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02.焼き菓子とハンカチ

 ミラジェーンがエリオットと顔合わせを行って数日後、二人は王家主催の花見に参加していた。


「まだ正式な婚約ではないが、親睦を深めるのにも事前の貴族たちへの周知にもちょうどいいのではないかな」


 ――それは、両家の計らいによるものであった。

 今回の花見には、ミラジェーンらと同世代である十代後半から二十前後の貴族の令息令嬢が集められていた。


「お久しぶりですわ」


「まあ、ミラジェーン様。お噂はかねがね……そちらが例の?」


「ふふ、お耳が早いのね」


 ミラジェーンがエリオットと並んで歩くだけで、令嬢たちの瞳は輝いた。

 年頃の女子が集まれば、そのような話で盛り上がるものであり、ミラジェーンにも覚えがあったため、彼女は笑顔で受け答えていた。


「……女性というものは、おしゃべりに事欠かないのだな」


 エリオットは呆れた顔で彼女らの様子を見ていた。


「そういうものですわ。たかが噂、されど噂。火のないところに煙は立ちませんもの」


「僕には無駄話にしか聞こえないよ。あちらに僕の友人がいる、行こう」


「承知いたしました」


 エリオットの友人に挨拶を済ませたところで、足音が聞こえた。


「お嬢様方、お待ちくださいませ!」


 エリオットの友人に挨拶を済ませたところで、足音が聞こえた。


「なっ……?」


「なんだ、このガキ共は……」


 驚いたミラジェーンが足元を見ると、エリオットは子ども二人ともみくちゃになり、倒れ込んでいた。


「まあ、ご無沙汰しておりますわ、アンナマリー様、エルレイン様」


 ミラジェーンは急いで子ども二人を助け起こし、服についた草を払った。

 エリオットは身を起こし、ミラジェーンを睨んだ。


「ミラ、君は婚約者である僕より、そのような行儀の悪い子どもを優先するのか?」


「エリオット様。こちらは、妃殿下の姪御様にあたられる、双子のアンナマリー様とエルレイン様にございます」


「えっ、ええ?」


 エリオットは顔を青くし、素早く立ち上がった。

 ミラジェーンもこっそりエリオットの服についた草を払い、立ち上がった。


「ミラ姉様、こんにちは!」


「ミラ姉様、お会いしたかったですわ!」


 双子は愛らしい笑みをミラジェーンに向けた。

 ミラジェーンは頷き、再び地に膝をついた。


「わたくしも、おふた方にお会いしたかったですわ。ところで、アンナマリー様、エルレイン様。殿下のもとへお連れいただけますか」


「はい、姉様、喜んで」


「ふふ、兄様は姉様がお声をおかけにならなければ、目覚めませんもの」


「エリオット様も参りましょう」


「なんだ……?」


 ミラジェーンは双子に手を引かれて、花見会場から少し離れた木陰へと向かった。

 エリオットも不可解そうな顔のまま、ついていった。


「お兄様ー」

「姉様を連れて参りましたよー」

「……殿下、おさぼりですか?」


 木陰の下、草に埋もれるようにして少年が眠っていた。夜色の髪に整った顔立ちを持ち、今は閉じられている瞳は深いアメジスト――彼はエース・ニーズヘッグ、この国の第二王子である。

 ミラジェーンが声をかけると、彼の瞳がゆっくりと開き、彼女に気づくと柔らかく細められた。


「ミラ、迎えに来てくれたのかい?」


「わたくしではありませんわ。アンナマリー様とエルレイン様がお探しでしてよ。かくれんぼでもしてらしたの?」


「どちらかといえば不貞寝かな。そちらが、君の婚約者殿かい?」


 微笑むエースの視線の先には、不機嫌そうに顔をしかめるエリオットの姿があった。


「ミラ、そちらは……?」


「こちらは、第二王子であらせられるエース殿下にございます」


「は? 殿下……? でも、以前拝見したときは……」


 エリオットは困惑の表情を浮かべ、エースを見つめた。

 しかしエースはそれを気にも留めず、身軽に身を起こしてミラジェーンに手を差し出した。

 彼女が手を重ねると、エースは軽々と彼女を引き起こした。


「すまないね、ミラ。彼女らに付き合わせてしまって」


「わたくしは何もしておりませんわ。エリオット様が転ばれたお二方を、身を挺してお庇いくださいましたの」


「そうかい。ありがとう。彼女らの母君に代わって、礼を言おう」


「と、とんでもございません!」


 呆然としていたエリオットは、軽く腰を引いた。


「臣下として、当然の役割を果たしただけでございます」


「そうか。君のような忠誠心あふれる子息であれば、ミラを任せることもできるよ」


 エースは薄く笑みを浮かべ、ミラジェーンの手を強く握った。やがて手を離し、アンナマリーとエルレインとともに花見会場の中心へと向かっていった。


「……ミラは第二王子殿下と親しいのか?」


 エリオットはエースの背を見つめながら言った。


「登城の折に、ご挨拶を差し上げる程度にございますわ」


「そうか。ふふ、此度のことで、僕の覚えもめでたくなったかな」


 ミラジェーンは笑みを保ったまま、首を傾げるにとどめた。


 エリオットが再び口を開く前に、花見会場で主催者としてエースが開会の言葉を告げ始めた。


 ミラジェーンとエリオットも、急いでその場へ向かった。


 開会がなされれば、公爵家長男であるエリオット、次いでミラジェーンが第二王子に挨拶をしなければならない。


「そんなに急ぐ必要があるのかい?」


 急かされ、不満そうなエリオットは足を止めた。


「そのようにせかせかするだなんて、下々の者でもあるまいに」


「此度の主催は王家によるもの。つまり、エリオット様がいの一番に殿下にお声がけなさることで、オリン公爵家の格が王家に次ぐものであると、周囲に示すことができますのよ」


