第8話 秋の畑
秋が深まり、畑に出るには肌寒くなってきた頃。
「てーへんだぁー!」
朝の畑に、男の叫び声が響いた。
リディアが振り返る。
向こうから、耕作班の男が息を切らして走ってくる。
「どうしたの?」
「芋が!」
男は膝に手をつき、荒い息を整えながら叫んだ。
「芋が、枯れそうなんです!」
「……え?」
「少し前から、葉っぱが黄色くなってきたと思って、心配になってたんだ!」
男は畑を振り返る。
「でも、今日はもう倒れ始めてるのも出てきてる!」
その言葉に、近くにいた村人たちが一斉にジャガイモ畑を見る。
確かに、青々としていた葉が、ところどころ黄色くなっている。茎も力を失い、地面へ倒れかけているものがあった。
「……やっぱり」
誰かが呟いた。
「やっぱり駄目だったんだ」
「そんな……」
「こんなことなら、あの種芋も食糧にしていれば……」
空気が一気に沈んだ。
せっかく植えた。何日も世話をした。芽が出たときには、皆で喜んだ。それなのに。
やはり、この土地では育たなかったのか。
誰もがそう思い始めていた。
「いいえ」
静かな声が響いた。
皆が振り返る。
リディアだった。
「逆よ」
「……へ?」
「それが、収穫の合図なの」
「収穫……?」
男が間の抜けた声を出す。
「ええ」
リディアは頷いた。
「葉が黄色くなって、茎が倒れてきたら、土の中の芋が十分に育った合図よ」
「で、でも……」
男は畑を見る。
「まだ、そんなに時間は経ってませんで?」
「ええ」
リディアは微笑んだ。
「だから、ジャガイモを植えたのよ」
「…………」
村人たちは顔を見合わせる。
「さあ!」
リディアが立ち上がった。
「みんな、シャベルを持ってきて!」
「今から掘るんですかい?」
「ええ!」
その声に、村人たちが慌てて動き始めた。
*
畑の前に、村人たちが集まった。
誰もが口を閉ざしている。
ここまで来ても、まだ信じ切れない。本当に土の中に芋があるのか。それとも、何もないのか。
リディアも、固唾を呑んで見守っていた。
最初に掘ることになったのはガレスだった。
「俺がやります」
「お願い」
ガレスは一番手前の株の前にしゃがみ込む。
茎をしっかりと握った。
「……いきますよ」
ぐっと力を込める。そして、
「よっ!」
勢いよく引き抜いた。
土が崩れる。
茎と根が地上へ出てくる。
だが。
「…………」
何もない。
根の周りに、芋らしいものは一つも見えなかった。
「……」
誰も何も言わない。
ガレスが持ち上げた根を見つめる。
「……ない」
誰かが呟いた。
「やっぱり……」
その声に、再び落胆の色が広がる。
リディアは、ガレスの手元を見ていた。
「……ちょっと待って」
そう言うと、畑へ膝をついた。
「お、お嬢様?」
構わず、リディアは土に手を入れた。
白かった美しい手が、あっという間に土で汚れる。
指先で土をかき分け、少し掘る。さらに掘る。爪の中に土が入り込み、ドレスの裾にも土がつく。
けれど、そんなことは気にならなかった。
「……お嬢様!」
ガレスが慌てて声をかける。
リディアは答えない。
ただ、夢中で土を探っていた。
そして、
「……あ」
指先に、何かが触れた。
リディアが土を払いのける。
ぽろり。
土の中から、小さな芋が転がり出た。
「…………」
誰も声を出せない。
リディアは、もう一度手を入れた。
ぽろり。
今度は、少し大きい。
さらに、その隣から。
ころり。
「……芋」
誰かが呟いた。
リディアの手のひらに、いくつもの芋が乗っていた。
「じゃがいもだ!」
男の一人が叫んだ。
「出たぞ!」
「本当にある!」
「芋だ!」
その瞬間、張り詰めていた空気が一気に弾けた。
「おい、ガレス!」
近くにいた男が、ガレスの頭を軽く小突いた。
「何やってんだ!」
「いてっ!」
「なんのためにシャベル持ってきたんだよ!」
「いや、根に付いてると思ったんだよ!」
「そんなわけあるか!」
「知らねえよ!」
笑い声が上がる。
リディアも、思わず笑った。
「お嬢様もですよ」
ハンナが笑いながら言う。
「手で掘るなんて無茶ですよ」
「だって……」
リディアは自分の泥だらけの手を見る。
「見つけたかったんだもの」
「もう」
ハンナが呆れたように笑った。
「さあ!」
リディアが立ち上がる。
「みんなで掘りましょう!」
「おう!」
村人たちが一斉にシャベルを手に取った。
*
「おい!」
しばらくして、畑の奥から声が飛んだ。
「根から離れたところにもあるぞ!」
「何だって?」
「ここだ! もっと広く掘ってみろ!」
男たちが集まる。
土を掘る。
すると、
「……あった」
「こっちにも!」
「まだあるぞ!」
「こいつ、でけえ!」
土の中から、次々とジャガイモが姿を現した。
大きいもの、小さいもの、形のいびつなもの。それでも、確かに芋だった。
「ある……」
誰かが呟いた。
「本当に、ある……」
ハンナが両手で芋を抱える。
「こんなに……」
その声が震えていた。
「お嬢様」
ハンナがリディアを見る。
「私たち……越せるんですね」
冬を。
誰も口にはしなかった。
けれど、皆、ずっと考えていた。
空に近い備蓄庫。減っていく食料。あの分けた種芋を全て食べてしまった先は?
本当に芋はなるのか、ずっと不安だった。もしできなかったら、その先にある冬をどうやって越す?
誰もが、その答えを考えることを怖れていた。
だから、口にしなかった。口にしてしまえば、本当に現実になってしまう気がしたから。
けれど、今。
目の前の土の中から、次々とジャガイモが出てくる。
冬を越すための食料が。
自分たちの手で育てた食料が。
「ええ」
リディアは頷いた。
「そうね」
その瞬間、誰かが鼻をすすった。
振り返ると、年配の女性が顔を覆って泣いている。
「……よかった」
別の男は、その場に腰を下ろした。
力が抜けたようだった。
「本当に……よかった」
笑っている者もいる。
泣いている者もいる。
何度も芋を手に取って確かめる者もいた。
皆、ずっと緊張していたのだ。
この土地で生きていけるのか。今年の冬を越せるのか。
その不安を抱えたまま、それでも毎日働いていた。
今ようやく、ほんの少しだけ、その重さが肩から下りたのだ。
リディアは、そんな村人たちを見つめていた。
胸の奥から、温かなものが込み上げてくる。
この人たちは、長い間、この苦しい土地で生きてきた。
何度も洪水に襲われ、作物を失い、働いても暮らしは楽にならず。それでも、この場所を捨てなかった。
そして今、目の前で、土の中から食べ物が生まれている。
リディアは、泥のついた自分の手を見た。
この手で、この人たちを守りたい。
そう思った。
ただ冬を越すだけではない。
もう二度と、食べ物がないことを恐れなくていい村にしたい。
水に怯えなくていい土地にしたい。
ここで生きていくことを、諦めなくていい場所にしたい。
「……お嬢様?」
ガレスの声に、リディアは顔を上げた。
「何でもないわ」
そう言って、笑った。
「さあ、まだ掘るわよ」
「はい!」
今度は、誰からともなく笑い声が起こった。
秋の畑に、久しぶりの歓声が響いていた。




