07.計画とドレス
エリオットと観劇をした翌日のこと。
ミラジェーンが朝食のため食堂へ顔を出すと、ちょうど兄のアドルフが食べ始めようとしているところであった。
「おはようございます、お兄様。良い朝ですわね」
「おはよう、ミラ。その様子だとエリオットくんとの観劇は楽しかったみたいだね」
アドルフの何気ない挨拶に、ミラジェーンは首を傾げた。
「……そうですわね?」
「なんで疑問形なんだ」
「お芝居が素晴らしかったのは事実なのですが」
「らしいね。ミラがあまりに熱心に語るものだから、侍女たちが休みの日に行こうか悩んでいたよ」
「あら、ぜひおすすめしたいですわ。行くのであれば、お芝居の元となった小説をお貸ししたいくらいです」
「そんなに……エリオットくんも楽しんでいたかい?」
ミラジェーンは再び首を傾げた。
どう取り繕ってもエリオットは楽しそうではなく、兄相手に取り繕う必要もなかった。
「いいえ、まったく興味がなさそうでしたわ」
「……それでも、レディの前でそれをあからさまにするのはいかがなものかと思うが」
「それは私ではなく、エリオット様におっしゃってくださいまし」
「エース殿下に言っていい?」
「おやめください」
ミラジェーンはスープを口に運びながら、兄を軽く睨んだ。
しかしアドルフは笑みを浮かべたまま続けた。
「俺としては構わないと思うけどね。かわいい妹がくだらない思惑の政略結婚をさせられ、挙げ句にないがしろにされているとなれば、兄として面白くない」
「お兄様ったら、そんなに妹想いだったとは存じませんでした」
「どうせ義弟になるなら、妹を大事にしてくれて、我が家の益にもなり、優秀な男がいいだけだよ。当然だろう」
「エリオット様は、そうではないと?」
「俺が断言していいのかい?」
「……いえ、自重なさいますようお願いいたします」
アドルフは頷き、口元を拭って立ち上がった。
「たしかミラも今日は家の書類整理を手伝ってくれるのだろう?」
「はい、そのつもりです」
ミラジェーンも頷いたが、まだ朝食が残っていたため、座ったままアドルフを見上げた。
「食事を終えましたら執務室に参ります。お母様は?」
「先に行っている。今度うち主催のパーティがあるから、主催者様はお忙しいんだ」
「私も手伝いますわ……と言えば、手伝いではなく働けと怒られてしまいますわね」
「ああ、我が家は自分の食い扶持は自分で稼ぐ方針だからな。じゃあ、あとで」
アドルフはバチンとウィンクを飛ばして、食堂から出て行った。
そのキザな仕草を意中の相手にやれば、兄は一瞬で結婚できるだろう。
問題は彼の「意中の方」がご令嬢ではなく、そろばんだということだけである。
ミラジェーンは苦笑して朝食を続けた。
***
「まあ、ミラ。いいところに来ましたね」
母であるブライズ侯爵夫人に声をかけられ、ミラジェーンは執務室から逃げ出したくなった。
しかし逃げたところで、母がすんなり逃してくれるはずもないとミラジェーンは承知していた。
五秒で諦めて笑みを浮かべたが、すでに手遅れだった。
「ミラ、笑みを作るのは一秒以内でと教えたはずですよ」
「申し訳ありません、お母様。逃げ出すかの判断が遅れました」
「時は金なり。ブライズ侯爵家の者は一銭たりとも無駄遣いを許しません。本題に入りますが、来月の社交パーティの装飾担当にミラを任命します」
「それは」
「次期オリン公爵婦人となれば、それくらいできて然るべきです。予算はこのくらい。参加者はわたくしから招待状を送りますが、招待状の用意はあなたがなさい。招待客には事前に事情を説明して、厳しく評価するようお願いしておきます」
母の表情は厳しくも穏やかでも笑顔でもない、ただの真顔だった。つまり本気であり、気を引き締めて取り組まねばならないとミラジェーンは覚悟を決めた。
とはいえ、始めてみれば大変ながらも楽しかった。
母と相談してテーマを決め、予算に沿ってテーブルウェアや料理、飾りを整えていく。
