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『追放令嬢、嵐と戦い都市を作ります』 〜知識チートで廃村を国一番の領地にしたら、捨てた王太子が今さら焦りだしました〜ツイトシ(追都市)  作者: カナデ・オン
第一章 生き残り編 〜泥だらけの令嬢〜

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第15話 頼れる右腕



 翌朝。


 リディアが工事現場へ向かうと、昨日までとは明らかに様子が違っていた。


「……あら?」


 人が、迷っていない。


 誰がどこで何をするのか、どの材料をどこへ運ぶのか、誰が技師の手伝いをし、誰が鍛冶場へ向かうのか。それぞれが、自分の仕事を知っている。


 昨日までなら、リディアが一つずつ確認していたことだった。


「おはようございます、リディア様」


 声をかけてきたのは、技師のエドだった。


「おはようございます。今日は……ずいぶん早いのですね」


「カイル様に、朝のうちに今日の作業を決めておくようにと言われまして」


「カイル様に?」


「はい。昨日のうちに、必要なものを全部聞かれました」


 技師が苦笑する。


「私が水車のことを話したら、今度は鍛冶職人に何が必要か聞いて、木材の量まで確認して……」


「そうですか」


 リディアは周囲を見回した。


 老職人バルドは若い職人たちと何かを相談している。少し離れたところでは、ガレスたちが木材を運んでいた。


 そして、その中央に。


「リディア様」


 カイルが立っていた。


 編まれた銀髪に、整いすぎた横顔。几帳面な立ち姿と、泥の跳ねた長靴。


 最後の一つだけが、この現場に馴染もうとしていた。


「おはようございます」


「おはようございます。……これは、カイル様が?」


「昨日のうちに皆さんから話を聞いただけです」


「それだけ?」


「はい」


 カイルは平然としている。


「皆さん、自分の仕事については私より詳しいですから」


 そう言って、手元の書類に目を落とした。


「ただ、仕事が重なっていたので、順番を整理しました」


「順番を?」


「はい。技師が設計をしている間に、鍛冶職人が作れる部品を作る。木材を切っている間に、別の者が運搬路を整える。全員が同じ仕事をする必要はありません」


 リディアは目を瞬いた。


 言われてみれば、その通りだった。


 けれど、昨日までの自分には、そこまで考える余裕がなかった。


「それから」


 カイルが続ける。


「食事の時間も決めました」


「……食事?」


「はい」


「それは……」


「昨日、昼食を食べていない者が何人もいました」


「……」


 リディアは何も言えなかった。


「工事を急ぐのは構いません。ただし、人間は食事をしなければ動けません」


「そうですね……」


「リディア様もです」


「え?」


「あなたも昼食を抜いていました」


「……見ていたんですか?」


「指揮をする人間が倒れたら、全員が困りますから」


 あまりにも淡々と言われて、リディアは返す言葉を失った。


「それから、昨日の計画について一つ」


「はい」


「このまま全員を工事に回すのは危険です」


「危険?」


「畑があります」


 カイルは西側の畑を見た。


「今は工事だけを優先できますが、農作業の時期になれば、村人を工事に出し続けることはできません」


「……そうですね」


「ですから、今のうちに工事の優先順位を決めます」


 カイルは紙を広げた。


「まずここ。次にここ。ここは雨が降った場合に備えて後回しにします」


 迷いがない。


「必要な人数も変えます。常に全員を動員する必要はありません」


 リディアは紙を覗き込んだ。


 自分が考えていた工事が、いくつもの仕事に分けられている。


 人、材料、時間、天候、農作業。それらが、一つの表の中に並んでいた。


「……すごいですね」


 思わず口から出た。


「何がですか?」


「いえ……」


 リディアは少し考えた。


「私、一つのことしか見ていなかったのかもしれません」


「そんなことはありません」


 カイルは即座に否定した。


「あなたが、何をしたいのかを決めたから、今こうして動いているんです」


「……」


「私がしているのは、それを実行できる形にしているだけです」


 リディアは、しばらく彼を見つめた。


