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『追放令嬢、嵐と戦い都市を作ります』 〜知識チートで廃村を国一番の領地にしたら、捨てた王太子が今さら焦りだしました〜ツイトシ(追都市)  作者: カナデ・オン
第一章 生き残り編 〜泥だらけの令嬢〜

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第23話 隣にいる人



 しばらくして、リディアは村人たちと、濡れた服のまま畑へ向かった。


「……入ってない」


 誰かが呟いた。


 西側の畑には、ところどころ水が溜まっている。


 けれど、麦は倒れていなかった。


 高く作った畝も、排水路も、土を固めた場所も、夜の雨に耐えていた。


「……守れたんだ」


 別の男が言った。


 その声に、誰かが笑った。


「守ったんだよ」


「俺たちでな」


 歓声が上がった。


 リディアは、その様子を少し離れたところから見ていた。


 胸の奥が、じんわりと熱くなる。


「……勝ったんですね」


 隣にいたカイルが、川を見ながら答えた。


「今回の雨には、勝ちました」


 けれど、その声は落ち着いていた。


「ただ、終わったわけではありません」


 リディアが振り向く。


「西側の堤は、思った以上に水圧を受けていました。もっと長く降れば、耐えられなかったかもしれません」


「排水も?」


「はい。今回は逃がせましたが、さらに水が増えれば足りなくなるでしょう」


 カイルは川を見る。


「他にも、水が入る場所があるかもしれません」


 リディアも川へ目を向けた。


 確かに。


 今回は守れた。


 けれど、川そのものが変わったわけではない。


「……続けましょう」


「はい」


「もっと強くして。次は、今回より大きな雨が来ても守れるように」


「承知しました」


     *


 昼過ぎ。


 村人たちが集められた。


 雨上がりの空には、まだ雲が残っている。


 その前に立ったカイルが、静かに口を開いた。


「皆さんに、伝えておきたいことがあります」


 ざわめきが止まる。


「今回の工事は、ひとまず一つの区切りを迎えました」


 村人たちの顔に、安堵が浮かんだ。


 けれど。


 次の言葉で、その空気が変わった。


「私は、一度アルヴェニアへ戻ります」


「……え?」


「戻るって……?」


「いつ?」


 声が重なる。


 ガレスが眉を寄せた。


「治水は、まだ終わってないぞ」


「分かっています」


 カイルは頷いた。


「ですが、私はアレクシス様に頼まれて、ここへ来ました。軍務を離れているのも、一時的なものです」


 リディアは黙って聞いていた。


 そうだった。


 最初から、ずっと。


 カイルはリヴェルの人間ではない。


 アレクシスに頼まれて、一時的にここへ来てくれただけなのだ。


「……そうでしたね」


「はい」


「ですから、まずは戻ります」


 村人たちの間に、重い沈黙が落ちた。


「でも……」


「工事はどうするんだ?」


「配置や仕事の振り分けは?」


「現場の監督も、カイル様がいなくてできるのか?」


「厨房だって……」


「材料の仕入れも……」


「帳簿は?」


 次々と声が上がる。


 リディアは、黙っていた。


 その一つ一つが、胸に刺さった。


 カイルが来る前は、これが普通だった。


 仕事はその場で決める。人手が足りなければ、その時に考える。材料がなければ、探しに行く。


 帳簿も、工事も、畑も。


 全部、自分で見なければならなかった。


 それでも、それしか知らなかったから、なんとかやっていた。


 けれど。


 カイルが来てからは違った。


 朝になれば、仕事が決まっている。


 誰がどこへ行くのか分かっている。


 材料が必要になれば、いつの間にか手配されている。


 畑と工事の人手がぶつからない。


 リディアには、考える時間ができた。


 自分が全部動かなくても、リヴェルが動いていく。


 それが、いつの間にか当たり前になっていた。


「……戻ってきてください」


 気づけば、リディアはそう言っていた。


