第41話 青毛の騎士
「ニコとガレスの様子はどう?」
リディアは、ハンナに尋ねた。
「ニコは、まだ起き上がるのも難しいようです。でも、食事は少しずつ取れるようになりました」
「ガレスは?」
「こちらも、まだ痛みはあるようですが、命に別状はありません。本人は早く動きたがっているんですけど」
ハンナは困ったように笑った。
「そう……。二人とも、無事でよかった」
リディアは、ようやく息を吐いた。
あの時の光景を思い出すと、今でも胸の奥が冷たくなる。
もう二度と、あんな思いはしたくない。
「今は無理をさせないで。しっかり休ませてあげてちょうだい」
「はい。ありがとうございます、リディア様」
ハンナを見送った後、リディアは執務室へ向かった。
*
「ヴァルデン領の件ですが、債権者との調整は進んでいます」
カイルが、机の上に書類を置いた。
「領内の状況は、これから詳しく調べます」
「領民の暮らしについても調べてちょうだい」
リディアは書類に目を落とした。
「グスタフを許すつもりはないわ。でも、あの男の罪を領民に負わせるつもりもない。生活に支障が出ているなら、必要な手を打って」
「承知しました」
カイルは頷いた。
「……ところで、カイル。ニコとガレスを連れて帰ってきてくれた傭兵たちは、まだ城にいるのよね?」
「ええ。客室に滞在していただいています」
「なら、会いに行きましょう。二人を助けてくださったのだもの。きちんとお礼を言わなくては」
*
客室では、傭兵たちが集まっていた。
「聞いたか。ヴァルデンの野郎、領地まで取られて丸裸だとよ」
「あのお嬢様が、買うと言い放った通りにやったってわけか」
「……いい気味だ」
誰かの呟きに、窓際の男の口の端が、わずかに上がった。
そのとき、扉が叩かれた。
現れたのは、リディアとカイルだった。
傭兵たちは、慌てて口を閉じた。
「突然お邪魔して、ごめんなさい」
リディアは一人ひとりに目を向けた。
「先日は、ニコとガレスを連れて帰ってきてくださって、ありがとうございました。おかげで、二人とも命を取り留めました」
傭兵たちは、互いに顔を見合わせた。
まさか、領主自ら礼を言いに来るとは思っていなかったのだ。
彼らはグスタフ側の依頼で動いていた。暴行を見て見ぬ振りをした、あるいは加担したと疑われているかもしれない。わざわざ礼を言われるような立場ではないと思っていた。
「……我々は、見つけた二人を連れてきただけです」
一人が答えた。
「それでも、です。あなた方が連れてきてくださらなければ、治療が間に合わなかったかもしれません」
リディアは、まっすぐに彼らを見た。
「本当に、ありがとうございました」
もう一度、頭を下げる。
傭兵たちは、しばらく言葉を失っていた。
その中で、一人の男が静かに立ち上がった。
「……リディア様」
窓際にいた男だった。
旅の疲れを隠せない風貌で、装備は使い込まれ、顔には深い皺が刻まれている。
けれど、背筋は自然に伸び、身のこなしに無駄がない。くたびれてはいるが、隙がない。
「グスタフ伯爵との一件は、耳にしました」
男は言葉を選ぶように、一度間を置いた。
「ヴァルデンとの契約は、領地の没落とともに終わりました。……いえ、終わっていなくとも、あの者の下で剣を振るう気は、もうありませんでした」
「リディア様。私たちを、あなたの下で働かせていただけないでしょうか」
「……え?」
リディアは、目を瞬かせた。
「私たちは、各地を渡り歩く傭兵です。金で雇われ、契約どおりに剣を振るう。仕事としては成り立っています。ですが、それが私たちの望んだ生き方だったかと問われれば、違います」
「あなたは……」
リディアは、男の顔を見つめた。
「以前は、どこかにお仕えしていたの?」
「はい」
男の表情が、わずかに変わった。
「私は、かつて滅びた国の騎士でした。主君を失い、国を失い、部下たちも散り散りになりました。今さら騎士を名乗るのも、おこがましい身です」
「……」
「それでも、もう一度、誰かに仕えたいと思ったのです」
リディアは、すぐには答えられなかった。
その言葉に、軽い気持ちは感じられなかった。
けれど。
「……私は、あなたが思うほど立派な人間ではないわ」
リディアは、少しだけ目を伏せた。
「私は、ただ腹が立ったの。ニコとガレスをあんな目に遭わせたことが、どうしても許せなかった」
胸の奥に、あの時の怒りが蘇る。
「もっと冷静に対処するべきだったのでしょうね。でも、できなかった。あの男が困るところを見なければ、気が済まなかったのよ」
