06.馬車と劇場
ミラジェーンは自室で身支度を整えていた。
何度か時計を見る。
予定の時刻ちょうどだが、部屋の外から声はかからない。
「時は金なり、いえ、金持ちは喧嘩をせずとも言いますし、悪銭は身につきませんし……」
ミラジェーンの身支度を手伝う侍女は、吹き出すのを堪えながら彼女の髪を丁寧に梳いていた。
「お嬢様、地獄の沙汰も金次第とも申しますし、待たされた分はかわいらしくアクセサリーでもおねだりになればよろしいかと」
「遅刻したからといって罰金を払わせようとするのは、いささか行儀が悪いと思うわ」
「言い方ですよ。殿方の誰もが第二王子殿下のように気が利くわけではないのですから」
「ど、どうしてここで殿下のお名前を出すのかしら」
「あ、馬車が入ってきましたよ」
それを聞いたミラジェーンは勢いよく立ち上がったが、髪に引っかかりを感じ、すぐに座り直した。まだ侍女が髪を梳いていたので、ブラシが引っかかったのだ。
侍女がミラジェーンの髪からブラシを外し、梳き直していると、やがて扉がノックされた。
「お嬢様、エリオット様がお越しでございます」
「今行くわ」
ミラジェーンは侍女と共に部屋を出た。
ロビーではエリオットが笑顔で待っていた。
「お待たせしてしまい申し訳ありません、エリオット様」
「かまわないよ、僕は心が広いから」
侯爵家の侍女は優秀であり、主人に恥をかかせるような態度は取らなかった。
ミラジェーンはそのことに感謝しつつ、にこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。次回は時間通りにいらしていただけると助かりますわ。本日は観劇の予定でしたわね」
「ああ。父がいい席を用意してくれてね」
エリオットの腕に手をかけて、ミラジェーンは歩き出した。
今日は彼に連れられ、最近流行しているという観劇に向かう予定だった。
それだけに時間には気を遣っていたが、そこまで厳密でなくともよかったのかもしれないと、ミラジェーンはそれ以上の苦言を飲み込んだ。
オリン公爵家の馬車は、素晴らしい乗り心地であった。ミラジェーンが仕立ての金額を尋ねたくなるほどには素晴らしかったが、一般に下品と見なされることは承知していたため、口をつぐんだ。
彼女が物事の値段で価値を見定めようとしても、それを咎めないのは家族と、付き合いの長いリサーナやエースくらいであった。
インサラータ伯爵一家なども、価格についての言葉を交わしたことはないが、商家との付き合いが多いことから、賛同してもらえるかもしれない。
「さすがオリン公爵家の馬車、素晴らしい乗り心地ですわね。御者の方の手綱裁きも素晴らしい」
「はは、そうだろう? 君もオリン公爵家の一員となれることを喜んでほしいね」
「もちろんでございます」
ミラジェーンは微笑んでから、窓にかかるカーテンや内装、贅を凝らしたしつらえを見回した。
エリオットは満足そうにミラジェーンの様子を眺めながら、足を組み直した。
やがて馬車が止まり、エリオットが先に降り、ミラジェーンもそれに続いた。
荘厳華麗な劇場であったが、一階席の奥まった箇所や、階段や柱の影になる席は一般庶民にも開放されており、人気を博していた。
上階の横手、カーテンで仕切られた個室のバルコニー席に着くと、エリオットは眉をひそめた。
「我々があのような民草と肩を並べて観劇とはね。君はこの劇場に来たことがあるのかい?」
「はい、何度かございます。素晴らしい劇場でございますわね」
「そ、そうなのか……君にも付き合いがあるだろうからね」
ミラジェーンはにこりと微笑んだ。
リサーナと訪れることもあれば、父ブライズ侯爵から譲られたチケットで兄アドルフと来たこともある。
エリオットの姉ルーシーに誘われ、第一王子とルーシー、そしてエースと四人で訪れたこともあったが、それは口にしないほうがよいと判断した。
「しかし、このような良い席には座れないだろう?」
「とても良い席を用意してくださったんですね」
「もちろん。ところで僕は劇には詳しくないのだが、今期の上演内容はどういったものなのだろう?」
ミラジェーンは少なからず驚いた。
彼女から見たエリオットはおどおどとしているが、プライドが高い。それゆえ自ら「詳しくない」「どういったものだろう」などと尋ねてくるとは思っておらず、問われたことを嬉しく思った。
「はい。今期の作品は十年ほど前に大流行した歴史恋愛ものの再演でございます。ですが、ただの再演ではなく、脚本を一から現代に即して書き直した大作でして……」
エリオットはミラジェーンの話を最後まで聞き、小さく頷いた。
「やはり女子供はそういう色恋沙汰を好むのだね。僕にはよくわからないが」
「個人差があるとは存じますが、女性人気が高いのは仰るとおりです。だからこそ劇場全体の雰囲気を明るくし、チケットやチラシも女性の目を引きやすい色やデザインに配慮されております。劇そのものだけでなく、そこに至るまでの趣向にもこだわっていらっしゃいますわね」
「……君の楽しみ方は他のご令嬢とはずいぶん違うようだが、まあ楽しんでくれたのなら、こちらも付き合う甲斐があるというものだよ」
エリオットが言い終えると同時に、劇場内にラッパの音が響いた。
二人が舞台の中央を見ると、小柄な道化師が玩具のようなラッパを吹き鳴らしながら駆けてくる。
そして観劇の際の注意事項を説明し、物語の導入を語ると、くるくると踊りながら舞台袖へと消えていった。
ミラジェーンは目を輝かせ、舞台に注目した。
……兄と来るときは小声で衣装や小道具、大道具の値段を予想し、エースと来たときは彼から物語の歴史的背景を教わりながら観るのだが、ちらりと見たエリオットは毛ほどにも興味がなさそうであったため、ミラジェーンは黙ったまま舞台を見つめた。
観劇を終え、オリン家の馬車に揺られながら、ミラジェーンは深くため息をついた。
不満によるものではない。大変な満足感だった。
強いて言えば、共にいるのが友人か家族であれば感想を連ねることもできたが、さすがに興味がなさそうなエリオットにそこまで語る気にはなれなかった。
「ミラ嬢、どうだったかな?」
「大変すばらしいお話でございました」
「そう……僕にはやはり良さはわからなかったけど、女性には楽しいものなんだね」
ミラジェーンは、ほんのりと棘が刺さったような感覚を覚えたが、疲れていたため微笑んで頷くだけにとどめた。
やがて馬車はブライズ侯爵家の門の前で止まった。
「今日はお誘いいただきありがとうございました」
「楽しんでもらえたかな」
「はい、とても。またぜひご一緒いたしましょう」
「そうか。では、よい夜を」
エリオットに見送られ、ミラジェーンは帰宅した。
ミラジェーンは湯浴みをしながら、体を洗う侍女に観劇の様子を熱心に語って聞かせた。
次にリサーナと会ったら劇の内容について話し合おう。
そう思いながら話していたミラジェーンは、すっかりエリオットのことを忘れていた。
ミラの「もや」が読んでいる人にも伝わると嬉しい
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