 カイルが見る。


「はい」


「ちゃんと、戻ってきてください」


「……分かりました」


 その返事に、少しだけ安心した。


 けれど。


 それでも、カイルは明日ここを離れる。


     *


 翌朝。


 荷物を積んだ馬車が、村の外へ向かっていた。


 見送りには、村人のほとんどが集まっていた。


「カイル様!」


「戻ってきてくださいよ!」


「治水の続き、待ってるからな!」


「砂糖の工房もですよ!」


 カイルは馬車の前で振り返った。


「必ず戻ります」


 そう言ってから、リディアを見る。


「お嬢様」


「はい」


「それまで、無理はしないでください」


「……カイルも」


 ほんの少しだけ、声が詰まった。


「無理をしないでくださいね」


「はい」


 カイルが頭を下げる。


 馬車が動き出した。


 少しずつ遠ざかっていく。


 誰も何も言わなかった。


 やがて馬車が見えなくなっても、リディアはその場に立っていた。


「……行っちゃった」


 ハンナの声がした。


「うん……」


 誰かが答える。


 しばらくして、ガレスがぽつりと言った。


「……明日から、どうするんだ?」


 リディアは振り返った。


 答えようとして――。


 言葉が出てこなかった。


 工事の予定、人の配置、材料の仕入れ、帳簿、厨房、畑。これから始まる治水工事、砂糖作り、そして、まだやらなければならないこと。


 全部、カイルが整理してくれていた。


 それが今は、ない。


 胸の奥に、ぽっかりと穴が空いたようだった。


 リディアは、遠ざかった道を見つめた。


 その穴を、どう埋めればいいのか。


 まだ、誰にも分からなかった。


 翌朝。


 いつもの時間に目を覚ましたリディアは、しばらく天井を見つめていた。


 雨は上がっている。


 窓の外からは、鳥の声が聞こえていた。


 嵐の後とは思えないほど、静かな朝だった。


 身支度を整え、部屋を出る。


 廊下を歩いていると、向こうからガレスがやってきた。


「あ、お嬢様」


「おはようございます」


「おはようございます。ええと……昨日の堤なんですが」


「はい」


「西側は少し傷んでいます。排水路も見ておいたほうがいいでしょう。畑のほうは……」


 ガレスはそこで一度言葉を切った。


 少し考えるように、リディアを見る。


「俺たちで見て回ることはできます」


「ええ」


「ただ……どこを先にするかは、お嬢様が決めてください」


 リディアは目を瞬いた。


「どうして?」


「カイル様なら、たぶん全体を見て決めると思うんです」


 ガレスは苦笑した。


「俺には、そこまで分かりません」


 それから、少しだけ背筋を伸ばした。


「でも」


「……?」


「お嬢様が来て1年半、カイル様が来て半年です。その間、俺たちはずっとお二人を見てきました」


 ガレスは西側の畑へ目を向けた。


「ここだけなら、俺がやってみます」


「ガレス……」


「分からないことが出たら、お嬢様に聞きに来ます」


 その言葉に、リディアはしばらく黙っていた。


 カイルなら。


 そう思いかけて、やめた。


 目の前にいるガレスも、もう以前とは違う。


 ただ一緒に過ごしていたわけではないのだ。


「……分かりました」


 リディアは頷いた。


「では、西側の堤はガレスにお願いします。排水路を確認したら、崩れているところを――」


「はい」


 ガレスが頷く。


 そして歩き出しかけてから、振り返った。


「……お嬢様」


「はい?」


「その……」


 少し言いにくそうに頭を掻く。


「カイル様がいないのは、俺も心配です」


 リディアは、少しだけ目を伏せた。


「でも」


 ガレスは笑った。


「ずっとカイル様に頼ってるだけじゃ、戻ってきた時に怒られそうですから」


 リディアは、思わず笑った。


「そうですね」


「だから、やってみます」


「お願いします」


 ガレスが去っていく。


 その背中を見送りながら、リディアは小さく息を吐いた。


 カイルがいなくても。


 皆は、ちゃんと前へ進もうとしている。


 それが嬉しい。


 けれど。


