第42話 調査報告
「……それで、リヴェルの調査はどうなった」
ヴィクトールは、執務机の向こうに立つ報告者へ目を向けた。
先日、砂糖の件で報告を受けて以来、リヴェルという領地が頭から離れなかった。
廃村同然だった小さな領地。
そこで新しい砂糖が作られ、菓子がアルヴェニアで評判になっている。
それだけでも看過できない事態だったが、領主の名を知ってからは、苛立ちが一層増していた。
「まず、領地の様子ですが……」
報告者は、手元の書類をめくった。
「街が大きく発展しております。新たに城が建設され、工場や倉庫、住居も増えているようです」
「……城?」
ヴィクトールは眉をひそめた。
「リヴェルに城が建っているというのか?」
「はい。街の中心に、かなりの規模の城が建設されております」
そんな話は聞いていなかった。
あの領地に、そこまでのものを建てる資金があるというのか。
「人はどれほど集まっている」
「正確な数はまだ調査中ですが、周辺から移り住む者が増えております。砂糖や菓子の生産に携わる者だけでなく、技師や職人、商人など、領外から出入りする者も多いようです」
「……人が集まっている?」
「はい。領地の人口は、以前と比べて明らかに増加しているとの報告です」
ヴィクトールは、手元の書類に目を落とした。
砂糖の製法については、すでに報告を受けている。
だが、あの領地では、それを商品にするだけでなく、人を集め、街そのものを変えているらしい。
「ほかには?」
「水路の整備も進んでおります。上下水の設備が設けられ、生活環境も改善されているようです」
「上下水だと?」
「はい。さらに、建築には従来とは異なる新しい建材が使われているとのことです」
「新しい建材?」
「セメント、と呼ばれるものだそうです。詳しい製法までは分かっておりませんが、建物や設備の整備に活用されているようです」
ヴィクトールは黙り込んだ。
水路の整備に、新しい建材。
それらを実現するには、技術だけでなく、それを扱える人材も必要になる。
いったい、あの領地で何が起きているのだ。
「……何かの手違いではないのか」
思わず口をついて出た。
「私があの女を送ったのは、廃村寸前の領地だったはずだ」
「間違いございません。調査でも、以前のリヴェルは荒廃しており、税収も乏しい土地だったことが確認されております」
「では、公爵家が裏で支援しているのではないか?」
リディアの実家である公爵家が、追放された娘を陰から支えている。
そう考えれば、説明がつくのではないか。
しかし、報告者は首を横に振った。
「その可能性も調べましたが、公爵家からの支援は確認できておりません。むしろ、公爵家もリヴェルの現状を詳しく把握していないようです」
「そんな馬鹿な……」
「調査によれば、廃村寸前だった領地で、リディア様が少しずつ産業を興された結果のようです」
ヴィクトールは、報告者を見つめた。
リディアが。
あのリディアが、自ら産業を興したというのか。
国益にならないと判断し、聖女の足枷にならぬようにと切り捨てた女が。
「……信じられんな」
ヴィクトールは、机の上の書類を見つめた。
城が建ち、工場が増え、人が集まり、新しい技術が使われている。
報告の一つひとつは具体的だった。
それでも、目の前の現実をすぐには受け入れられなかった。
「……それと、もう一つ」
報告者が、わずかに声を落とした。
「アルヴェニア王室との繋がりもあるようです」
「……何だと?」
どくり、と心臓が冷えた。
アルヴェニア王室。
単なる商人同士の取引ではないというのか。
「どういうことだ。詳しく話せ」
「申し訳ございません。現時点では、確証を得るには至っておりません。ただ、リヴェルの産品がアルヴェニアで広く流通していることに加え、王室との繋がりをうかがわせる情報がございます」
ヴィクトールは、報告者を見据えた。
「……まだ、確証はないのだな?」
「はい。引き続き調査が必要かと存じます」
確証はない。
だが、何もないというわけでもない。
リヴェルで何が起きているのか。
なぜ、あれほどの発展が可能だったのか。
そして、アルヴェニア王室との繋がりとは何なのか。
今のヴィクトールには、どれも答えが出せなかった。
「……引き続き調べろ。リヴェルの事業、人材、資金の流れ。それから、アルヴェニア王室との関係もだ」
「承知いたしました」
報告者が退室すると、執務室には静寂が戻った。
ヴィクトールは、しばらく書類を見つめていた。
リヴェルを追放先に選んだのは自分だ。
あの土地に価値はないと判断したのも。
リディアに国益を生み出す力はないと考えたのも。
すべて、自分だった。
なのに今、その判断を揺るがす報告ばかりが届いている。
「……リディア」
名を呟いたとき、扉がノックされた。
「ヴィクトール様、よろしいですか?」
明るい声とともに、エミリアが顔を覗かせた。
「どうした、エミリア」
書類から、目を上げないまま答える。
「お疲れだと思って。甘いものでも、いかがですか?」
エミリアは嬉しそうに、小さな箱を抱えていた。
「ああ、そこに置いておいてくれ」
「はい! 最近、アルヴェニアで流行っているケーキなんです。なかなか手に入らないんですよ!」
そう言って、彼女は箱を机の上に置いた。
蓋を開けると、焼き色のついたケーキが並んでいた。
箱の側面に、見覚えのある焼き印があった。
――リヴェル産。
ヴィクトールの手が、止まる。
「リヴェルというところで作っているそうです。こんなに遠いところのお菓子が、こちらまで届くなんて、すごいですよね」
エミリアは一つ手に取り、幸せそうに目を細めた。
「どんな味がするんでしょう。いただいてもいいですか?」
ヴィクトールは、箱を見つめた。
リヴェル。
また、その名だ。
先日口にした焼き菓子の、あの甘さが、舌の奥によみがえる。
砂糖。菓子。新しい技術。そして、アルヴェニア王室との繋がり。
自分が切り捨てた女が、あの土地で何かを成し遂げている。
しかも、その産品は隣国で評判となり、手に入りにくいほどの人気を得ているのだ。
「……ヴィクトール様?」
エミリアが不思議そうに顔を上げる。
「どうかなさいましたか?」
「いや……何でもない」
ヴィクトールは、かろうじてそう答えた。
エミリアは気づかず、ケーキを眺めながら楽しそうに笑った。
「リヴェルって、どんなところなんでしょうね。一度、行ってみたいです」
ヴィクトールの眉が、ぴくりと動いた。
あの廃村寸前だった領地に、行ってみたい?
「……そうだな」
声が、わずかに低くなる。
「こんなにおいしいお菓子を作れるなんて、きっと素敵なところなんでしょうね!」
――また、リヴェル。
ヴィクトールは、こめかみを押さえたくなった。
砂糖も、菓子も、街の発展も。
挙げ句の果てには、エミリアまでがあの領地に関心を持ち始めている。
何もかもが、自分の知らないところで進んでいた。
苛立ちの底から、焦りがせり上がってくる。
我が国の領地で生まれた富が、隣国へ流れていく。このまま、黙って見ているわけにはいかない。
――取り戻さなければ。あれは、我が国のものだ。
そして、その中心にいるのは。
リディアだった。




