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12.ガウンと薬草

 ミラジェーンは王城の執務室で椅子に腰を下ろしていた。

 彼女の前には書類が山のように積まれ、左手には愛用のそろばん、右手には使い古されたペンが握られていた。


「お疲れですかな、ミラ様」


 爺が心配そうにミラジェーンの顔を覗き込んだ。

 ミラジェーンは穏やかに微笑み、爺を見上げた。


「少しね。でもこうしてそろばんを弾いて仕事をしているときが、一番落ち着くのよ」


「侯爵令嬢としていかがなものかとは存じますが……ブライズ侯爵家の方々は往々にしてそういう面がおありですからなあ」


 爺は近くの侍女に茶を頼み、自身の仕事に戻った。

 ミラジェーンは黙々と書類を片付けた。

 午前中は引き継ぎ資料の作成に加え、西部の行路整備計画書に目を通して赤を入れ、さらに先日ルーシーから依頼されたシミューズドレス着用の報告書も書かねばならなかった。


 今日のミラジェーンはシミューズドレスこそ着ていないが、王城に勤める財務官の制服の上に紫のガウンを羽織っていた。夏前の雨期で肌寒いため、ガウンは重宝していた。

 決して午後にエースとの約束があるからではない。ほぼ毎日着用しているためである。

 着心地が良いため、ルーシーに頼んで洗い替えを作らせようかと思うほどの品だと、ミラジェーンは密かに感じていた。


(次は銀の糸で刺繍を入れてもらおうかしら)


 そんなことを考えながらミラジェーンがペンを走らせていると、執務室の扉が叩かれた。

 近くにいた侍女が扉を開けると、そこには銀の髪にアメジストの瞳を持つ若手財務官が、ティーカップとポットを載せた盆を手に微笑んでいた。


「ご依頼の品を用意いたしました」


「ありがとう、そこに置いておいてちょうだい」


 ミラジェーンは微笑み、自身の机を指した。

 それから書類を数枚手に取り、財務官に渡した。


「こちら、先日のドレスの報告書です。ルーシー様に届けてもらえるかしら」


「承知いたしました」


 財務官も同じように微笑んで、踵を返した。

 これでしばらくは戻らないだろうと踏み、ミラジェーンは紅茶を少し口にして仕事に戻った。

 しかし財務官は思いのほか早く戻ってきた。手には大きな箱を抱えている。


「こちら、ルーシー様からのお届け物です。……義姉というのは、弟使いが荒いですね?」


 げんなりした顔の若手財務官……を装ったエースを見て、ミラジェーンは思わず吹き出した。

 周囲の財務官たちも忍び笑いをもらしていた。


「存じませんよ、私には姉もおりませんし、弟もおりませんもの」


「ミラが姉なら、毎日が幸せだね。あ、でも姉だと嫁いでいってしまうのか……それはダメだ……」


「何をぶつぶつ仰ってますの? こちらは?」


 ミラジェーンが立ち上がって箱を受け取ると、それは大きさの割に軽かった。


「さあ? ミラがそろそろ欲しがる頃だからと義姉上は言っていたけれど、中身までは教えてくれなかったんだ。ミラと一緒に開けろと」


「では開けてみましょうか」


 応接セットのテーブルに箱を置き、ミラジェーンが蓋を開けると、中にはガウンが収められていた。

 今ミラジェーンが羽織っているものよりやや濃い紫に、銀の糸で刺繍が施されており、まさに先ほど彼女が思い浮かべていたような品であった。よく見れば、その刺繍はリンドウの花と王家の紋章である竜を模していた。


「……ねえミラ。義姉上が羽織っていたガウンは灰色に濃い青の刺繍がされていたね」


「え、ええ。そうですわね」


「君に贈られたガウンは紫に銀の刺繍だ。これを義姉上が用意した意味について、俺の見解を伝えたいのだけど、聞く耳はある?」


「察しておりますが、明言できる立場におりませんの」


 ミラジェーンは遠回しに拒んだが、エースは笑顔のまま彼女の顔を覗き込んだ。銀の髪がさらりと流れ、アメジストの瞳がミラジェーンを楽しそうに見つめていた。


「義姉上から言伝だけど『どっちにしろわたくしの義妹になることにかわりはありませんもの』だってさ」


「それは本当に言伝ですの?」


「いや、そう言われたから全力で肯定してきた。ミラ、午前の仕事はあとどのくらいだ?」


 急に話の流れが変わり、ミラジェーンは一瞬きょとんとしたが、すぐに思考を巡らせた。


「西部の行路整備計画書があと十項ほどです」


「そうか。では俺は薬草用の温室で庭師たちと話をしてくる。君の仕事が終わったら声をかけてほしい。食堂で昼食にしよう。ブライズ侯爵にも俺から声をかけておく。食事をしながら、先日伝えた冬期の流行病対策の概要を説明する」


「承知いたしました」


 ミラジェーンが立ち上がって頭を下げると、エースも同様に立ち上がり、笑顔で手を振ってから執務室を出て行った。

 ミラジェーンは急いで自分の机に戻り、書類を再び手に取った。



 昼食後、ミラジェーンは父であるブライズ侯爵とともに、エースに伴われて薬草用の温室へとやって来た。彼女の肩には、ルーシーから贈られた紫と銀のガウンが掛けられていた。

 昼食時にエースが


「雨上がりで冷えるし、せっかくだから先程義姉上から贈られたガウンを羽織るといいよ」


 とブライズ侯爵の前で言われ、断ることができなかったのだ。

 もともと紫のガウンを羽織っていたため今さらではあるのだが、それよりもさらに意図が露骨であり、ミラジェーンはそれを着て城内を歩くことに落ち着かなさを覚えた。


「ミラ、そちらがルーシー様から贈られた品かい?」


「はい……」


「なるほど……そうか。そうよなあ」


 ブライズ侯爵はなんとも言いがたい顔で頷き、それ以降何も言わなかった。

 三人は温室に到着すると、庭師から話を聞いた。途中で薬剤の調合を担う調剤師と医師も加わり、薬草の栽培から調剤、配布方法に至るまでの一連の流れを確認した。さらにそれらにかかるコストや民間人への説明など、考えるべきことは山のようにあった。

 ミラジェーンが庭師から話を聞いていると、視線を感じた。顔を上げると、エースが笑顔で彼女を見ていた。


「殿下、なにかございましたか?」


「あまりに楽しそうだから、つい見ちゃった。ごめんね、邪魔をして。続けてくれ」


「はあ……?」


 その様子をブライズ侯爵は近くで見ていたが、すぐに軽く首を振り、調剤師と医師との相談に戻った。

 夕方、ミラジェーンはブライズ侯爵とともに馬車で帰路についていた。


「近いうちに登城して予算を詰めねばなりませんわね。財務部の者にも話を通さねばなりませんし」


「そうだな。ところでミラ、エリオットくんとは何か約束をしているのかい?」


「エリオット様とですか?」


 ブライズ侯爵は娘の顔がわずかに曇ったことを見逃さなかったが、口には出さず、ミラジェーンが話し出すのを見守った。


「来月頭にオリン公爵家の庭園を案内していただく予定です」


「来月か。……いや、いいんだ。わかった」


 それきりブライズ侯爵は何も言わず、ミラジェーンも話しかけなかった。

 彼女は新しい仕事について考えることと、羽織ったガウンの裾に施された刺繍を見つめることに忙しかった。

(義)(ルーシー)に逆らえない(エース)

***

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