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03.スミレとリンドウ

 ミラジェーンは父ブライズ侯爵とともに馬車で王城へ向かっていた。

 本日は業務の引き継ぎの日であり、彼女の頭は財務官に説明すべき事柄で満ちていた。

 しかし、難しい面持ちで座面を見つめる娘に、ブライズ侯爵は気遣わしげに声をかけた。


「ミラ、本日の予定だが、もし殿下となにか約束があるのなら……」


「そんなものありませんわ」


 冷たく言い放つミラジェーンに、ブライズ侯爵の表情はいっそう痛ましげなものとなった。

 ミラジェーンはあえてそれを無視し、今年度予算において注意すべき点へと思考を巡らせていた。



 王城に到着すると、ブライズ侯爵はまず国王への挨拶へと向かった。

 ミラジェーンは父と別れて財務官用の執務室へと足を運んだ。


「ミラ様が不在になるのはいささか心許ないですな」


 年配の財務官が渋い面持ちで年次予算の書類を差し出した。

 ミラジェーンが幼い頃より帳簿の見方を教えてきた熟練の財務官である。


「何をおっしゃいますの……と言いたいところですが、私も寂しいですわ」


「孫の顔よりミラ様のお顔の方が、この爺の目には焼き付いておりますからなあ」


「ふふ、たまにはお孫さんに会いに行かれてください。忘れられてしまいますわよ」


 穏やかな会話を交わしつつ、ミラジェーンが手がけた帳簿の内容を他の財務官も交えて確認していく。

 王城の財務官はブライズ侯爵家(ゆかり)の者が多く、彼女からすれば親戚の集まりも同然だった。


 ……しかし、その中に見慣れぬ顔があった。

 もちろん外部から試験を受けて入官する者もいるため、時折知らない顔がいること自体は不思議ではない。

 その青年はすらりと背が高く、淡い銀髪にアメジストの瞳を持つ少年であった。


「そこのあなた、お使いを頼まれてくれるかしら」


「お呼びでしょうか、ミラジェーン様」


 ミラジェーンは侍女を呼び寄せた。

 そして、あらかじめ用意させていた籠を少年に渡させた。


「このカゴを中庭の第三温室へ運んでいただける? スミレが見頃ですの。待てばリンドウも咲くのではないかしら」

「承知致しました、ミラジェーン様」


 少年は恭しく頭を下げ、執務室を辞した。

 ミラジェーンが振り向くと、先ほど最初に顔を見せた老財務官が苦笑していた。


「さすがでございます、ミラ様」


「あれで気づかれぬと思っている方がおかしいのです。しばし席を外します」


「行ってらっしゃいませ」


 ミラジェーンは早足で少年を追い、中庭へと出た。手前から三つ目の第三温室は、第二王子の密会に用いられる温室である。

 彼女が扉を開けた途端、ふわりとスミレの優しい香りに包まれた。


「久しぶり、ミラ」


「王国の小さな太陽であるエース殿下にご挨拶を申し上げます」


「俺と君の仲で、そんな他人行儀な挨拶は止めてほしいんだけど」


 ミラジェーンが頭を下げると、第二王子エースは唇を尖らせた。


「殿下、不用意なご発言はお控えいただきたく存じます」


「ダメかな」


「ダメです。わたくしは他の殿方と婚約しておりますの」


「まだ正式ではないだろう? 貴族会での承認が下りていない」


「来月初めには承認される予定と聞いております」


「残念ながらね」


 呆れたミラジェーンの言葉に、エースは肩を竦めた。

 エースはミラジェーンの腕を引いて奥まったベンチへと移動した。

 そこには先ほどミラジェーンが渡した籠が置かれていた。

 籠にはミラジェーンが用意した白いハンカチが掛けられていた。


「こちら、今城下町で流行の焼き菓子ですの。殿下のお好みかと」


「ありがとう。ところで籠に掛かっていた布巾、これはハンカチではないかい?」


「……はい」


「言いづらいことがあるときのミラの顔はブレイズ卿そっくりだね。この刺繍は王家の竜の紋章と俺の名に見えるけど」


「……み、見えますか?」


「ぎりぎり」


