第十八話 魔刃抜剣
――何が、起きた?
頭への衝撃で千々に散りかけた思考をどうにか掻き集めて復元する。そうしてようやく自分が何をされたか、その現状を認識する。
鳩尾を抉るように殴打、苦悶に身を折り畳んだところへさらに顔面を殴り飛ばされた。
――ありえナイ。
ミストクロークは今も十全に機能している。『異質人』の馬鹿力とはいえ、クロークの上から通すだけの威力を発揮できるはずがナイ。
ありえナイとユウならば、その前の段階から既にありえナイ。ヤツのミスティが使った盾、あのレベルの技ならばブラックイクス・ピースを抜ける前に破砕され、全身余すところなく血に染まってるハズだったのだ。
何より、サフィ以上に、ヘルにも同様の攻撃が効いているというのが信じ難い。数的補正が効いて階級差による制約が解除されてるとしても、さっきまでその実力差は絶対的だったのだ。パンチ一発で息を詰まらせるほどのダメージを喰らうはずがナイ。
しかし、だ。これらすべてをいっぺんに解決できる現象をサフィは知っている。
ハーモニアス・ドライヴ。
精神同調によるミスティ・オーナー相互の能力向上。
更にミスティへの『異質性』流入。
――その結論を奥歯と共に噛み潰す。
それが答えとわかっていても。
それ以外にナイと気付いていても。
認められナイことがある。
倒れる寸前の身体で首だけ持ち上げ、未だブレる視界でキリンを睨み据える。
はじめて見た時から、とことん気に入らない女。
何がどうという細かい理屈ではナイ。嫌だ、それだけ。
お前なんぞが、サフィのいるところに昇ってくるな!
しかし睨むだけではヤツの動きは止まらナイ。追い討ちの拳を振り上げて、
がくっと、その膝が折れた。
H・D切れの反動か!
突然の脱力に頭の中が疑問符で埋まった顔。その隙を逃さず左腕を振り上げ、
その腕が衝撃で弾き返される。熱い痛みと共に手からフォークが零れ落ちる。
――コ、コロ。
その名は声にならなかった。左手に構えたデリンジャーの銃口から硝煙が昇っている。
待て、どういう事だ? ヤツの銃は落とした後拾われていないハズ――
「はじめから二丁持ってた、それだけよ」
顔に現れた疑問への簡潔明瞭な答えを聞きながらサフィは背中から落下した。更に迫ってくる動体の気配。おそらくアライエス。
ギンッと噛み合う剣戟音。
「ジャッ!」
ダメージから復帰したヘルビーストが双刃を振るう。くい止めてる間に転がり地に手を着く。
「まだよ、クラウドッ!」
雷雲に電光が瞬く。バチンッと全身が跳ねた。
「ギッ……!」
パツンと意識が断絶しかかった。けど甘い。その程度に電圧を抑える必要なんてナイ。さっきだって腕じゃなく体を撃ち抜けば手っ取り早かった。なんだかんだ言っても同じカタチをした生き物を直接手に掛けることに抵抗があるか。
バカにする気はナイ。ミスティを殺しても結局オーナーは死ぬのだからソレはエゴでしかナイ。しかし、理屈はその通りでも無意識に、あるいは本能的にソレを避けるのは実に真っ当であり、人間的でもある。貶すのは人間性の否定だ。誇るべきエゴであり、甘さだ。
もっともコーリたちはソコから目を背けないが。ソレは強靭な意思力の為せる業であり、サフィのようにただ効率性から選択するのは単なる麻痺、戦場慣れでしかない。
しかしだ、戦場は甘さより慣れが必要。誇りよりも堕落を取り、生きる。
サフィは人間を殺せるぞ。
「ジャッ!」
「ンメッ」
ヘルがアライエスを蹴り上げ引き剥がす。同時にハモり、“初速度”で一気に距離を取る。
「しまっ――」
「A・EX!」
宣言とともに黒十字が敷かれる。マグレは二度続かない、高威力のFAへと繋げて確実に仕留める。
……マグレでも発動したという事実からは目を逸らし、ひき潰す為腕を振り下ろ――
バリンと。黒十字が砕かれた。
「!?」
自壊ではなく、発動前に壊された。
何故? 敵は全員視界に納まってる、ヤツらが何かをした様子はナイ。ソレ以前に、一体何が刃を壊した? サフィの目には何も映って――
ぎゅるりと、ヘルの身体に何かが巻きつき、拘束される。
コレ、は――
「――アライエス、FA発動!」
「ンメェエエエ!!」
絶好の勝機を逃さずアライエスが駆け出し、雷電を纏った槍角をヘルへと突き立てんとする!
