第16話 甘いものが欲しい
カイルが来てから、数日が経った。
リディアは朝から工事現場へ向かおうとして――ふと、足を止めた。
「……あら?」
今日は、呼ばれていない。
昨日までは、工事の進み具合を確認し、畑を見て、村の人たちと話をして、食事のことを考えているうちに一日が終わっていた。
けれど今は違う。
工事の人員配置はカイルが見ている。
材料の手配も、道具の管理も、技師たちとの調整も任せられる。
畑のことも、必要な作業はカイルが整理してくれていた。
「……私、時間があるわ」
なんだか不思議な気分だった。
リディアは机に向かい、一枚の紙を広げた。
今のリヴェルにあるものを書き出していく。
じゃがいも、麦、野菜。
森で見つけた果実、ベリー。
「食べるものは……前より増えたわね」
もちろん、まだ十分とは言えない。
けれど、以前のように「次の収穫まで持つだろうか」と怯えるだけではなくなった。
食料を作り、水を守り、川を整える。
少しずつだが、リヴェルは変わっている。
リディアはその下に、
保存。
と書いた。
「保存……」
じゃがいもは貯蔵できる。
麦も保存できる。
でも果物は、そのままでは長く持たない。
リヴェルのジャムは、砂糖を入れなくても甘いが、日持ちはしない。
甘いものは貴重だから、村の人たちは喜んでくれたが。
「……もっと長く保存するなら」
リディアは首を傾げた。
「……やっぱり、砂糖がいるわ」
砂糖があれば、ジャムはもっと作りやすくなる。
保存だけではない。
砂糖があれば、果物を煮詰めるだけではなく、焼き菓子にも使える。
干し木苺と合わせることもできる。
そして――
「ケーキ……」
思わず口に出した。
王都にいた頃、リディアは何度も菓子を見てきた。
華やかな焼き菓子や、果物を使った菓子、砂糖をふんだんに使った菓子。
けれど、リヴェルでは砂糖は簡単に手に入らない。
そもそも、この領地で砂糖を作ることができるのだろうか。
リディアは紙の端に、知っている甘味料を書き並べていった。
蜂蜜。
サトウキビ。
甜菜。
ほかにもいくつか。
「……この土地なら」
冬がある。
そう考えると、サトウキビをここで育てるのは難しいだろう。
少なくとも、今のリヴェルで最初に取り組むものではない。
けれど。
「最初から、ここで作らなくてもいいわよね」
原料を手に入れて、加工する。
それなら可能性がある。
問題は、砂糖をどう作るかだった。
リディアは紙に、
原料。
と書いた。
その下に、
煮る。
と書く。
さらに考える。
汁を取り出して、不純物を取り除いて、濃くして。
結晶を作る。
そして――結晶と液体を分ける。
「……回転させて」
そこまで考えて、リディアは眉を寄せた。
何かを回転させて、重さの違いを利用して分ける。
そんな仕組みだったはずだ。
「遠心……」
言葉だけが、記憶の奥から浮かんだ。
けれど、それ以上は曖昧だった。
実際に作ったことなどない。
「……またね」
リディアは苦笑した。
「知っています。でも、やったことはありません」
いつものことだ。
だからこそ、誰かに相談する必要がある。
幸い、リヴェルには今、エドとバルトがいる。
水車を使った機械を作った二人なら、考えてくれるかもしれない。
そして、もう一人。
「アレク様なら……」
隣国との商売に詳しい。
必要なものを探してくれるかもしれない。
リディアは紙を見つめた。
砂糖を作るための原料。
それを手に入れることから始めればいい。
*
「砂糖?」
その日の午後。
訪ねてきたアレクは、リディアの言葉を聞いて目を丸くした。
「ええ。できれば、砂糖そのものではなく、砂糖を作れる原料を」
「……砂糖を、作る?」
「はい」
リディアは頷いた。
「ジャムを作るだけなら、今のベリーでも十分です。でも、保存を考えると砂糖があったほうがいい。それに、砂糖があれば作れるものが増えます」
「例えば?」
「焼き菓子です」
「焼き菓子」
「ケーキも」
「……ケーキ」