 自分がやらなければと思っていたこと。


 全部、自分が見なければと思っていたこと。


 それを、誰かに任せてもいいのかもしれない。


 そんな考えが、初めて浮かんだ。


「では、私は何をすればいいでしょう?」


「今まで通りです」


「今まで通り?」


「あなたが必要だと思うことを考えてください」


 カイルは淡々と言った。


「その代わり、細かいことは私に任せてください」


 その言葉に、リディアは小さく頷いた。


「分かりました」


     *


 その日の昼。


 リディアは久しぶりに、きちんと食卓についていた。


「……昼食って、こんな時間に食べるものだったのですね」


「本来はそうですよ、お嬢様」


 ハンナが笑う。


「最近のお嬢様は、朝から晩まで何かしていましたから」


「そうだったかしら」


「そうですよ」


 ハンナは呆れたように笑った。


「畑に行って、工事を見て、帳簿を書いて、また畑に行って……」


「そんなに?」


「そんなにです」


 リディアは首を傾げた。


 自分では、忙しいとは思っていた。


 けれど、それがどれほどだったのかは、よく分かっていなかった。


 その横では、ニコがパンを頬張っている。


「ニコ、そんな急いで食べなくても大丈夫よ」


「でも、午後の仕事があるから!」


「仕事?」


「薪を運ぶんだ!」


 胸を張るニコに、ハンナが笑った。


「この子もすっかり屋敷の雑用係ですね」


「俺、もっとできるよ!」


「はいはい。でも重いものを持つ時は気をつけてね」


「分かってる!」


 そんな二人を見て、リディアも小さく笑った。


「……カイル様が来てくださって、少し楽になりましたね」


「そうですね」


 リディアは笑った。


 変わっていくものもある。


 けれど、変わらなくていいものもある。


 そのことが、少し嬉しかった。


     *


 午後。


 カイルは屋敷の中を見ていた。


 正確には、屋敷と呼ぶには少し寂しい建物だった。


 部屋はある。


 机もある。


 食器も最低限はある。


 だが、領主が暮らし、領民を迎える場所として考えると、あまりにも足りない。


 来客用の椅子がない。


 書類を保管する場所も足りない。


 執務室と私室の区別も曖昧。


 使用人が動くための場所も整っていない。


 そして何より。


「侍女は?」


 カイルが尋ねた。


「おりません」


 ハンナが答えた。


「……そうですか」


「私がお世話をしていますので」


「あなたは、畑仕事もあるでしょう」


「はい。でも、こちらの下働きも続けさせてください」


 ハンナははっきりと言った。


「お嬢様がここへ来られたときから、私はここで働いてきました。これからも、ここにいたいんです」


 カイルは少し考えた。


「分かりました」


「ありがとうございます」


「ただし、仕事量は調整します」


「え?」


「あなた一人に負担が偏らないようにします」


 カイルは屋敷を見回した。


「領主の身の回りの世話をする者と、屋敷の雑務をする者は別に必要です」


「……」


「あなたがここにいることと、あなた一人に頼ることは別です」


 ハンナは目を丸くした。


 やがて、ふっと笑う。


「……はい」


「それから」


 カイルはニコを見る。


「君」


「俺?」


「手伝いをするのは構いません。ただし、無理な仕事はしないこと」


「分かった!」


「返事だけはいいですね」


「ちゃんとできるよ!」


 カイルはわずかに口元を緩めた。


「では、薪を運ぶときは大人と一緒に」


「はい!」


 そしてカイルは、屋敷の奥へ視線を向けた。


「侍女を一人、呼びます」


「侍女?」


「はい」


「どなたを?」


「これから探します」


     *


 数日後。


 一人の若い女性が屋敷を訪れた。


「初めまして、お嬢様」


 柔らかな茶色の髪をまとめた女性が、丁寧に頭を下げる。


「エレナと申します」


 子爵家の三女。


 家を継ぐ立場ではないが、幼い頃から貴族令嬢としての教育を受け、家の中で侍女たちの仕事も身近に見てきた。


 そして何より。


 カイルが、リディアのそばに置く人間として選んだ女性だった。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 リディアが頭を下げる。