回避不可、防御も不可! 拘束を力づくで破ろうにも時間が足りず、しかも今の不意打ちでH・Dが解けて能力減退、溜めていたエネルギーは霧散――
「…………」
霧散、してナイ。
ソレを察した瞬間、腹は決まった。
「ヘル、スマン」
「ジャ……」
H・D状態解放からの脱力の中、FA発動用に高めていたエネルギーだけはどうにか拡散させずに留めていたのだ。しかしだからといって即座にFAが発動できる状態ではナイ。現状ソノエネルギーの有効活用法はただ一つ。
電光の火花散る角が間近までヘルの眼前へ迫る中、ポツリと、言った。
「解き放て」
シンプルな、ただの爆発が起きた。
「ンメェェッ!?」
「グウッ!」
至近にいたサフィとアライエスが爆圧で吹っ飛ばされる。ヘルに向かって来ていたアライエスと違って咄嗟に逆方向へ跳んだが、流石FAの暴発、威力が半端ではナイ。
それでも蹲ったままを良しとせず、満足に動かない両腕の痛みを堪えながら上半身を起こす。
「ヘル……ヘルッ!」
土煙の中様子の全く分からないヘルの名を叫ぶ。いわば自爆だ、無事なはずがナイことなど分かってる。ソレでも、まだ休ませてやるワケにはいかナイ。
キリン、プルディノ――H・D解除時の反動から倒れ、そのまま気をやり昏倒中。
アライエス――爆風により戦闘不能。ココロ――アライエスの介抱中。元々単独での戦闘力は低い。
全員が満身創痍であり、最早戦闘を継続するのは不可能に近い。ソレでも誰が有利かを問うならば、場数が圧倒的に違うサフィの優位は動かナイ。十分な時間があれば愚昧な女の寝首を掻き切るくらいのことはできるだろう。
だが、ソレも無傷の乱入者がいなければの話。
「皆さんには悪いことをしてしまいますが」
頭上から降ってくる声。そこには空中に腰掛ける女と、
「美味しい場面を頂いてしまいますね」
襤褸のマントを羽負った、人型の虫。
「杏李先輩!」
「イセクザイス……!」
舌打ちする。コイツがココにいるということは……。
「はい。私を足止めされていた方は――」
アンリはひらり、と舞い降りて、
ずるり、と滑ってべちゃり、と転んだ。
「「「…………」」」
アンリはよいせ、と立ち上がると服に着いた泥を払い、
「今頃土の上でぐっすりお休みしておられると思いますよ」
何事もなかったかのように胡散臭い笑みで続けた。
「ここまで清々しいと突っ込む気も起きないわね……」
「ハッ、所詮ひとグラム幾らノ安物贅肉だナ。……デ、何しに来タ?」
クライヴがやられたか。惜しいな、調査能力が高く使い勝手のいいヤツだったのに。
サフィはコノ女をまったく評価していナイが、警戒はしている。認めがたいが不覚を取った事実もある、毒蛇のようなヤツだ。
が、ソレはソレとして、何故コイツはココにいる?
「サフィハコーリを追う足止めさセてたつもりだったガ……何故、貴様はコッチへ来タ?」
「それが私のお仕事だからですよ」
そう言って体の向きをサフィからココロに変えると、ペコリと頭を下げた。
「まずはお礼を。お勤めご苦労様でした、こころん」
「……いえ、あたしが任されたのは周防君の観察ですから、この状況は不足もいいところです」
そう憮然として告げたココロだったが、それにアンリは首を振る。
「はい。確かにそちらに関しては十分な成果を得られませんでしたと言わざるを得ません。ですが、それに変わるだけの十分なお仕事を果たしていただけました。私本来のお仕事を代行していただく、という」
「本来の、ダト?」
サフィと同様、ココロも眉を顰めた。思う所は同じだろう。
コイツ、コーリの監視役じゃなかったのか?
