第24話 売りたい。でも、どうやって?
カイルがアルヴェニアへ戻ってから、数日が過ぎた。
リヴェルの暮らしは、思っていたほど大きくは変わらなかった。
川の工事は続き、畑も村人たちが手分けをして見回っている。水車も動いているし、砂糖を作るための作業も止まってはいない。
カイルが残していった仕事の割り振りや記録も、きちんと機能していた。
そんな日々の中で、リディアは時々ふと気づく。
「……あら?」
厨房の机に並べられた焼き菓子を見ながら、首を傾げた。
「どうしました?」
エレナが顔を上げる。
「いえ……」
リディアは一つを手に取った。
以前よりも、ずっときれいに焼けている。
ベリーを混ぜたもの。
ジャムを挟んだもの。
乾燥させた果実を細かくして混ぜたもの。
同じ材料でも、作り方を少し変えるだけで味が変わる。
最近では、村の女性たちが自分たちで新しい組み合わせまで考えるようになっていた。
「これは昨日より膨らんでいますね」
「そうなんです。エレナさんが教えてくれた方法を少し変えてみたんです」
「こっちは、ベリーを少し乾かしてから入れてあります」
「なるほど……」
リディアは感心しながら、一つずつ眺めていく。
もう、自分が指示しなければ何もできないという状態ではない。
自分たちで考え、試して、失敗して。
そして、少しずつ良くしている。
「これなら……」
リディアは小さく呟いた。
「売れるかもしれませんね」
女性たちが顔を見合わせる。
「はい。前に話していたように、村の外でも売れるかもしれません」
「でも……」
一人が困ったように眉を寄せた。
「どこで売るんでしょう?」
「……」
「リヴェルで売るにしても、買ってくれる人がそんなにいるとは思えません」
「エルディアまで運ぶのは、遠すぎますし……」
「誰が持っていくんです?」
「どのくらい日持ちするんでしょう?」
次々と出てくる疑問に、リディアは黙って考えた。
保存については、ある程度考えられる。
価格も、原料費を計算すれば目安は出せるだろう。
けれど、実際に商売をしたことはない。
どの市場に、どんな客がいて、何を、どれだけ持っていけばいいのか。
どうすれば売れるのか。
そこまでは知らなかった。
「……アルヴェニアなら、売れるかもしれませんね」
「アルヴェニア?」
「ええ。麦もアルヴェニアの市に卸していますし、種イモを運んだときにも商人たちと取引しています」
「そうですね」
エレナが頷く。
「エルディアの大きな町へ向かうより、ずっと近いですし」
「それなら、売る場所はアルヴェニアでよさそうですね」
「はい」
リディアは頷いた。
けれど、
「問題は、どうやって売るかです」
「……そうですね」
農産物なら、これまでにもアルヴェニアへ運んでいる。
けれど、焼き菓子となると話は違う。
どこへ持っていけばいいのか。誰に売るのか。どのくらいの量を持っていけばいいのか。
そこまでは、まだ分からない。
「……アレク様に相談してみましょうか」
「そうですね」
ちょうどそのときだった。
「お嬢様。アレク様がお見えです」
「……え?」
リディアは思わず目を見開いた。
「今?」
「はい」
ほどなくして、いつものように商人姿のアレクが姿を見せた。
「忙しそうだな」
「はい。ちょうど相談したいことがありました」
「何だ?」
リディアは焼き菓子を見せた。
「これを、売ってみたいのです」
アレクは菓子を手に取り、しばらく眺めた。
一口食べる。
「……悪くない」
「本当ですか?」
「ああ。売れると思う」
リディアの表情が明るくなる。
「でしたら――」
「どこで売る?」
「アルヴェニアです」
「……エルディアではなく、アルヴェニアで?」
「はい。これまでにも農産物をアルヴェニアへ卸していますし、リヴェルからならエルディアの大きな町へ運ぶより近いのです」
「なるほど、それはいい。私から商人たちに話をしておこう」
「アレク様が!? よろしいのですか!?」
「リヴェルの菓子がアルヴェニアで売れるなら、こちらとしても悪い話ではない」
「悪くない?」
「珍しいものが入ってくる。商人は利益を得る。リヴェルも利益を得る」
アレクは肩をすくめた。
「私の国にとっても、悪い話ではないだろう」
リディアは少し考えた。
そして、ふっと笑う。
「そうですね。ありがとうございます」
「何だ?」
「アレク様は、本当に商人らしくなってきましたね」
「私は最初から商人だ」
「そうでしたか?」
「……」
アレクは呆れたように息を吐いた。
「それで?」
「はい?」
「まだ何かある顔をしている」
リディアは少し迷った。
「……もう一つ、お願いしてもいいでしょうか」
「何だ?」
リディアは机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。
そこには、一つの植物が描かれていた。
地上には大きな葉。
その下には、土の中に埋まった太い根。
「これは?」
「私が探している植物です」
「植物の絵……?」
「はい」
アレクは絵をじっと見た。
「名前は分かります」
「何という?」
「甜菜です」
「聞いたことがないな」
「私も、この辺りでは実物を見たことがありません」
リディアは絵を指で示した。
「このような葉が地上にあって、その下に、こういうものができます」
「地下に? 食べるのか?」
「そのまま食べることもできると思います。でも、私が欲しいのは……」
リディアは少し考えた。
「砂糖を作るためです」
「砂糖?」
「はい」
アレクの目が変わった。
「砂糖を作る植物なのか?」
「そうです」
「なるほど……」
アレクはもう一度、絵を見る。
「それを探している?」
「ええ」
「この春に植えたいのです」
窓の外を見る。
嵐は、もう過ぎた。
川も、少しずつ水位を戻している。
だからこそ。
「できるだけ早く、見つけたいのです」
「……分かった」
アレクは絵を受け取った。
「探してみよう」
「ありがとうございます」
「ただ、この絵だけでは見つけられるか分からない」
「はい」
リディアは頷いた。
「ですから、似たものでも構いません」
「似たもの?」
「ええ。私も実物を見てみないと、見分けられないと思います」
アレクは少し考える。
「なら、アルヴェニアで見つかったものを集めてみよう」
「お願いします。比較的、涼しい土地にあるはずです」
「……分かった」
アレクは絵を折らないように丁寧にしまった。
「砂糖を作れる植物か。また、とんでもないものを探しているな」
「そうでしょうか?」
「おまえの場合は、だいたいそうだ」
帰り際、アレクは扉の前で足を止めた。
「……一つ聞いていいか」
「はい」
「おまえは、それを『見たことがある』のか?」
リディアは、答えに詰まった。
見たことがあるのか。
本で読んだのか。
それとも――。
「……分かりません」
正直にそう答えると、アレクは小さく笑って、扉を閉めた。
机の上には、下書きの甜菜の絵が一枚だけ残っていた。
何度も描いたはずの、その根の形を、リディアはしばらく見つめていた。
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