第34話 道
リディアは、机の上に置かれた報告書をもう一度読み返した。
山間部にある、白い石。
焼けば粉になり、水と混ぜれば固まる。
その石が、コンラート領には大量にあるという。
「エド。バルト。お願いがあるの」
「はい?」
「何でしょう?」
二人が顔を上げる。
「セメントを作ってほしいの」
「……せめんと?」
エドが首を傾げた。
「ええ。水に強くて、形を作れる石みたいなものよ」
「石、ですか?」
「正確には、石になる粉ね」
リディアは紙を取り出し、簡単な図を書いた。
「石灰石と珪石、それから鉄と粘土を混ぜて、高温で焼くの。それを砕いて、また水と練って乾かすとできるはず」
「割合は……?」
「分からないわ」
「え?」
「細かい配合も、途中の手順で他に何が必要なのかも、私には分からないの」
リディアは苦笑した。
「だから、色々試してほしいの。どうすれば作れるのか」
エドはしばらく紙を見つめていたが、やがて頷いた。
「……分かりました。試してみましょう」
「俺も手伝います」
バルトも頷く。
「お願いね」
二人が部屋を出ていく。
その背中を見送ると、リディアは顔を上げた。
「カイル、地図を」
「はい」
カイルが大きな地図を机の上に広げる。
リディアは、その上に指を置いた。
「これから、リヴェルをもっと大きくするわ」
「……」
「人が増えて、建物が増えて、工場も増える。そうなれば、今までと同じようにはいかないでしょう?」
「ええ」
「だから、街そのものを作り替えるの」
リディアは川を指した。
「まず、水」
「川から取るのですね」
「ええ。川から水を引いて、街へ送る」
川から街へ向かって、指を滑らせる。
「途中で泥や砂を沈めて、必要なら濾してから使う。水を街の中まで運べるようにするの」
「上水道……」
「そう」
リディアは頷いた。
「井戸だけに頼らなくてよくなる。家にも工場にも、水を送れるようになるわ」
カイルは地図を見ながら考えていた。
「確かに、街が大きくなるなら必要でしょう」
「でしょう?」
リディアは嬉しそうに頷いた。
「それから、もう一つ」
指が街の中をなぞる。
「使った水を、どうするか」
「……下水ですね」
「ええ」
リディアは頷いた。
「街の中で使った水は、集めて外へ出すの」
「そのまま川へ?」
「いいえ」
リディアは首を横に振った。
「それは駄目よ」
「では、どこへ?」
「街の外に、処理する場所を作るの」
リディアは地図の端を指した。
「まず、流れを緩やかにして、重いものを沈める。それから、いくつかの池を通して、時間をかけて水をきれいにするの」
「池を?」
「ええ」
「そして?」
「最後に、ある程度きれいになった水だけを川へ戻すわ」
カイルが少し考える。
「川へ戻すのですね」
「ええ。汚れた水を捨てるのではなく、川へ戻せる状態にしてから戻すの」
リディアは地図を見つめた。
「雨水と使った水も、できるだけ分けたほうがいいわね。雨が降るたびに街の下水がいっぱいになったら困るもの」
「……なるほど」
カイルは頷いた。
「街が大きくなればなるほど、水の問題は重要になる」
「そういうこと」
リディアは笑った。
「水は、入れるだけじゃ駄目なのよ」
「……ところで、人手と工期は、どのくらいを見ていますか?」
「分からないわ」
「でしょうね」
カイルは、小さく息を吐いた。
「では、そこから先は、私の仕事です」
リディアは嬉しそうに頷いて、今度は街から外へ伸びる道を指した。
「次は、道」
「道、ですか?」
「ええ」
リディアはコンラート領へ向かう街道を指でなぞった。
「この道を整えたいの」
「コンラート領へ向かう道ですね」
「そう。まずはコンラート領側から、リヴェルまで」
「何か理由が?」
「セメントよ」
リディアは、先ほどの報告書を持ち上げた。
「コンラート領には石灰石がある。そこからセメントを作れるようになれば、リヴェルの街づくりに使える」
「ですが……」
