第35話 出発
二年後。
リヴェルには、街が広がっていた。
かつて畑だった場所には建物が並び、整えられた道を荷馬車が行き交っている。
そして街の中央、その奥には――この辺りではまず見ることのない規模の城が、堂々と鎮座していた。
「久しぶりだな」
城の入口に現れた男を見て、カイルが眉を上げる。
「アレク殿下」
「しばらく滞在する。部屋を用意してくれないか?」
「またですか? 暇なんですか」
「失礼な奴だな。俺は筆頭投資者だぞ?」
「何をおっしゃいます」
カイルは呆れたように息を吐いた。
「ここは北部唯一の砂糖産出地ですよ。生産と出荷が追いついていないだけで、投資したい貴族家が殺到しているというのに」
「だからこそだ」
アレクは悪びれもせず笑う。
「俺が最初に見つけたんだ。筆頭は譲らんぞ」
「まったく。さようですか」
「それにしても――」
アレクは城を見上げた。
「よくもまあ、数年でここまでデカくしたもんだ」
アレクは、街の向こうを流れる大河に目をやった。
「川の氾濫に怯えていたのが、嘘のようだな」
「堤は固めました。この二年、破れたことはありません」
カイルは眉ひとつ動かさずに答えた。
しばらく眺めてから、アレクは眉を上げる。
「……あと、この城デカすぎないか?」
「おかげさまで」
カイルが淡々と答える。
「太客の筆頭様のおかげです」
「そうだろう?」
「褒めてはいません」
「分かっている」
アレクは笑った。
「コンラート卿も、いい働きをしているようだな」
「そうですね」
カイルが頷く。
「道を繋ぎ、甜菜栽培を委託したことで、あちらもかなり豊かになりました」
「セメントも、よく売れているそうだな」
「ええ。道路や水路も、見違えるほどです」
「……」
アレクは再び城を見る。
かつては何もなかった土地。
そこに今は、人がいる。
店があり、工場があり、馬車が走り、遠くから人が集まってくる。
そして、その中心には巨大な城。
「……本当に、ここまでやるとはな」
アレクが小さく呟いた。
カイルは答えなかった。
ただ、城の奥へ視線を向ける。
そこには、この街をここまで変えた少女がいる。
リヴェルは、もう小さな村ではなかった。
* * *
「リディア様!」
城の廊下を、ニコが駆けてくる。
背は、ずいぶん伸びた。けれど、あちこちに跳ねる焦げ茶の髪の下の頬には、まだ子どもの丸みが残っている。
城の小間使いとして働くようになって、もう長い。すれ違う使用人たちに声をかけながら走るので、行く先々で笑顔が咲いた。皆に可愛がられているのは、この少年の取り柄のひとつだった。
「ニコ、廊下は走らない!」
遠くから、ミレイユの声が飛ぶ。
「はーい!」
返事だけは、いつも元気がいい。
「どうしたの?」
「次のアルヴェニアへの出荷、俺も連れて行ってよ!」
「駄目よ」
即答だった。
「なんで!」
ニコがぷくりと頬を膨らませる。そのあどけなさに、リディアは思わず笑いそうになった。
「あなたはまだ子どもだもの」
「そんなことない!」
ニコは胸を張った。
「俺、城の仕事だってちゃんとやってる! 算術はカイル様が優秀だって言ってたし、礼儀作法はミレイユ様に『及第点』をもらったし、荷の縛り方はロイド様に教わったんだ!」
「……そうね」
リディアは少し困ったように笑う。
「でも、それとこれとは別でしょう?」
「俺だって役に立てるって!」
ニコが食い下がっていると、後ろからハンナが口を挟んだ。
「リディア様」
「ハンナ?」
「ガレスも行きますし、いい経験になると思います」
ハンナはニコを見て、それからリディアを見る。
「私からもお願いしても?」
「……」
リディアはしばらくニコを見つめた。
「……ハンナがそう言うなら、仕方ないわね」
「やった!」
ニコが飛び跳ねる。
「ただし」
「うん!」
「ガレスの言うことをよく聞くこと。絶対に勝手なことをしないこと。それから――」
リディアは少しだけ表情を引き締めた。
「片時もガレスから離れては駄目よ?」
「分かってるって!」
ニコは満面の笑みを浮かべた。
「俺、絶対役に立つぜ!」
そう言って、また嬉しそうに跳ねる。
リディアは、その姿を見つめながら小さく息を吐いた。
初めて会った日、石を投げてきた小さな手を思い出す。あの頃より、ずっと大きくなった。それでも、まだ子どもだ。
「楽しみなのね」
「うん!」
ニコは満面の笑みで頷いた。
「アルヴェニア、初めて行くんだ!」
その顔には、不安など微塵もなかった。
ただ、自分もこの街の役に立てるのだという喜びだけがあった。
そして――
この旅を、ニコは心の底から楽しみにしていた。
自分も、リヴェルを支える一人になれる。
そう思っていた。
だから、誰も知らなかった。
――この数日後。
ニコが、血まみれになってリヴェルへ戻ってくることを。




