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第三話 聖人は給料日に焼肉を食べる

 ザ……ッ。冷気が周囲の空気を一瞬で凍りつかせる。(……え? なになに、なんで急にこんなに寒くなるの!?まさかまた緊急のトラブル案件!?)俺が固まった瞬間、頭上のオークの枝から、漆黒の装束に身を包んだ「異形の刺客たち」が、殺気を剥き出しにして無音で舞い降りてきたのだった――。「死ねッ!聖女の右腕――ッ!!」毒塗りの漆黒の短剣が、俺の無防備な首筋目掛けて最速の軌道で突き出される。「うわあああッ!?なに!? 蜂!?スズメバチ!?いやなんか黒いデカい奴きたぁぁあッ!?害虫撃退スプレーはどこだぁぁッ!?」俺は本能的な恐怖のまま、立ち上がろうとした勢いを殺し切れず、すてーん!と盛大に足をもつれさせて後ろへ転倒した。その拍子に、重厚な鉄の肩当てが猛烈な勢いで上空へ跳ね上がる。キンッ―――ッ!!「ぐあぁッ!?」刺客のひとりが突き出した短剣は、俺が転んだことで完璧に空を切り、跳ね上がった俺の肩甲の角に直撃。強烈な金属音が響き渡り、衝撃で刺客の首骨が嫌な音を立てて激しく震えた。「な……なに屈!?我が極意『影縫いの一撃』を……体勢を崩したフリをして、無構えのまま完璧にカウンターで撃ち返しただと……!?」「ひ、ヒィィッ!? なんだよお前ら!?飛び込みの訪問販売ならお断りだぞ!!うわっ、来るな!寄るな!警察呼ぶぞ!異世界の警察ってどこにいるんだよ!!」パニックになった俺が、もがきながら地べたで足をバタバタと暴れさせると、偶然にも重い鉄靴のカカトが二人目の刺客の股間をピンポイントで強打した。



ドゴォッ!!



 「ぐふぅッッ……!!?」二人目の刺客は白目を剥き、股間を押さえて泡を吹いて卒倒。それを見たリーダー格の刺客が、顔面を真っ青にして数メートル後ろへ飛び退いた。(バ、化け物か……!無防備な二度寝の姿そのものが、我が部隊を呼び寄せる死の罠(トラップ)だったというのか……!一歩も動かず、あくび混じりに我が部隊の精鋭二人を瞬殺……ッ!!)「お、覚えておれ……!聖女の右腕アーカイブ・プロトコル……ッ!!」刺客たちは虫の息の仲間を担ぎ上げると、まるで化け物から逃げ惑う蜘蛛の子を散らすような勢いで、煙玉を焚いて立ち去っていった。……数秒の沈黙。「……なんだったんだ、今の?新種のクマか?いや、なんか黒い服着てたし……噂に聞く異世界の反社会的な宗教勧誘か何かか?『今なら壺を買うと幸せになれます』みたいなやつか!?恐ろしいな異世界……いきなり叩き起こして襲いかかってくるとか、コンプライアンスどうなってんだよ!前世のブラック企業のクレーム客だって、もうちょっと話を聞いてくれたぞ!あー怖かった、マジで心臓止まるかと思ったわ!」俺はズボンの泥を払い、ブツブツと文句を言いながら立ち上がった。敵が勝手に自滅して逃げ去ったことすら気づかず、俺は「あー、マジで驚いた」と溜め息を吐き、そのまま村の方へと歩き出したのだった。「……あの丘にいる聖女の右腕のお方は、常にこの村全体を見渡せる位置で我々を守っておられるのじゃ……!」「なんと……! あのような高所から、村の隅々まで目を光らせておられるとは……!」「今しがたも、帝国から放たれた極悪な影の刺客集団を一瞬で、指一本動かさずに退けられたそうだぞ……!」澄み渡る秋晴れの下。アルヴェリア王都の麓にある賑やかな農村にて、村人たちが丘の上を見上げ、神々しさに震えながら感嘆の声を上げていた。視線をぐっと引き、その先にある大樹の木陰を捉えると、当の本人は豪快に口を開けて芝生に寝そべり、盛大なあくびを噛み殺しているところだった。



「……ふぁあぁ……。あー、平和だなぁ」



 アーカイブ・プロトコル(二十九歳・元サラリーマン)は、頭の後ろで手を組み、ぼんやりと空を眺めていた。刺客に襲われたことなど「変な害虫が飛んできた」程度にしか思っていない。彼の頭の中を占めているのは、ただ一つ。「ふふふ……今日……ついに、初の給料日なんだよな……!いやー、素晴らしいね!労働(昼寝)の対価としてお金がもらえるなんて、前世では絶対にあり得なかった夢のようなシステムだよ!」前の世界での俺の社畜生活は、まさに惨憺たるものだった。 毎月手取り十数万円。残業時間は月百時間を余裕で超えていたのに、「みなし残業手当」という魔法の言葉で揉み消され、手元に残る残業代はゼロ。毎月二十五日の給料日になっても、口座から引落とされる家賃、光熱費、クレカの請求額に怯え、手元に残った数千円で食パンとカップ麺を貪る日々だったのだ。「だが、この異世界は違う!『聖女の右腕』という謎の役職(ただの居座り)に就いた結果、今日支給されたのが……これだッ!」俺は胸ポケットから、ズシリと重い革袋を取り出し、中でチャリンと鳴る金属音に耳をすませた。中身は眩いばかりの銀貨と金貨の山である。「素晴らしい……最高だ!日本円に換算したら、たった一ヶ月で五十万……いや百万円以上はあるぞ!?前世の俺の半年分の給料より多いじゃないか!しかも仕事内容は『木陰で待機』だぞ!?これぞ完璧な不労所得!ブラック企業で使い潰された俺への、神様からの遅すぎたボーナスなんだよ!」俺は一人でニヤニヤしながら、革袋を愛おしそうに頬擦りした。「よし……。今日の夜は、絶対に食うぞ。……焼肉を!絶対に焼肉だ!!前世の俺は給料日だろうが、スーパーの半額シールが貼られた硬い豚コマ肉で我慢してたんだ!でも今の俺には金がある! この異世界で一番高い肉を腹いっぱい食ってやるんだ!!」異世界に来てからというもの、提供されるのは日持ちする干し肉と固いパン、それと薄いスープばかりだった。肉を……ジューシーな肉をタレに絡めて、温かい白飯(またはそれに類する穀物)と一緒に口の中へかきこむ!それこそが、元サラリーマン・アーカイブが抱く唯一にして最大の野望であった。