「今回のこーりんの誘導はあくまで臨時任務、お仕事としては私はこーりんに基本ノータッチなのですよ」
「……そういえば言ってましたね、この依頼は独断だって」
「フン、コーリを嗅ぎ回って何ヲ考えていル貴様」
「あらあら、気にならない方がおかしいと思われるのですけど。なんといっても『最高のオーナー』さんで『最強のミスティ』さんですから」
実に当たり障りのない答えだ、気に入らん。
「――というわけでサメさん。私の本来のお仕事、桜井輝燐さんの護衛を果たさせて頂きます」
何、と思う間もなく。
両腕を不可視の何かに殴られた。
「グオオオオッ!」
コ、イツッ、折られた腕と撃たれた腕をッ!
「弱点を攻めるのは基本中の基本、ですよね?」
さらに下半身がズルリ、と下方に引っ張られる。感触もナイものに掴まれてるとユウ感覚は相変わらず気味が悪い。
「キ、サマッ」
そのまま足が宙へ持ち上げられる。いつものパターンだ。原因など今さら探るまでもナイ。
「機動力を削ぐのも基本です。特に素早い方にはとても有効……とは、サメさんには今さら語るまでもありませんね」
余裕の表情で自分の優位を示してくる。したり顔が実にムカつく。
……が、もっとも腹立たしいのはそんなことじゃない。
「……オイ、キサマ」
海老反りの傍目に滑稽な格好で睨み据える。
「何でしょうか、とお伺いする前に、その無様なご格好を直される事をお勧めしますよ?」
とこんな格好をさせている張本人がいけしゃあしゃあと嘲笑う。
「ナニ、キサマとユウ人間ほど無様でもナイ。遠慮ナク続けさせテもらおウ」
コチラも嘲笑う。ヤツの胡散臭い笑顔はまるで揺らがない。
「……ダレがサメだ?」
「……はい?」
揺らがなかったが、傾けはさせた。しかしすぐに、
「お似合いではないですか、鮫さんのように獰猛で――」
皆まで言わせず、手首のスナップだけで石ころを投射した。見えない糸に阻まれるが、ヤツの汚い口さえ塞げれば十分だ。
グイと更に足が引っ張られるがその程度でコノ怒りが収まるか。
「盗っ人ガ。正しイ意味も理解していナイ。サフィの友を貶めルソノ行為、万死に値すル」
「……何を仰っておられるのかまるで分かりません。負け犬さんの遠吠えにお付き合いする程暇ではありませんので――」
ドサッと足下で音がした。……参ったな、衝撃が腕にまで伝わって痛い。
「……糸が?」
そしてアンリは未だ舞い上がる土煙へと視線を向ける。サフィの頭上を通過した黒い刃が飛び出した元へ。
煙の中から全身に裂傷を作ったヘルビーストが現れる。
「まだ動けたのですか」
ふう、と呆れたように零すアンリ。満身創痍のヘルを脅威とは認識していナイらしいな。
だが、貴様が気にするべきはヘルの怪我ではなく、黒刃が念の糸を断ち切った事実だ。
「(と、お考えなのでしょうが)」
二本の刃を振るいNAを投擲、アンリとイセクザイス両方を狙う。
「(別に初めてのことでもありませんし、元々頑丈とは縁がない技ですので)」
しかしアンリは動じた様子もなく手をスッと差し出す。
「(正面からぶつけて消されるなら横腹からぶつけるだけです。操作性はこちらが上ですから)」
すると二枚の刃は呆気なく、空中でバリンと砕けた。