「……なるほど。少々こざかしいけど、君は気が利くんだな」


 エリオットは頷き、エースのもとへと二人は急いだ。


***


 挨拶の後、エリオットは友人らと談笑に耽っていた。


 ミラジェーンもその近くで親しい令嬢らとともに、供された菓子に舌鼓を打っていると、ふいに向かいにいた令嬢が目を丸くした。


「いかがなさいましたの……殿下」


 令嬢らの輪に加わったのは、第二王子エースであった。


 美しい容貌と穏やかな笑みに、周囲の令嬢たちが息をのむ中、ミラジェーンは眉をひそめた。


「殿下、何かご用にございますか」


「俺にもちょうだい」


「こちらの焼き菓子がおすすめでございますわ」


「食べさせてくれ」


「殿下」


「手袋が汚れる」


「……殿下」


 エースの甘やかな声に、ミラジェーンは低く応じた。

 それを聞いたエースは、いよいよ笑みを深くし、彼女の耳元でささやこうとしたが、その前に別の方向から声がかかった。


「第二王子殿下、よろしければ私どもともお話いただけませんか?」


 エリオットだった。

 いつの間にかミラジェーンの真後ろに立っていたエリオットは、笑顔でエースを見つめていた。

 ミラジェーンは、ふっと息を吐いた。


「殿下、ぜひ皆様とお話なさってくださいませ。普段、殿下は王城に籠もっておいでで、なかなかお話しする機会もございませんもの」


 エースは一瞬ミラジェーンを睨み、それからエリオットへと振り向いた。


「ああ、君はさきほど俺の従姉妹たちを助けてくれたという、勇気ある公爵令息じゃないか。ぜひとも話を聞きたかったんだ。ミラの婚約者なのだろう?」


 エリオットは意気揚々と、先程双子とぶつかった経緯を話し始めた。

 ミラジェーンには、ずいぶんと大げさな話しぶりに聞こえたが、口を挟まず、侍女に耳打ちした。


「ところで殿下は我が婚約者と何かお話を?」


「ああ、ミラにおすすめの菓子を聞いていたんだ」


 エースの返事に、エリオットは口元を歪めた。


「さようですか。女子は甘い物に目がありませんものね。たまには政治など、意義あることをお話しいただきたいものですが」


「殿下」


 言いかけたエリオットの言葉を、ミラジェーンは静かに遮った。


「このあたりが殿下のお口にあうと思います」


「ありがと。よくわかってる」


 眉をひそめかけたエリオットに、ミラジェーンはにこりと微笑んだ。


「エース殿下は甘い物に目がありませんの。とりわけ焼き菓子を好まれますわね」


「うん。どうにもまだ舌が子どもでね。早くミラの年頃に追いつきたいのだけれど」


「難しいご相談ですわね。そういえば、エリオット様がいらした卓にも、片手でいただけそうなガレットがございましたよね」


「あ、ああ。塩気が利いていて、とても美味しかった。殿下もぜひ……」


「ありがとう。気が利くね」


 笑顔でそれを受け取ったエースに、エリオットは口角を上げた。


***


 花見から数日後、ミラジェーンが兄のアドルフと侯爵家の前年度の支出を見直していると、ブライズ侯爵が顔を出した。


「エリオットくんはずいぶん評判がいいらしいね」


「そうなのですか?」


「ミラもその場にいたのではないかね?」


 ブライズ侯爵は嬉しげに語り始めた。

 先日の花見でアンナマリーとエルレインを助けた件と、エースと歓談した件が、大袈裟に広まっているらしい。


「お二方が大怪我をなさりかけたのをエリオットくんが身を挺してお守りしたのだろう?」


「そうとも、言えなくもない……かもしれませんわね」


 ミラジェーンは、わずかに首を傾げながら頷いた。

 双子と第二王子への失礼については、どうやら広まっていないらしい。

 エースがミラジェーンの顔を立てたのであろうことは分かっていたため、彼女は何も言わなかった。

 次に登城する折に何か手土産を用意しようかとミラジェーンが考えていると、アドルフが顔を上げた。


「ミラ」


「何かしら」


「この間エース殿下にお目にかかった折、お前が花嫁修行の一環で刺繍を練習しているとお伝えしたところ、ハンカチをお望みであったよ」


「婚約者のある身で他の殿方にお渡ししていいのかしら」


「いいんじゃない?」


 アドルフはさして気にも留めぬ様子で言った。


「臣下の礼とでも言えば、大抵のことは許されるだろう」


「ずいぶんと大雑把ですのね」


「何しろお前の兄だから」


「違いありませんわ」


 ミラジェーンは近くにいた侍女に声をかけ、ハンカチと紫の刺繍糸を用意するよう命じた。

推敲してて思ったけど、エースはえっちだな!

***

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