらっしゃいますからね。西部も負けてはいられませんよ」
「ふふ、北部の子爵も同じようなことを仰っていましたわ。北部ならではの観光に力を入れたいのだとか」
「地域によって強みは異なりますからね。それぞれの特徴を生かしていくためにも、ブライズ侯爵家には財布の紐を緩めていただきたく存じます」
「それは他の予算と試算の兼ね合い次第ですわね」
「はは、ブライズ嬢はしっかりしていらっしゃる。エリオット殿もこのようなしっかりした女性を娶れるとは羨ましい。オリン公爵家は繁栄を約束されたも同然ではありませんか」
「まあ、お上手ですこと」
「ええ、彼女には我が家の発展への尽力を期待しています。よろしく頼むよ」
「もちろんでございます」
ミラジェーンは穏やかに微笑み、その伯爵と挨拶を交わした。
その後も同様の挨拶が続き、終えた頃には、エリオットは疲れ果てていた。
「……こんなにも挨拶をしなければならないものなのか」
「お付き合いいただきありがとうございました。先程の控え室にお茶と軽食を用意しておりますので、休憩なさってください。身内の者しか通しておりませんので、ゆっくりなさってくださいませ」
「そうさせてもらう。その前に僕も知り合いを見送ってこよう。しばらく不在にするが、心配しないでくれ」
「かしこまりました」
エリオットの背を見送ってから、ミラジェーンは両親と兄と合流し、招待客を見送った。オリン公爵夫妻と第一王子、ルーシーを控え室に案内し、リサーナとその両親である侯爵夫妻には本日提供した料理の話とドレッシングを土産として渡した。
そうして、最後にホールに残ったのはエースだった。
「殿下」
「ミラ……婚約者殿は?」
「エリオット様でしたら、ご友人を見送られてから控え室に向かうと仰っておりました」
「そうか。お疲れさま。大変だっただろう。一緒にバルコニーで休憩しないか」
「ですが片付けが……」
ミラジェーンが首を横に振りかけたが、隣に立っていたアドルフが、その頭を撫でた。
「そんなに急がなくていいよ。俺たちも控え室でオリン公爵夫妻の歓待があるしね。片付けは家の者がやるし、俺たちが見張っていたら侍女たちもつまみ食いしにくいだろう」
アドルフが振り向き、つられてミラジェーンも振り向いた。
片付けを始めていた侍女や使用人たちが、にこりと微笑んだ。
「……それもそうですわね。料理長から、今日の料理は特に力を入れているから残されたら悲しいと申し付かっておりますわ。そういえば、持ち帰り用のバスケットが棚にありましたわね」
「そういうわけだ。片付けは任せる」
アドルフが侍女や使用人たちにバチッとウィンクして去っていった。
「わたくしたちもしばらくはバルコニーで休憩しております。判断が必要であれば、声をかけてちょうだいな」
「あ、飲み物だけいただいてもいいかな。ミラに温かい紅茶がほしいのだけど」
エースが言うと、侍女の一人が素早く下がり、紅茶とコーヒーを一揃え盆に乗せて戻ってきた。それを見た使用人が数名進み出た。
「ではバルコニーにテーブルと椅子もご用意しましょう。少々お待ちください」
「かえって仕事を増やしてしまったわね」
「とんでもないことでございます。お嬢様のご活躍に、我々使用人一同、感服の思いでございます。あんなに小さかったお嬢様が……」
「ミラは愛されてるねえ」
「おやめください、殿下ったら。ありがとう、みんな。皆さんの活躍のおかげで無事にパーティを終えられました。では、また後ほど」
エースが腕を曲げたので、ミラジェーンは手を添えてゆっくりとバルコニーに向かった。
しかし、先にバルコニーに出たエースが、ふと立ち止まった。
「殿下?」
「あ……いや、少し椅子の向きを変えてもいいかい? あちらにある明るい星を見たいんだ」
「ぜひ」
ミラジェーンが頷くとエースは素早く椅子とテーブルを移動し、自身は外側に腰を下ろした。
「今日はお疲れさま、ミラ。足が痛むんじゃないのかい? 軟膏はある?」
「大丈夫ですよ。お気遣い、ありがとうございます」
「彼にはちっとも気遣いというものがないみたいだから」
「彼?」
「こっちの話さ」
エースは薄く微笑んでから、バルコニー下の庭園を一瞥し、再びミラジェーンを見つめた。
「ミラ、困ったことがあったら、いつでも相談してほしい。君が苦しんでいるときに助けられないことが俺にとってはつらいから」
「……殿下? ……はい、わかりました。何かあれば頼らせていただきます。でも、今さら仰らずとも、私はずっと殿下を頼らせていただいておりますよ」
「もっとってことだよ」
切ない顔で微笑むエースを、ミラジェーンはじっと見つめた。
その瞳に星の光が反射して、一瞬、瞳孔が縦長に見えた気がしたけれど、きっと気のせいだろうと、ミラジェーンはティーカップで緊張で冷えた手を温めた。
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