アレクの顔が、少し明るくなった。
「それは……食べてみたいな」
「私もです」
リディアは真剣だった。
アレクが思わず笑う。
「君は本当に、面白いことを考える」
「そうでしょうか?」
「ああ」
アレクは少し考えた。
「それで、砂糖の原料というと、……きびだな。」
「ええ。リヴェルで育てることも考えていますが、きびは温かくないと育たないので……。まずは外から手に入れて試してみたいと思っています」
「なるほど」
「分かった。探してみよう」
「ありがとうございます」
「それで、砂糖を作る方法は?」
「大まかなことなら、分かります」
リディアは少し言葉を選んだ。
「原料から汁を取り出して、きれいにして、煮詰めて、結晶を作る……はずです」
「はず?」
「……作ったことはありません」
「なるほど」
アレクは楽しそうに笑った。
「いつもの君だ」
「いつもの?」
「知っている。でも、やったことはない」
「……はい」
リディアは少し恥ずかしそうに頷いた。
「だから、技師の方と職人の方に相談します」
「そうだな。それがいい」
「他に必要なものがあれば言ってくれ。探してみる」
「はい」
アレクが立ち上がる。
そのとき、リディアはふと思い出した。
「あ、アレク様」
「うん?」
「また来ていただけますか?」
「なんだ?」
「砂糖のことで、もう少し相談したいことがあります」
「……砂糖のことで?」
「はい」
リディアは何の疑問も持たずに頷いた。
「よろしくお願いします」
アレクは一瞬だけ黙って、それから笑った。
「……分かった。また来る」
*
その日の夕方。
リディアはカイルに、砂糖の話をした。
「砂糖を作る、ですか」
「ええ」
カイルは黙って紙に目を落とした。
「ジャムの保存だけではありません。砂糖があれば、果物を加工して、もっといろいろなものを作れます」
「菓子も?」
「はい」
「そして、それを売ることもできる」
リディアは顔を上げた。
「……そうですね」
カイルは紙に書かれた言葉を指で追った。
「食料を増やすだけではない。加工して価値を加える、ということですね」
「はい」
「ならば、砂糖そのものを作ることが目的ではありませんね」
「え?」
「砂糖を使って、リヴェルでしか作れないものを作る」
リディアはしばらく考えた。
ベリー、ジャム、ドライフルーツ、焼き菓子、ケーキ。
そして、それを買う人。
「……商売にできるかもしれません」
「ええ」
カイルは頷いた。
「リヴェルは、食べるためだけの領地ではありません。これからは、作って売ることも考えるべきでしょう」
その言葉を聞いて、リディアは紙の端を見つめた。
そこには、さっき自分で書いた言葉がある。
砂糖。
原料を手に入れる。
砂糖を作る。
ジャムを長く保存する。
焼き菓子を作る。
リディアは最後に、もう一つ書き足した。
――売る。
「……やることが、増えましたね」
「はい」
カイルが静かに答える。
「ですが、今までとは違います」
「?」
「今度は、食べるためだけではない」
カイルは紙を見ながら言った。
「リヴェルで作ったものを、外へ出すための仕事です」
リディアは、しばらくその言葉を考えていた。
これまでずっと。
どうすれば冬を越せるか。
どうすれば麦を育てられるか。
どうすれば洪水から畑を守れるか。
そればかり考えてきた。
けれど今は。
どうすれば、ここで作ったものを誰かに届けられるか。
そんなことを考え始めている。
「……少しずつ、変わってきていますね」
「ええ」
カイルは頷いた。
「リヴェルも、あなたも」
リディアは窓の外を見た。
夕暮れの畑。
工事の音。
人の声。
以前は静かだった領地に、少しずつ音が増えている。
リディアは机に戻った。
そして紙の一番下に、小さく書き足した。
――ケーキ。
書いたあと、少しだけ笑った。
「……作れるかしら」
その小さな文字の向こうで。
リヴェルは、まだ知らない。
これから作ろうとしているのが、ただ甘いものだけではないことを。




