第40話 砂糖
「何だと? ヴァルデン伯爵が、領地を手放した?」
エルディア王宮の執務室で、王太子ヴィクトールは思わず聞き返した。
「はい。負債の返済が立ちゆかなくなり、領地ごと手放したとのことです」
「あの男は、決して無能ではなかったはずだ。夜会の費用も、聖女の慈善への寄付も、惜しまず出していた。何があった」
「砂糖でございます」
「……砂糖?」
「リヴェルという辺境の領で、南方のものとは異なる製法の砂糖が作られているそうです。伯爵はそれを求めて断られ、さらにアルヴェニアの商人たちからも取引を切られました。それが致命傷になったと」
ヴィクトールは、身を乗り出した。
「砂糖を、国内で作っているというのか!」
砂糖は高価な輸入品だ。南方への支払いで、毎年少なくない金が国外へ流れている。それを自国で賄えるなら、貴族たちは我先に出資するだろう。加工品、流通、新たな税収。一大事業になる。
聖女の慈善に回すこともできる。民への施しに、甘いものほど喜ばれるものはない。
「そんな話は、私の耳には入っていないぞ」
「はい。リヴェルの売り先は、主にアルヴェニアです。エルディア国内には、ほとんど出回っておりません」
「なぜ、我が国で作ったものが隣国に流れる!」
「リヴェルから見れば、王都よりアルヴェニアの市の方が近いのでしょう」
報告者は、持参した小さな木箱を机の上に置いた。
「国境の街で手に入れた品です。向こうでは、貴族の間で奪い合いになっているとか」
蓋を開ける。
焼き菓子だった。表面に砂糖がまぶされ、木苺の赤が覗いている。
箱の側面には、簡素な焼き印が押されていた。
――リヴェル産。
ヴィクトールは、一つつまんで口に入れた。
ほろりと崩れる。バターの香りの後ろから、はっきりとした甘さが追いかけてきた。
「……」
王宮の菓子と比べても、見劣りしない。いや、素朴なぶん、後を引く。
「これを、あの領で作っているのか」
「はい。工場まであるそうです」
「工場……?」
ヴィクトールは、眉をひそめた。
「リヴェル……」
記憶を探る。
「王室への報告にも、ろくに上がらぬ小領地だったな」
「左様でございます」
廃村同然で、税収もわずか。誰が領主になろうと、王室が気にかけることなどなかった土地だ。
その土地で、知らぬ間に国益に関わる事業が動いていた。しかも、隣国に先に押さえられている。
「……領主は誰だ」
報告者は、一拍おいてから答えた。
「……リディア様にございます」
執務室から、音が消えた。
ヴィクトールの手から、食べかけの菓子が転がり落ちる。
「……リディア?」
国境の物資だの、隣国との小麦の交渉だのを並べ立てていた女。
国益にならぬと、切り捨てた女。
あの日、大広間で、あの女は何も言い返さなかった。
ただ静かに指輪を外し、一礼して去っていった。
それきり、思い出すこともなかったというのに。
その女が、砂糖を。
口の中に、まだ甘さが残っている。
それが、ひどく苦く感じられた。
何もないはずの辺境で。
自分が、見捨てた土地で。
「……詳しく調べろ」
声が、わずかに掠れていた。
「製法も、流通も、アルヴェニアとの取引も、すべてだ」