「(もう一度拘束して、意識を落としたら今度こそおしまい、です。締め落とすのは出来ませんから、お腹を殴ればよいでしょうか?)」
チッ、相変わらず見えないというのは厄介だな。今どこまで糸が迫っているのかまったく読めナイ。パターン通りならもう一度サフィを縛りにかかってくるのだろうが、ソレがわかっていても回避も迎撃も出来ナイ。
「(というのが今まででしたが、あの黒い刃ならば糸を散らせるようですし、迎撃は可能でしょう。ただし、)」
糸の場所が分かれば、の話だが。さらに刃を飛ばしても何度でも粉砕される。捕まった後なら糸の位置は確定してるが、そもそも糸を切ることが目的じゃあナイ。アイツらまで届かナイことが問題なのだ。
「(とはいえ、少々面倒ですね。あの刃を迎え撃っている間にサメさんが起き上がってしまいましたし。それでは……)」
「様子見は終わりにしましょう」
その一言と共に膠着状態はあっさり終わりを告げた。腕の振り始めを見計らったタイミングで、ヘルの腹に衝撃が叩き込まれた。
「……!」
体勢が崩れ、黒刃はあらぬ方向へ飛んでいく。その隙に二発、三発と衝撃――糸の連打が打ち込まれた。
クソッ、ヤツの攻撃力自体は高くナイ。だが先の通り見えなくては備えようもナイし、何よりヘルの負傷は既に大きい。
そして本命は――
ダンッと地を蹴り、念の為ヘルと反対方向へ移動した。
「流石に簡単に二度も捕まえられませんか」
チッ、やはりか。
ヤツの糸には本数制限がある。ヘルを足止めしながら残る糸で高速機動するサフィを捕まえようとするならサフィの動きの先を読み切らねばならナイが、ヤツにそんな戦闘センスはナイ。
だが、ならば――
「(腕が死んでおられるサメさんは最早戦力とはなり得ません。ならば放置するのも一つの手)」
振ろうとしたヘルの腕に急制動がかかった。間違いない、掴まれた。もう片腕の刃を黒く染め断ち切ろうとするも、そちらの腕にもグッと鈍い抵抗。
「(ミスティを拘束。それでもうサメさんに打つ手はありません)」
ここで拘束を許せば、負けだ。
……ヘルの偽装は解いている。その上でアノ下郎にコレ以上でかい顔をさせたとあっては、オネーサマにもコーリにも顔向けできナイ。
「アァ――様子見は終わりダ」
ズドン、と地面が震えた。その震源は一本の杭。
地面に打ち込まれた杭、ではなく地面からヘルの眼前へ飛び出した杭。
「……え?」
アンリの顔から笑みが消えた。さっき糸を切った時のきょとんとした顔とは比べ物にならナイ、目を見開くという驚愕の表情によって。
サフィには何も見えナイ。だが、何が起きたか、予想は出来る。
ヘルが、一切何の束縛も受けていナイ腕で杭を掴む。
いや、杭ではない。柄だ。
「――抜剣」
腕に力を込める。ピシリと、杭の飛び出た場所から地面へ亀裂が入り、前へ伸びる。
腕を振り上げた。亀裂を広げ、地を吹き飛ばし、
ヘルの背を優に超す長大な石剣が抜き放たれる。
「……そんな、糸が、触れてもいないのに」
消えた、のだろう。ソレはそうだ、見えナイ触れナイ存在していナイ、そんな曖昧な力なのだ。
本物に触れれば容易く霧散する。
「言っただろウ、貴様ハ唾棄すべき雑輩だガ警戒に値すル存在だ、ト」
ン、言ってナイか?