 エースは先ほどとは打って変わり、吹き出しながらハンカチを手に取った。


「不出来な品で申し訳ありません。作り直しますので、いずれ出来の良い品とお取り替えくださいませ」


「うん、待ってる」


 くすくすと笑いながら、エースは籠を覗き込み、手元の鈴を鳴らした。

 すぐに現れた侍女に、テーブルの用意を申しつけた。

 ほどなくして、ベンチ前の卓に皿とコーヒー、そして紅茶が並べられた。

 侍女の姿が消えてから、エースは籠から焼き菓子を取り出し、皿に並べた。


「殿下、そのようなことはわたくしが」


「だめだよ、これは俺がもらったものだからね」


「……お言葉に甘えさせていただきます」


「言葉以外も甘えてくれていいよ」


「それは丁重にお断りいたします」


 エースは切なげに目を細めたが、それ以上は何も言わなかった。

 ミラジェーンの頑なな気質を、彼は長い付き合いの中で十分に承知していた。


「ところで、君の婚約者殿はずいぶん評判がいいらしいね」


「……そのようですわね」


 ミラジェーンは低い声で答えたが、エースは笑みを浮かべたまま焼き菓子へと手を伸ばした。

 エースが無言のまま三つ目の菓子を口にしたところで、ミラジェーンはようやく言葉を発した。


「殿下は、あの噂について何もなさっていませんのね」


「もちろん。君の評判を下げる必要はないからね」


 微笑むエースに、ミラジェーンは肩を竦め、ティーカップを手に取った。


「お気遣い、ありがとうございます」


「構わないよ、君と僕の仲だからね」


「殿下、不用意なご発言はお控えくださいますようお願い申し上げます」


「別に俺は妾でもいいけど」


「さすがに王位継承権第二位の王子殿下を妾にはできかねますわ」


「ふふ、本気なのに」


「質が悪いですわね」


 エースはコーヒーをすすり、再び菓子へと手を伸ばした。

 ミラジェーンに菓子を勧めることはなかった。


「ま、今後とも王家は君の婚約者殿の噂に関与するつもりはない。それがいかなるものであれ」


「そのようにお願いいたします」


 現時点でミラジェーンの耳に入っているエリオットの噂は、いずれも王家やブライズ家の評判に関わるものではなかった。

 そうであれば、エースとミラジェーンが口を挟む必要はなかった。


「さて、いろいろ言ったが、今日のところは婚約おめでとうと言っておこう。もちろん残念ではあるけど。ブレイズ侯爵、侯爵令嬢には長年、経済面で大いに助けられてきた。帳簿の精査や報告書の作成も常に丁寧であったし、不正の芽も君とブレイズ卿が誰よりも早く見抜いてくれた。そのことに対し、俺は王家の者として深く感謝を捧げる」


 エースは真顔で頭を下げた。

 ミラジェーンは一瞬呆気に取られてから、慌ててエースの肩に手をかけた。


「殿下、おやめくださいまし。王家の方が民に頭を下げるなど、あってはなりませんわ。殿下のお言葉、深く胸に刻ませていただきました」


「ミラ……」


 エースは口を開きかけたが、何も言わず首を横に振った。

 ミラジェーンは微笑み、そんなエースの顔を見つめた。


「まだしばらく引き継ぎが残っております。おそらく一年ほどは王城へ通わせていただくことになるかと」


「気の長い話だ。それくらいなら続ければいいのに」


「……そうですわね。そうしたいのは山々なのですが、わたくしの一存では決められません」


 ミラジェーンは軽く頭を下げ、温室を後にした。


 振り返らないその背を、エースはじっと見つめていたが、彼は何も言わず、立ち上がることもなかった。

 温室の扉が閉まってから五分以上が過ぎたのち、エースは残った焼き菓子を籠に戻した。上からハンカチを掛けて立ち上がった。

 籠を大切そうに抱えたまま、彼は自室へと向かった。

 途中で侍女が合流したが、エースは籠を渡さなかった。すべて彼のものであったからだ。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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