第31話 城
ある日の午後。
「カイル」
「はい」
「最近、特に忙しそうにしているわね?」
「ええ。少しばかり」
「何をしているの?」
「ああ、お嬢様。城の建設について、必要な規模や費用、それから業者の選定などを」
「…………」
リディアは瞬きをした。
「城?」
「はい。城です」
「どこの?」
「ここです」
「……?」
「……だれの?」
「お嬢様のです」
「……??」
リディアはしばらく黙った。
「……なんで?」
カイルも、少しだけ黙った。
「お嬢様」
「なに?」
「ここは、これから大きく変わります」
カイルは静かに言った。
「先日は、工場にスパイまで入りました」
「……ええ」
「砂糖を作る技術は、すでにリヴェルだけのものです」
カイルは工場の方へ目を向ける。
「これまでは、遠い南方から運ばれてくる砂糖しかありませんでした」
「……」
「エルディアも、アルヴェニアも、近隣諸国も、皆それに頼っていた」
「それが、リヴェルで作れるようになった」
「はい」
カイルは頷いた。
「今はアルヴェニアとの交易が中心です。ですが、噂は広がります」
「いずれは近隣諸国にも」
「……。」
カイルの目が、少しだけ鋭くなる。
「もちろん、エルディアにも」
リディアは黙った。
「それだけではありません」
カイルが続ける。
「工場が増え、働く人間がおり、商人が来る。行き交う荷車も、新しい仕事も増えている」
それは、これまでリヴェルで起きてきた変化そのものだった。
「このまま人が増えれば、いずれ今の屋敷では足りなくなります」
「……でも」
リディアは屋敷を見る。
「ここでは、だめなの?」
「何をです?」
「……。」
カイルは少し考えた。
「今までなら、良かったでしょう。ですが、もう違います」
その言葉には、迷いがなかった。
「この小さな領主邸で、守れるとお思いですか?」
リディアは答えられなかった。
「リヴェルの発展に対して、他のものが遅れすぎています」
「他のもの?」
「防衛です。兵の収容場所も、物資の保管場所も、避難場所もありません」
カイルは淡々と続ける。
「何か起きたとき、領民をどこへ逃がします?」
「……」
「工場を襲われたら?」
「……」
「ここへ攻め込まれたら?」
リディアの表情が変わった。
「城は、贅沢のために建てるものではありません」
カイルは言った。
「領民を守るためです」
そして、少しだけ間を置く。
「兵を置くためでもある」
「……」
「そして」
カイルは屋敷を見る。
「リヴェルの顔になります」
「顔?」
「はい」
カイルはリディアを見る。
「人が増え、商人が集まり、工場ができる。そうなれば、リヴェルには、それにふさわしい中心が必要になります」
「……」
「どれほど豊かになっても、領主が侮られていては守れません」
「……」
「城は、リヴェルがここまで成長したことを示すものです」
リディアは黙っていた。
自分が作ろうとしていたものは、もっと小さなものだった。
冬を越すこと。
畑を増やすこと。
砂糖を作ること。
仕事を増やすこと。
ただ、それだけだったはずなのに。
いつの間にか。
リヴェルは、自分の想像していた大きさを越え始めていた。
「……だから、城なの?」
「はい」
「もう決めたの?」
「いえ。まずは必要な規模や費用を調べています。お嬢様に相談する前に、何も分からないまま話を持ち込むわけにはいきませんから」
「……」
「そのうえで、建設を任せられる業者も探しています」
リディアはカイルを見る。
「カイル」
「はい」
「あなた、最近ずっと忙しかったのは……」
「城のためです」
「……」
「ただ、工場や畑、治水工事、交易に使う資金も必要です。城だけに投資するつもりはありません」
カイルは淡々と言った。
「リヴェル全体を守り、発展させるために必要なものを考えています」
リディアは、しばらく黙っていた。
やがて。
「……分かったわ」
「ありがとうございます」
「でも」
「はい?」
「大きすぎる城は駄目よ」
カイルが少しだけ目を細める。
「なぜです?」
「そんなお金、どこにあるの?」
「お嬢様」
カイルは、少しだけ呆れたように言った。
「こちらには、砂糖があります」
「……」
「投資したい者を募れば、山ほどいるでしょう」
リディアが顔を上げる。
「知れば、私の実家も。あなたのご実家も。そして――」
カイルは一拍置いた。
「エルディア王室ですら」
「…………」
リディアは黙り込んだ。
「それに」
「まだあるの?」
「アレク様から、すでに投資をいただいています」
「…………」
リディアは頭を抱えた。
カイルは真顔だった。
*
夕方。
工場の屋根を見上げているカイルの背中に、リディアは声をかけた。
「カイル」
「はい」
「どうして、そこまで考えてくれるの?」
一瞬だけ、カイルの視線が揺れた。
「……必要だからです」
それだけ答えて、彼は歩き出す。
けれど。
その背中が、いつもより少しだけ遠く見えた。