「故に出し惜しみはせン。ドノみちヘルビーストヲ見られタ。貴様トの腐れ縁もコレまでダ」
両腕で構え、突き付ける。
「『魔剣』ティターン――貴様の墓標にハ過ぎたルシロモノだゾ?」
出だしは上々。まさに出鼻を挫く一撃の後は予想通り、
あっさり追い込まれていた。もちろん俺たちが。
「まあ、当然か」
一応簡単にやられないよう小細工はしている。歯の散弾でまとめてやられないよう、常にスペイラーを二人で挟む位置取りをするとか、遠距離攻撃を使わせないようどっちかは接近して張り付いてるとか。とにかく向こうの長所を殺しこちらの利点を活かすやり方でどうにか喰らいついてる。
しかし、それで致命的な問題――こちらの攻撃が通らないという決定的な問題が解決したわけではない。技などなくてもそもそもの体格差が段違いなのだ。俺一人なら――あくまで俺一人、レリも抜きなら――もうあっさりあの強靭な顎に食い千切られてたんじゃないだろうか。
というか、俺の相方が獅子堂じゃなければ、という方が正しいか。
「――ふっ!」
ガチンと閉まる顎を躱して懐に飛び込んだ獅子堂。そのまま殴りつければこちらの手がイカレる鮫肌に対し打った手は、
「はっ!」
信じられないことに、投げ。接触は最低限、そっと触れる程度。相手の勢いを利用する、合気道。
実際にあの巨体が宙を舞った時は目を疑った。高所からの落下はそれなりのダメージにもなった。
しかし。
「くっ」
獅子堂の手がスペイラーに触れて、触れたまま止まる。スペイラーの身体が体勢を崩して浮き上がることはなかった。
根の足がアンカーになっている。もう飛ばない。転びもしない。
密着したままの体勢は、向こうが少し動いただけで削られる危険な状態だ。
それがわかっているから、獅子堂は即座にスペイラーの身体を蹴り足場として跳躍、離脱する。
……いよいよ打てる手がなくなってきた。
焦りが顔に出てないだろうか。悟られるのは不味い。
ここまで俺たちが保っているのは先の戦いの印象があって慎重になっているからだ。俺より獅子堂が攻めてくる割合が高いのも、俺がとどめの役割だから、と思ってるに違いない。事実、奴の警戒心は獅子堂より俺に高く割り振られてる。
それが、今の戦いを経て徐々に変化してきている。俺への危険意識が徐々に下がってきている。それが俺たちの狙いなら見事術中に嵌っていると喜べたんだろうが、無論そんなはずはない。
決断を迫られてる。
獅子堂の前に、レリを見せるか否か。
今までならこんな二者択一自体出て来なかった。強いて見せる気もないし隠しもするが、必要なら仕方ない。万一見られたところで俺たちの障害にならなきゃそれでいい。そのスタンス自体は今でも変わっていない。
では、現状獅子堂に知られることの何が問題なのか?
獅子堂の『レオンハルト』会長の娘という立場? いやいや、そんなもん俺が気にかけてやる義理はない。
獅子堂がミスティを追っているという事情? 確かに根掘り葉掘り聞かれるのは面倒だが、いっそ全部ぶちまけちまえば逆に解放されるとも言える。
状況の問題じゃあない。もっと根本的な――そう、獅子堂という人間に知られることが、何か思いもよらない現象の引鉄になってしまうような、そんな不安があるのだ。
「…………」
やはりこちらの方がいいか。さっき切り損ねた『札』。
問題は一発勝負ってこと。二度目はない。使わない、と決めている。
警戒されている状況で、確実に当てられるか? 決定打だが致命打ではないっていう微妙な匙加減の一撃を。当てるだけなら一の札より三の札だが、あれにそれ程の威力は期待できねえしな。
それに……あの視線だ。
“Ripple”に掛かったものじゃない。気のせいだと切って捨ててもいいようなぼんやりしたもの。
それでいて粘つくような、どろりとした……『悪意』そのもの。
そうか。あれが『それ』なのか。何の確証もないが、該当する存在に心当たりがある以上、最早勘違いと切り捨てるわけにはいかない。
だとすればあそこで腕を止めたのは正解だったと言っていいだろう。何故なら、そもそもが『そいつら』に対しての『隠し札』なのだから。正直、生きてる間に関わりたいと思ったことは微塵も無いが。
しかし、くそ。そうとわかってりゃ、こっちを放棄してでも視線の元へ向かってたってのに。関わりたいと思わないが、いると分かってて放置もできない、面倒臭過ぎる存在。マジ死んでくれ。
ともかく、そんなのに見られてると考えると迂闊には切れない。大体、今だって妙な感じがするのだ。さっきからの首を傾げたくなるような変な感覚。
……ああ、業腹なことに、あの視線の事を思い返したおかげで、この感覚の正体に辿り着けた。
何か、いる。
いや、いない。
しかし、いる。
要するにだ、非常に単純な理屈なのだが、“Ripple”の探査能力を上回る隠形能力を持った何者かがいる。それだけだ。
その裏付けと言っちゃ何だが、というか今気付いたんだが。
メルフィンが、消えていた。
……おい、おいおいおい。マジでいつの間に? この場の誰も、これだけ近づかれて気付かなかったってのか?