リディアは、自嘲するように笑った。
「……子どもみたいでしょう?」
「ええ」
「……否定してくれないのね」
「あなたご自身が、そうおっしゃったのですから」
男は穏やかに答えた。
「ですが、私は、そういう主君に仕えたい」
「……子どもみたいだと、認めたのに?」
「ええ。だからです」
男は、静かに続けた。
「貴族が平民の子を踏みにじるのを、私は何度も見てきました。貴族に刃を向ければ首が飛ぶ。見ていることしか、できなかった。……ただの傭兵の限界です」
拳が、静かに握られる。
「あなたは、あの子のために本気で怒り、手を緩めなかった。正直、胸のすく思いでした」
「……」
「ですが、それが正しいとは限らない。……あなたは、まだお若い。いずれ学ぶでしょう。それに、この町をここまで育てた方です。怒りだけの人間に、できることではない」
男は、わずかに口の端を上げた。
「正直、惚れました。この方は、伸びると」
「……褒められているのか、叱られているのか、分からないわ」
「両方です」
リディアは、しばらく言葉を返せなかった。
自分のしたことを、正しいと言い切るつもりはない。
かといって、後悔しているかと問われれば、それも違う。
それでも、この男は自分に仕えたいと言う。
「……ありがとう」
リディアは、ようやく答えた。
「でも、あなたのことを、まだ何も知らないわ。お名前も、これまで何をしてきたのかも」
「失礼いたしました」
男は、改めて姿勢を正した。
「オスヴァルト・レーヴェンと申します」
その名に、カイルがわずかに反応した。
彼はオスヴァルトを見つめたまま、しばらく黙っていた。
かつて滅びた国。
その名と、目の前の男の名。
記憶の中にあった人物像が、ゆっくりと重なっていく。
「……失礼ですが」
カイルが口を開いた。
「もしや、あなたの馬は青毛ですか?」
オスヴァルトは少し驚いたように目を見開いた。
「ええ。ノクスという馬ですが……ご存じなのですか?」
「やはり……」
カイルの目が、わずかに輝いた。
「その馬を、かつての主君から授かったと聞いたことがあります。国が滅びた後も、手放さなかったと」
オスヴァルトは、静かに頷いた。
「……よくご存じですね」
「いえ。馬そのものを見たことはありません。ただ、あなたのお名前とお話を聞いて、もしやと思いまして」
カイルは、珍しく少しだけ表情を和らげた。
「ぜひ今度、ノクスを見せてください」
「……馬を、ですか?」
「ええ」
オスヴァルトは、戸惑ったように瞬きをした。
その様子に、リディアは思わずカイルを見た。
「カイル。つまり、どういうこと?」
カイルはオスヴァルトに向き直った。
「リディア様。これは大物が来ましたよ」
オスヴァルトは困ったように笑った。
「昔の話です。今は、ただの傭兵にすぎません」
「それを決めるのは、あなたではありませんよ」
カイルは、きっぱりと言った。
「あなたほどの方が、リヴェルに力を貸してくださるというのなら、願ってもないことです」
オスヴァルトは、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「それと……」
オスヴァルトは、少しだけためらってから続けた。
「もし許されるなら、かつての部下たちにも声をかけたいと思っています」
リディアは顔を上げた。
「部下の方たちに?」
「はい。国が滅びた後、皆、各地へ散りました。彼らもまた、仕える主を失った者たちです。もし、ここで再び剣を振るう意味を見つけられるのなら……きっと、力になってくれると思います」
リディアは、カイルと顔を見合わせた。
リヴェルには、守るべきものが増えている。砂糖の製法も、工場も、町で暮らす人々も。
「ぜひ、お願いしたいわ」
リディアは答えた。
「もちろん、どんな方たちなのかは、きちんとお話を聞いてからになるけれど。それでも、来てくださるなら歓迎するわ」
「ありがとうございます、リディア様」
オスヴァルトは深く頭を下げた。
*
数日後。
城門の前に並んだ人影を、リディアは呆然と見つめた。
十人、二十人。その後ろにも、まだ続いている。
使い込まれた装備に、疲れた顔。それでも誰もが、背筋だけはまっすぐに伸びていた。
「……どうして、こんなにいるの?」
「人望でしょうね」
隣で、カイルが淡々と答えた。
「私の?」
「彼の、です」
列の先頭で、オスヴァルトが頭をかいた。
「いや、まさかこれほど集まるとは……」