 エレナは少し驚いたように瞬いた。


「そんなにかしこまらないで。歳の近い話せる相手ができて嬉しく思っているの」


「そうですか? そう言っていただけると嬉しいです。私も、お嬢様というより……妹ができたような気持ちです」


 エレナは笑った。


「ふふ、よろしくね」


「はい!」


「では、まず……」


 エレナはリディアの姿を見た。


 いつもの服。


 簡素にまとめられた髪。


 そして、少し泥のついた靴。


「お嬢様」


「はい?」


「その靴で、この後どちらへ?」


「畑です」


「……なるほど」


 エレナは少しだけ考えた。


「では、畑へ行くためのお召し物を用意しておきます」


「え?」


「毎回、泥のついた服を洗うより、そのほうが合理的ですから」


「……ありがとうございます」


 リディアは嬉しそうに笑った。


 エレナも笑う。


「お任せください、お嬢様」


     *


 それから、少しずつ。


 屋敷が変わっていった。


 執務用の机が整えられた。


 書類を保管する棚が置かれた。


 来客を迎えるための部屋も整えられた。


 食事の時間も決まり、リディアの予定には余白が生まれた。


 今までなら、朝から夜まで何かをしていた。


 けれど。


「お嬢様、午後の三時まではこちらの書類を」


 エレナが予定を示す。


「三時以降は?」


「カイル様が工事の報告をまとめてくださるそうです」


「では、その時間に次の計画を考えられますね」


「はい」


 リディアは少し嬉しくなった。


 考える時間がある。


 それは、思っていた以上に大切なことだった。


 そして数日後。


 久しぶりに、きちんとしたドレスを着ることになった。


「こちらを」


 エレナが差し出した。


「……綺麗ですね」


「カイル様が用意されたものです」


「カイル様が?」


「はい。領主として人を迎える機会も増えるでしょうから、と」


 リディアはドレスを見つめた。


 王都を離れてから、こういう服を着ることはほとんどなかった。


「着てみます」


「はい」


 エレナが手伝い、髪を整える。


 鏡の前に立ったリディアは、少し不思議な気持ちになった。


 そこにいるのは、かつて王都で公爵令嬢として暮らしていた頃の自分に近い。


 けれど。


「……少し、動きにくいですね」


「ふふ」


 エレナが笑った。


「畑仕事には向きませんね」


「はい」


「ですが、お似合いですよ」


「ありがとうございます」


 リディアは鏡の中の自分を見つめた。


 もう王都へ戻ったわけではない。


 ここはリヴェル。


 自分が選び、守りたいと思った場所だ。


 ただ。


 その場所で、自分が公爵令嬢だったことまで捨てる必要はないのかもしれない。


     *


 その日の午後。


 屋敷の前に、一台の馬車が止まった。


「アレク様がお見えです」


「アレク様が?」


 リディアは玄関へ向かった。


 扉が開く。


「久しぶりだな、リディア嬢」


「アレク様。お久しぶりです」


 アレクはいつものように笑いながら、リディアを見た。


 そして。


「……うん?」


「どうしました?」


 リディアが首を傾げる。


 アレクは、もう一度彼女を見た。


 いつもと違う。


 土のついた服ではない。


 髪も整っている。


 きちんとしたドレスを着ている。


 立派な貴族令嬢のようだ。


「……いつもと違うな」


「そうですか?」


「ああ」


 リディアは自分の服を見下ろした。


「カイルが用意してくれたんです」


「……カイルが?」


 アレクの声が、ほんの少しだけ低くなった。


「はい。領主として人を迎えることも増えるから、と」


「そうか」


「侍女も手配してくれました」


「……侍女も?」


「ええ。ハンナにもここで働いてもらっていますが、一人に任せるのは大変ですから」


「確かに、そうだな……」


 アレクは笑った。


 笑っている。


 けれど。


 なぜか、少しだけ面白くない。


「最近は、ちゃんと食事もできるようになりました」


「それはよかった」


「それに、工事の細かいこともカイルが見てくれるので、私も少し考える時間ができたんです」


「……そうか」


……。


来てから、カイルのことばかりだな。


「アレク様?」


「いや」


 アレクは笑顔を作った。


「何でもない」


 そこへ、背後から声がした。


「アレクシス様」


 振り返る。


 カイルだった。


「お久しぶりです」


「ああ、カイル」


 二人の視線が交わる。


「君のおかげで、ずいぶん変わったようだな」


「領主が領主らしく働けるようにしただけです」


 カイルは淡々と答えた。


「それはよかった」


 アレクは笑った。


 けれど、その目は笑っていなかった。


 自分でも、なぜこんなことが気になるのか分からない。


 ただ。


 いつも泥だらけになっていた少女が、今日は綺麗なドレスを着ている。


 そして、それを用意したのが。


 自分ではなく、目の前の男だった。


 それがなぜか、少しだけ気に入らなかった。


 アレクは、自分でも理由の分からない小さな苛立ちを胸の奥にしまい込んだ。

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