シュバッ
「――っとぉ!」
気が散っていたところへ飛んで来た牙をどうにか躱す。ヒヤリとするタイミングだ、やっぱ他の事に気回す余裕なんて無い相手だ。
つーかさっさと決めろ、いつもは即断即決してるくせに。回答保留が出来る状況でもないんだぞ。
そうして俺が迷ってる間に、流石獅子堂、俺へと矛先を向けたスペイラーの隙を突いて懐に入り込み、拳を密着させた……って、おまっ!
獅子堂の腕がブレるのとスペイラーが身体を振り回すのは傍から見て同時だった。
「――!」
獅子堂の拳が削られ、巨体に跳ね飛ばされる。スペイラーは、衝撃の伝達が不十分だったようだ、それ程のダメージがあったようには見えない。あるいは、ただ単にグレートクラスとレギュラークラスの耐久力の差か。
とにかく――不味い。
跳ね飛ばされて倒れた獅子堂――死に体だ。わざわざ飛ばすまでも無く、噛み付くだけであの牙は獅子堂の身体を食い千切るだろう。
俺の現状認識が甘かったか。実に見え透いていた展開だったが、それでも一か八か強行しなければならない程既に追い詰められてたか。
もう隠れてる奴がどうこう言ってる場合じゃない。大体そんな事言ってたらこれからずっと使うべき場面で使えなくなる。
一撃で決める――決まらなくても目の前の凶行は阻止する。
「『サルベージ』開始――終了、一の札」
――その時だ。
獅子堂が、腕をばっと振り上げた。
真っ直ぐ、指先まで真っ直ぐ。
それだけの、今までの高い格闘技術に比べたらなんてことのない一動作。
駆け抜けた死のビジョンに、即刻攻撃姿勢を解いて退避を優先した。
「――はあっ……!!」
な、んだ今のは……!
全力で飛び退いた。呼吸が乱れてる。冷や汗が止まらない。
それは、どうやら俺だけではなかったらしく、スペイラーの姿も元いた位置から大きく動いていた。元の場所に残されていたのは、枯れ木。そういう技か、と思いつつも頭の隅に追いやる。
視線は、どうしても獅子堂から外せなかった。
あの『化け物』から、外しようがなかった。
……『化け物』?
――瞬間、全て『理解』した。
ああ、成程。どうして今まで『理解』らなかったんだ。
お前は、俺と同じ――
全て『理解』した。
故に、この瞬間より疑問自体を消失する。
疑問視していた事実自体を喪失する。
『理解』したまま、しかし根本の理由を想起する事は無い。
『人間』として在るために。
経過時間零秒。忘我より舞い戻る。
「……あ」
獅子堂の口からか細い声が漏れた。
視線が振り上げた己の手に向かい、その腕がぶるりと震えた。
「――ッ!!」
バッと腕を抱え込むように引っ込める。今まで終始乱れなかった獅子堂の感情が怯えと忌避感で揺らいでいる。
その明らかな狼狽ぶりに、安全圏まで退避していたスペイラーが口を開く。
「クソッ!」
駆け出した。今から再度一の札を切ろうとしても射出の方が早い。獅子堂の元に辿り着くより牙が届く方が速い。
どちらにしても手遅れなら、動揺したまま見出した隙へ反射的に技を放った、その隙が失われないうちにスペイラーを仕留めるのがベターのはずだ。
だっていうのに、俺の脚は獅子堂の方へ向かっている。
「こ、っの馬鹿ッ!」
獅子堂の揺らぎはもう治まっている。なのに動こうとしないのは、もう牙が放たれているからだ。
つまり、何をしても無駄。間に合わない。
むしろその瞳は俺を非難していた。なんでこっちに来るの、馬鹿。
知るか、俺が知りたいくらいだ。なんで俺がこんな必死にならなきゃなんねえんだ。もう少し足掻け、お前みてえな無双キャラがあっさり死ぬ訳ねえだろ。
ああくそ、実に面倒だ、面倒極まりないぞお前。このまま死んでくれた方がはっきり言ってありがたい。
しかし見捨てようという気が沸いてこないのは、好きとか嫌いとかいう話とはまったくの別次元で。
全然、
ちっとも、
これっぽっちも、
他人事に見えねえんだよふざけんなッ!!
二の札――『サルベージ』開始!
――“V-zero”!
急停止――急発進!