 その日の夜。王都の路地裏に店を構える、活気溢れる大衆酒場グリム亭。ジューッ……!!香ばしい煙と、脂が爆ぜる極上の音が店内に充満していた。鉄板の上で焼かれているのは、この地方で捕れる高級魔導獣『赤角牛』の最高級バラ肉。適度に入ったサシが熱で溶け出し、秘伝のニンニク醤油タレと合わさって悪魔的な香りを放っている。「う、うまままーいッ!!!」アーカイブは熱々の肉を口に放り込み、感涙にむせんでいた。「なんだこれ……!柔らかい!噛んだ瞬間に上質な脂と肉汁がジュワッと口いっぱいに広がる……! タレの濃さも絶妙だ!ニンニクが効いていて、ご飯が……いや、この異世界の謎の穀物飯が無限に進むぞ!?前の世界のそこらへんの高級チェーン店より遥かに美味いぞ!?」バクバクと肉を食らい、冷えた麦酒(ジョッキ)をぐびぐびと飲み干す。「ふはぁぁあーっ!!生きてる……!俺、いま生きてるよ……!社畜時代は毎晩深夜にコンビニの冷え切った弁当を虚無の顔で流し込んでたのに、自分の金で、自分の意思で、こんな美味い肉を食えてるんだ!泣けてくるぜ本当に……!異世界最高!聖女様最高!拝金主義バンザイ!!」社畜時代には決して味わえなかった、己の二度寝で得た対価で食う焼肉の味。それはまさに至福の瞬間であった。



 だが――。「……見たか?あの御方の食べ方……」「ああ……。一切の迷いがない。一口ごとに肉のエネルギーを吸収し、体内で凄まじい量の闘気に変換している……」店の隅のテーブル席。変装した聖女の側近・騎士団長スカーレットと、隠密頭のシアンが、息をのんでアーカイブの食事風景を観察していた。「あのような獰猛な魔獣の肉を、なんの毒見もせずに豪快に喰らい尽くすとは……。自らの頑強な肉体と絶対的な解毒能力への誇示に違いない……。あの肉には微弱な魔素が含まれており、常人なら腹を下すはずだぞ……!」「ええ。それに見て……あの無心で肉を喰らう眼差し。昼間の帝国刺客部隊の撃退など、彼にとっては『腹を減らすための軽運動』に過ぎなかったということ……。刺客を退け、その足で魔獣の肉を喰らい、力を蓄える……まさに、真の絶対者の風格……!」「すみませーん!赤角牛のカルビ、追加で三人前!あとご飯大盛りで!それと麦酒おかわり!」「は、はいっ!ただちに持ってまいります、お客様っ!!」店主が恐怖で膝を震わせながら肉を運んでくる。 アーカイブがただ「前世の鬱憤を晴らすために爆食いしている」だけの姿が、周囲の人間には「次なる大戦に向けた血と肉の補給儀式」にしか見えていなかった。「ふぅ……喰った喰った!大満足だ!いやー、やっぱり仕事(待機)の後の飯は最高だな!」お腹をぽんぽんと叩きながら、極上の満足感に包まれてグリム亭を出るアーカイブ。夜風が火照った顔に心地よい。「よし、満腹だし、酒も回ってきた!明日は昼過ぎ……いや、夕方まで熟睡決定だな!給料も入ったし、当分は金に困ることもない。この調子で聖女様の右腕(置物)として、完璧なニート生活を全うしてやるぜ!」呑気に未来の二度寝計画とサボり計画を立てるアーカイブ。



 しかし、彼が焼肉を食って幸福感に浸っていたその裏で――。昼間、彼に返り討ちに遭った(と勘違いした)グランディア帝国の刺客部隊の生き残りが、命からがら本国へと辿り着いていた。「ほ、報告いたします……!聖女の右腕アーカイブ・プロトコル……! 奴は我が精鋭部隊の奇襲を、一歩も動かずに『無構えの体術』で完璧に返り討ちにいたしました……!我々が剣を突き出した瞬間、体勢を崩したフリをして肩甲の角で刃を砕き、カウンターで我が隊員の急所を完璧に打ち抜いて卒倒させたのです……!奴の防御は、隙がなさすぎます……!!」報告を聞いた帝国軍幹部たちは、凄まじい衝撃に包まれていた。「な、なんだと……!?我が国が誇る『影縫い』の暗殺部隊すら一瞬で返り討ちだと……!?しかも相手は無構え、ただの二度寝の最中だったのだぞ!?」「くそっ……!聖女の右腕、どこまで底知れぬ男なのだ……ッ!!奴は我々の動きを全て見抜いた上で、誘導していたというのか……!」ただの男が焼肉を食って「二度寝最高!」と幸福感に浸っているだけの夜。 グランディア帝国のアーカイブに対する脅威度は、最高レベルの「国家壊滅級モンスター」へと引き上げられていたのだった――!


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