カイルが少し眉を寄せた。
「セメントは重いでしょう」
「ええ」
「大量に運ぶとなれば、馬車にも負担がかかります」
「だから、先に道を整えるの」
リディアは即答した。
「泥道のままでは、雨が降れば車輪が沈む。乾けば土埃が舞う。それに、道が悪ければ荷物を積んだ馬車ほど遅くなるでしょう?」
「確かに」
「石を敷いて、地面を固めて、水が溜まらないようにする。必要なところには排水溝も作る」
リディアは道を指でなぞった。
「そうすれば、重い荷物でもずっと運びやすくなるわ」
「……なるほど」
カイルは地図を見つめた。
「つまり、セメントを運ぶための道を、先に作る」
「ええ」
「そして、そのセメントで街の水路や橋、排水設備を作る」
「そう」
リディアは頷いた。
「コンラート領にも利益があるでしょう?」
「セメントを売ることで、金が入る」
「そのお金で、コンラート領自身の道や水路も整えられる」
リディアはコンラート領を指した。
「そうすれば、あちらも豊かになるわ」
カイルはしばらく黙っていた。
「……砂糖も、同じように考えているのですか?」
「ええ」
リディアは頷いた。
「コンラート領でも、甜菜を育ててもらおうと思っているの」
「ですが、砂糖の製造技術は?」
カイルの声が少し低くなった。
「そこは、渡さないわ」
リディアは迷わず答えた。
「製造技術は秘匿する。外には渡さない」
「……はい」
「でも、栽培はお願いしたらいいと思うの」
リディアはコンラート領を指した。
「作物を育ててもらって、できたものをリヴェルが買い取るの。砂糖にするのは、こちらでやるわ」
「それなら、技術そのものを渡す必要はありませんね」
「ええ」
リディアは頷いた。
「秘密は守る。でも、利益まで独り占めする必要はないでしょう?」
カイルは少しだけ目を細めた。
「……なるほど」
「コンラート領で作ってもらえば、向こうにもお金が入る。リヴェルは原料を安定して手に入れられる。互いに、無理なく豊かになれるわ」
リディアは微笑んだ。
「どちらにも得があるわ」
「技術を守りながら、利益は周囲にも流す」
「そういうこと」
リディアは地図を見つめた。
「そのためにも、道が必要なのよ」
カイルが地図へ視線を戻す。
「道を整えれば、セメントを運ぶだけではなくなる」
「商人も通れるようになる」
「ええ」
カイルは道の先を指した。
「人も、物も、行き来するようになる」
「そして、その先は――」
指がアルヴェニアとの境へ向かう。
「アルヴェニア」
「そうよ」
リディアは頷いた。
「コンラート領で甜菜を作る」
「リヴェルで砂糖や菓子に加工する」
「そして、それをアルヴェニアへ売る」
リディアは三つの土地を順番に指した。
「人も、物も、お金も、この三つの場所を行き来するようになるわ」
カイルが静かに息を吐いた。
「……一つの経済圏になりますね」
「そうなるわ」
リディアは地図の上に三本の線を引いた。
リヴェル。
コンラート領。
アルヴェニア。
三つを結ぶ線。
それは、三角形になった。
「これは、リヴェルだけの話ではないわ」
「……」
「コンラート領にも、豊かになってもらう。そのための仕組みを一緒に作るの」
「……はい」
カイルは、地図から目を離さなかった。
「ですが、ここまで大きくなれば、エルディアが黙ってはいないでしょう」
「ええ。だから、道を整えるの。人も物も、早く動かせるように」
リディアは、地図から目を上げた。
「備えは、豊かなうちにするものよ。……まずは、コンラート卿に話しましょう」
「セメントのことを?」
「それもだけど」
リディアは笑った。
「甜菜栽培のことと、道のことも」
道は、まだただの土の上にある。
けれど、その先には、リヴェルだけではない未来が続いている。
「……始めましょう」
リヴェルは、もう一つの村を豊かにするだけではない。
その周りにある土地まで巻き込みながら、少しずつ姿を変え始めていた。