飛び込む。獅子堂を突き飛ばし、
「ぐっ!」
勢いのまま転がって牙の勢力圏から脱出する、はずだったが流石に万事上手くは運ばなかった。
「周防さん!?」
立てない。鮫の歯に脚を抉られた。ああくそ、痛いのは嫌いだって言ってんのに。まあ、二の札を切るのがもう少し遅れてたら体丸ごとで盾になるしかなかった訳だからまだマシと考えよう、無理にでも。
いや、しかし本当奇跡的な引き揚げの速さ。そんなに相性がいい『異質性』でもないし、初めて使ったってのによくこんな簡単に見つかったな。まるで前から知ってる『異質性』みたいだ、
と割とどうでもいいことを考えてたら突如襟首を引っ掴まれて引き摺られ、ズタボロの脚に地面がガリガリってうぎゃあ!?
「おま、怪我人には、もっと、優しく、」
「自業自得よバカ!」
まあ、実際問題としてまだ続いている牙の掃射から逃げるのに、お荷物への配慮を求めるのは無理があるんだろうけど。
ガガガと爪先の先を削る牙。肝の冷える思いをしているとさらにぐいと引かれそのまま投げられる。
「ぐえ」
背中から落とされる。一秒も待たずに獅子堂が飛び込んでくる。バリバリと牙が木材を削る音が聞こえる。
社の陰。少しは保つだろう、スペイラーがあそこから動かないとしてだが。
獅子堂が乱れた息を整えて、冷やかに俺を睨んだ。
「……周防さんがこんなに甘いと思わなかったよ」
「そりゃ一緒に戦ってんだから、放っとかねえよ」
「「構わないで」って意思は伝わってたと思うんだけど」
「ああそーだったのか、そいつは分かりませんでしたなあ」
とぼけてみせると獅子堂の眉がピクリと跳ねた。ここにきてチームワークっぽいものが崩壊の危機。
「大体、逆の立場だったら絶対見捨てないだろ、お前」
「私は先輩だ、当たり前だろう」
「同い年だ、知ってるだろ」
っつか危機が去ったワケでもねえのに随分と余裕だな、俺ら。
「まあ、せっかく無傷で済んだ訳だから、後は私がなんとかしてあげるよ」
「……ツンデレ?」
「周防さんを盾にして突っ込むってどうかな? 二度目だし別に構わないよね?」
「やめてくださいお願いします」
「やらないよ。……死んでほしくなんか、ないし」
そう言ってしゃがみ、俺の脚をそっと触る獅子堂の目は、既に怒りよりも慈愛の色が濃くなっていた。
「酷いね。……治るかな」
「まあ、どうにでもなると思う」
今だって痛みを無視すれば歩けないでもないし。もう一度二の札を切るより鳳に頼むのが安牌かな。借りは作りたくねえんだけどなあ。
「そんな風に言わないでよ……」
しかし獅子堂はこれを自棄的な台詞と受け取ったらしく、わずかに潤んだ上目遣いで見つめてきた。
や、待って、ちょっと待って、近い、顔近い! お前、密かに可愛い系の顔してんだからそーゆーオトコゴコロくすぐる表情はやめなさいって! しかも杏李先輩あたりと違って完全に素だろうし!
このままノリでキスとかしたら、さっきのが冗談じゃ済まなくなるんだろうなあ……。
「……何か不埒なこと考えてるでしょ」
ギャー! いつの間にかジト目になってる! だから心読むんじゃねえ!
「ナンノコトデショ」
愛想笑いで視線を逸らす。と、
パンッ!
