夕闇に 散らじと願う 花なれば 明けの明星 道を照らせり 1
夏の夕暮れ
熱さの中に、たまに吹くそよ風が、少しだけ心地いい
庭には夕顔の花が咲き、風に揺れていた
今日は…夕顔の花の香りの香を焚こうかな…
ここに来た頃からあった、大切そうに箱に仕舞われていた香を取り出す
物の怪で使ってから、まだ少し残っているけれど…
香炉に火を入れ、香を総て焚く
日が落ち、薄明かりが少し残る空に、煙がのぼっていった
その時、足音が近付いて、右近が顔を見せる
「暁様がお見えです」
暁…
私は立ち上がり、すぐに几帳を上げた
「夕顔」
「暁…!」
薄闇から現れた暁は、手に小さな籠を持っている
小さく首を傾げた
「暁…その籠は何?」
「夕顔に、今日は特別なものを
夏の夜は、これがよく映えるからな
君も、きっと喜ぶと思って…」
そう言って、籠の蓋を開ける
次の瞬間、黒い羽の生えた虫が一匹飛び出して来た
「ひっ…!?
いやああああああああああ!!」
「えっ、あ、夕顔…ちょ、落ち着――」
「ゴキブリーーーー!!」
「大丈夫だ夕顔、蛍だよ!」
蛍でもキモすぎるっ!
「む、虫…っ、むりむりむりむり!!
あ、暁っ…、お願い捕まえて!」
必死に袖を振り回し、裾を払い、畳を蹴って後ずさる
蛍はそんな私を追いかけるように、ふわふわと浮遊してくる
後ろへ後ろへ下がりながら、 足が何かに引っかかった
――あ
着物の裾が、乱れていた
「っわあ!」
バランスを崩し、前のめりに倒れ込む
そのまま、暁の胸元へ
「…っ!」
暁の体が、私を受け止めるように倒れた
私は暁の上に覆い被さる形になり、両手で暁の肩を押さえながら、顔を上げる
目の前には暁の顔
夕暮れの残光が、暁の頰を淡く染めている
「…ご、ごめん!」
慌てて起き上がろうとしたら、暁がそっと私の腕を掴む
「夕顔」
低い声
静かな、けれど確かな力で、暁の腕が私の背中に回ってくると
私を抱き寄せた
え…
「謝らないで…」
耳元で、息がかかる
緊張で身体が動かなくなった
「驚かせて、すまない」
自分の心臓が、どくどくと鳴っている
暁の胸の鼓動も、私の身体に伝わってくる
「う…ううん…」
声が震える
夏の夜の匂いと、暁の香が混ざって
思わずこのまま、温もりに身を委ねていたくなる
「大丈夫ですか?夕顔様…」
右近の声が、几帳の影からそっと響いた
右近は心配そうに、部屋の隅で息を潜めている
蛍の光が、右近の袖を淡く照らしていた
私は慌てて体を起こす
「だ、大丈夫よ!右近!」
声が少し上ずってしまったけど、なんとか笑顔を作って立ち上がる
足元がまだ少しふらつく
着物の裾を直し、髪を軽くかき上げて、なんとか平静を装った
暁もゆっくり身体を起こし、私の様子を確かめるように見つめてくる
「夕顔、外で少し話さないか?」
外…
暁の視線は真っ直ぐで、拒む理由が見つからなかった
「わかった」
小さく頷くと、暁は立ち上がった
暁の着物の袖が、私の袖に軽く触れる
その感触だけで、また胸がざわつく
暁は私の袖を引き、庭側の几帳を上げて、庭の方へ向かう
私は暁の後ろについて歩き出す




