日沈む時 月は昇りて 光るかな 日照らざれば 月も沈む
部屋の空気が張りつめる中、胸の奥がひどくざわつく…
『お前を手放さない』
何ゆえ、これほど胸が痛むのか…
唇を固く結ぶ
『正妻は家の顔
お前の妻は、右大臣家の行く末そのもの
その娘を正妻に迎えれば――お前は政の場にて孤立することとなろう』
『お前は甘い
その娘を正妻に据えたところで、宮中の嫉妬、家格の差、噂、子の立場――
すべてが娘を、そしてお前を苦しめよう』
『その言葉の意味を、心得ておるのか』
そう告げたのは、家の論理だけではない
暁のためだ
暁が困らぬよう、苦労せぬよう、右大臣家の嫡男として恥じぬように
右大臣家のために――
その瞬間、胸がひどく痛んだ
唇を噛む
右大臣家の…ために
香の煙が静かに揺れた
『お前は右大臣家の嫡男にて候
家の名を汚すことなく、右大臣家の人間としての誇りを胸に
恥じぬ歩みをなすのだぞ』
我は…
『右大臣家にこそ相応しき、家格も由緒も備えた姫君にて候
この御縁を得られれば、右大臣家は盤石となりましょう』
『父上の御ためとなるならば
この縁、謹んでお受けいたしましょう』
家のために
父上のために
右大臣家の嫡男として
その選択こそ正しいと信じて生きてきた
だが――
『暁様…
私は、身を引きとうございます』
『お前を手放さない』
胸が大きく揺れた
あの時も…同じであった…
『朝ぼらけ 日出づる時に 月沈む
これや定めと 知る夜の果て』
『あの月影、我が日を照らすには淡すぎたのだ』
そう言い放ち、政の道をひた走った
家の名を背負う者が、己が情に溺れるは、恥
我は、愛しておるつもりであったに過ぎぬ
愛などと申すもの、まやかしに過ぎぬと信じて
だが…違う
我は、照らせなかったのだ
静かに目を閉じる
『――私は家を捨てます』
暁
お前は、我が言えなかった言葉を言ったのだな
『夕顔を守れぬのであれば、私は嫡男である必要はございません』
我が選ばなかった道を…選ぶというのか
ふっと目を開けると
香の煙が、襖の月を霞ませる
『父上のためになるなら、私はどこへでも参ります』
従順で賢く、家のために動ける娘、朧月夜
その姿を、我は理想だと思っていた
だが、それは理想ではなかったのかもしれぬ
朧月夜は、まだ、真に心を惹かれる相手に出会っていない
だから痛まぬだけだ
もし出会ってしまえば――
あの子は、かつての我と同じ痛みを味わうだろう
そして、暁は今、それを一人で背負っている
『父上
私は右大臣家の娘にございます
帝の御前で、弱みなど見せませぬ』
弘徽殿の女御の言葉は、右大臣家に相応しい、凛々しい言葉だった
けど、あの子は孤独に沈んだ
弘徽殿の女御だけではない
『愛してくださらぬ方との結婚とは、これほど虚しきものでございましょうか』
四の君の言葉は…最後の心の叫びだったのではないか…?
我は…
子らに家を背負わせてきた
弘徽殿の女御も、四の君も、朧月夜も…そして暁までも
その背中を、子らは見て育ったのだ
我は…
父として、何を守ってきたのだろう
肝心なものを守れず、なにを守ったと言えよう
真に守るべきは
右大臣家や、右大臣家の行く末や、我ではなく
子らではないのか
宮中の嫉妬も、家格の差も、噂も、子の立場も――
右大臣家のために避けるべきものと思ってきた
だが違う
『お前一人の覚悟で守れるほど、この世は優しゅうはない』
誠に、この世は優しゅうはない
優しゅうだけでは、生きてゆけない
だからこそ
それらから子を守るのが、親なのではないのか
家のために子を犠牲にするのではなく
子のために家を使うのが…親なのではないのか
『暁
お前は娘を、愛しておるつもりに過ぎぬ
だがな――愛のみでは、女は守れぬ』
『つもりではございませぬ
私は…散らさぬために、守りとうございます』
香の煙が静かに揺れた
『朝ぼらけ 日出づる時に 月沈む
これや定めと 知る夜の果て』
我は、愛する人を守れなかった
だが――
『お前を手放さない』
暁には覚悟がある
『暁様…
あなたが家を捨てる必要などございません
私は…あなたに、そこまでさせたくない…』
そして夕顔も、また
誰かの影に隠れて生きる女ではない
『暁様…
私は、身を引きとうございます』
その覚悟がある
握りしめていた拳が、静かに解けた
沈香の香りが、深く、静かに満ちていく