と頭上で木片が弾けた。チッ、もう限界か。
「思ったより稼げたな。丈夫な木材使ってたのかね。――少しは休めたか?」
「そこそこ。体力が尽きるまで全力で動けるくらいには」
「それはデフォルトだろ」
スタミナが減ったから運動量も落ちる、って図式がこいつに通用するハズがない。疲労如何に関わらず、本気で動けば最大のパフォーマンスが可能。そういう性質だ、俺たちは。
「それで、勝てそうか?」
よっ、と立ち上がる。あー、痛い。しかし足は繋がってる。なら動けない訳じゃない。いつまでも寝っ転んでいられる状況でもないし。
しかし性能は落ちてる。獅子堂のサポート役程度も務まるかどうか。
だから、これから獅子堂は実質一人でスペイラーを打倒しなくてはならない。
この質問はそういう意図だ。ここで獅子堂が「無理だ」と言うようなら、俺はどうにか獅子堂を撤退させなくてはならない。
俺自身にはここで逃げの選択肢は無い。俺から売った喧嘩だし、むしろ一人になった方がレリが出てくる分かえって楽になるとも言える。
それに、初めから撤退はなしと決めていた。ここで逃げたらもうこいつと遭う機会は無いだろう。こいつを還すのが俺の責任なんだから……いや、そっか。責任はないんだった。ん? ということは、別に逃げてもいいのか? やられっぱなしで済ます気なんかねーぜ、って熱血っぽい思考は持ち合わせが無いし。
「もちろん、勝つよ。やられっぱなしは性に合わないの」
あー、さいですか。んじゃ、俺も逃げる訳にはいかないな。流石に共闘してるヤツ見捨ててまで逃げるのは、人間として間違ってるだろう。
「で、具体的にどうする?」
「動けなくなるまで殴り続ける」
「わぁお、バイオレンス」
無策この上ねえ。特攻と言い換えても差し支えない。だが同時に、やれそうだ、とも思う。鮫肌が攻撃のカウンターになるのが厄介なだけで防御力自体が高いワケじゃない。つまり、
「こっちの被害を省みなければ十分イケるよ」
平然と言ってくれちゃいました。……まあ、出来ない訳ではないだろうが。
「無茶には違いないだろ」
十中八九先に腕が潰れる。もっとも、潰れた腕で殴り続けるんだろうが。
それに無防備で殴らせてくれるワケがない。向こうの攻撃を喰らわず殴り続ける、という今までの展開からして何とも難易度の高い要求を通さなけりゃならない。
「無茶をせずに済ませようなんて甘いよ」
「ここが無茶すべき場面ならな」
出来る出来ないで言うなら出来るだろう。しかし払う代償に見合うものでは決してない。
ショートカットが必要だ。こちらの被害を出来る限り減らせるものは……
……先ほどの思考。責任は無い。つまり初期条件が変わった、いや間違っていたと言ってしまおう。
なら、課した制限も間違っている?
この状況に対して、どこまでの使用が妥当だと考える?
そこまで思考して、身を低くした獅子堂に足払いを掛けられた。いや、傷口を蹴られたと言っていい。流石に耐えられずしゃがみこむ。
文句が飛び出る前に頭上を横一線、散弾が薙いだ。
木片が社の内側へパラパラと落ちる。
「いつの間に――!?」
獅子堂が社と反対側を向く。
社を挟んで掃射を行っていたはずのスペイラーが大口を開けて突っ込んでくる。
すぐさま身構える獅子堂と違って俺は痛みもあってすぐには立てない。もっとマシな助け方はなかったのか、おい。
獅子堂が迎撃に呼気を整える。と同時に、
カタ、と音がした。
小さな音だった。
何故か耳に残って音源を振り向くと、破られた社の壁、そこから何か棒のようなものが覗いていた。
壁に斜めに倒れ掛かって頭だけ外に飛び出している状態。と、バキ、と棒が寄りかかる壁――木の板が根元から割れた。
支えを失い、外に転がり出る棒。頭から地に落ち、そこを支点に前転、獅子堂の足元でパタリと倒れる。
……何だ、今のは? 何だ、と言うならこの状況で棒一本の動きをわざわざ注視してる俺こそ何だ、と言いたいが、それより今の妙な動きは何なんだ? 力学上到底あり得ない、って動きをしてここまで転んでこなかったか? そんな動きをするものに心当たりは山ほどあるが、ではこの棒には何が力を加えてこうなった?
と、ここでようやく間違いに気付く。棒状のそれは外側こそ白木であるものの、牙が当たって削れたのだろう、その中には一本の鉄が通っている。さらに、持ち手からその鉄を抜けるようになっているらしく、つまり、
「……刀?」
自分の足元にそれがあることに気付いた獅子堂が目を見開いていた。
獅子堂と刀。その組み合わせが。
俺の瞳には、どうしても歓迎できるものとは映らなかった。
第3章完結まであと3話! 次回、サフィ戦決着!