「……楽しいっ」
テーブルクロスを商人と相談して予算ぴったりに収めたミラジェーンは、商人を見送ったあと、玄関ホールで拳を握りしめた。
「そこで一息つくのではなく、ガッツポーズをするのがミラらしいな」
いつの間にか、アドルフが笑みを浮かべながら階段を降りてきた。
「だってお兄様、イメージにぴったりの品でしたの。それが予算ちょうどだなんて、これは運命ですわね」
「運命というのは、もう少しロマンチックな場面で使う言葉だと思うが……。ところで、午後は出かけるんだろう?」
「はい、オリン公爵家に行ってまいります。オリン公爵婦人が今回のパーティ用にドレスをしつらえてくださるのです」
「ほう、ありがたいことじゃないか。エリオットくんとお揃いかい?」
「おそらく」
「デザインが決まったら教えてくれ。エース殿下に内通するから」
「お止めください……」
ろくでもない提案ばかりするアドルフを一応止めてから、ミラジェーンは自室へ戻った。
午前中にやらねばならないことは、まだ多く残っている。
***
午後、昼食を済ませたミラジェーンがオリン公爵家へ向かうと、公爵婦人が満面の笑みで出迎えてくれた。
「よく来てくれたわね。さあ、こちらへ」
「ありがとうございます、オリン公爵婦人」
「ふふ、そんな他人行儀な呼び方はおよしなさい。あら、エリオットは?」
公爵婦人は衣装室に着くと、首を傾げた。
侍女が困った顔を公爵夫人に向けた。
「エリオット様は用事があるとおっしゃって……」
「まあ、婚約者のドレスを決めるより大事な用事なんてありませんよ。ごめんなさいね、ミラさん。息子にはあとでしっかり言っておきますから」
ミラジェーンは苦笑して首を横に振った。エリオットが自分のドレスに興味を示さないであろうことくらい、彼女には分かっていた。
「お気になさらず。エリオット様もお忙しいでしょう」
「本当によくできたお嬢さんだこと。今度爪の垢を分けてほしいくらいだわ。エリオットにはジョッキで飲んでもらいたいし、ルーシーもね……」
「とんでもない。ルーシー様は素晴らしい方ではないですか」
ミラジェーンが驚いてそう言うと、今度は公爵婦人が苦笑した。
「それは王城での話でしょう? あの子ったら、家ではね……」
婦人が言いかけたとき、扉が叩かれた。
「失礼いたします、奥様。仕立屋の者が参りました」
「あら、じゃあルーシーの秘密はまた今度。通してちょうだい」
仕立屋が数人やって来て、手際よく仕事を始めた。
公爵婦人と生地の相談をする者、ミラジェーンのサイズを測る者、生地の見本を運ぶ者がいる。
「ミラさんは小柄だから、軽めの生地がよさそうね。靴はヒールを高めにして、コルセットをしっかり締めましょう」
「はい!」
ミラジェーンが頷くと、婦人も満足げに頷いた。
そして、運び込まれた膨大な生地をひとつひとつ確認し、納得のいくものを選んでいった。
ここで納得するのは公爵婦人であり、ミラジェーンは値段が分からないことに落ち着かなかった。
「こんなものかしらね」
ようやくオリン公爵婦人が満足した頃には、ミラジェーンはぐったりと疲れ果てていた。
「あら、お疲れかしら。ふふ、ずいぶん長いこと付き合わせてしまったものね。お茶とお菓子を用意させましょう」
「すみません……」
「いいのよ。初めてなのだもの。ブライズ婦人と頑張ってね」
「ありがとうございます……!」
オリン公爵婦人の励ましに、ミラジェーンはますます成功させなくてはと密かに決意し、拳を握り直した。
「今回のドレスは、意匠をエリオットと揃えてありますから、当日を楽しみになさっていてね」
「はい、ありがとうございます」
もしかすると、それが照れくさくてエリオットは席を外したのかもしれない。
ミラジェーンはそう考えながら、オリン公爵家の侍女が用意したティーカップを受け取った。
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