 何かある度に、隣に確認しようとしてしまう。


 そんな癖が、いつの間にか付いていた。


 今は誰もいないというのに。


     *


 昼前。


 机の上には書類が積まれていた。


 リディアは椅子に座った。


 一枚ずつ確認していく。


 淡々と、時間が過ぎていく。


 そして、ぽつりとつぶやいた。


「……私、ずっと安心してたのね」


 カイルは、リディアの代わりに領主になることはなかった。


 最後に決めるのは、いつもリディアだった。


 それでも。


 何かを決める前に話せて、見落としているものがあれば、指摘をしてくれる。


 問題が起きても、一緒に考えてくれる。


 ……そして、一緒に戦ってくれる。


 それが、思っていた以上に大きかった。


「……早く戻ってきてくれるといいわね」


 リディアは窓の外を見た。


     *


 午後。


 村の入口から、馬の蹄の音が聞こえた。


 リディアが顔を上げる。


「お客様でしょうか」


 エレナが窓から外を見る。


「商人のようです」


 馬車が止まった。


 降りてきた男を見て、リディアの表情が少し明るくなる。


「アレク様」


 アレクは、いつものように軽く手を上げた。


「久しぶりだな」


「お久しぶりです」


 そう答えたリディアを見て、アレクは少しだけ目を細めた。


 以前とは、何かが違う。


 元気がない。


 そういうほどではない。


 だが、どこか気が抜けているように見えた。


「……何かあったのか?」


「え?」


「いや」


 アレクは周囲を見回した。


「人が少ない気がする」


「カイルが帰ったんです」


「ああ」


 アレクは頷いた。


「知っている」


「今回の治水工事まで、という話でしたから」


「そうだったな」


「分かっていたんです。最初から」


 リディアは少しだけ笑った。


「だから、帰ること自体は分かっていたのですけれど……」


「けれど?」


「いなくなってみると、思っていたより……」


 そこで言葉を探す。


「……静かなんです」


「静か?」


「ええ」


 リディアは窓の外へ目を向けた。


「カイルがいると、何かを決める時も、仕事をしている時も……その先に誰かがいるような気がしていたんです」


 アレクは黙って聞いている。


「私が決めれば、カイルが考えてくれる。私が迷えば、一緒に考えてくれる。決めたことは、きちんと動かしてくれる」


 リディアは少し困ったように笑った。


「そんなことが、いつの間にか当たり前になっていたんですね」


「……そうか」


「はい」


 アレクはしばらく黙っていた。


 そして、いつものように淡々と言った。


「戻ってくるまでに、できることを増やしておけばいい」


 リディアが顔を上げる。


「カイルが戻ってきた時に、驚くくらいにな」


「……それは、いいですね」


 リディアが笑った。


 少しだけ、いつもの顔に戻った。


「そうしてみます」


「そうしろ」


 アレクは短く答えた。


 けれど。


 胸の奥には、妙な引っかかりが残っていた。


 なぜだろう。


 また、ここへ来ている。


 最初は、麦の噂を聞いたからだった。


 その次は、果樹や砂糖に興味を持ったから。


 今回も、治水の様子を見に来た――そう言えば説明はつく。


 だが。


 ふと考えていた。


 ――なぜ、自分はまたここへ来た?


 答えは、出なかった。


「……カイル、か」


 アレクが小さく呟いた。


「はい?」


「いや」


 アレクは首を振った。


「何でもない」


 リディアは不思議そうに彼を見る。


 けれど、すぐに机の上の書類へ目を戻した。


「そういえば、アレク様。砂糖のほうですが――」


「砂糖?」


「はい。実は、少し試してみたいことがあって」


 リディアが話し始める。


 アレクは顔を上げた。


「それで?」


 気づけば、先ほどまでのことは頭の隅へ追いやられていた。


 リディアの口から出てくる、新鮮な話に。


 今日もまた、引き込まれていく。

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