第13話 二つになれない
翌朝。
リディアは、一枚の紙を抱えて二人の前に立っていた。
昨日、最後まで残ってくれた二人だ。
若い男は、紙と筆を手にしている。もう一人の老人は、腕を組んだまま、黙ってリディアを見ていた。
「昨日、お話しした工事についてです」
「ああ」
老人が短く答える。
リディアは紙を広げた。
そこには、二つの大きな円が描かれていた。
その円を一本の帯がぐるりと囲んでいる。
「これは……?」
若い男が身を乗り出した。
「石を運ぶためのものです」
「石を?」
「はい。川から採った石を砕いて、土手や水路の工事に使います」
リディアは、帯の上に小さな丸をいくつか描いた。
「人が石を運ぶ代わりに、この帯の上に砕いた石を載せて、こちらからこちらへ運べないかと思ったんです」
指で帯の一方を示す。
「ここから石を載せて……」
もう一方を指す。
「こちらで落とす」
若い男は、紙を見つめた。
「……帯が、回る?」
「ええ」
「ずっと?」
「そうです」
老人が眉を上げた。
「どうやってだ?」
「そこが分からないんです」
リディアはあっさり答えた。
「私が考えたのは、ここまでです」
二人が顔を見合わせる。
「この大きさのものを回すには、かなりの力が必要になります」
若い男が言った。
「ええ」
「人が押す?」
「それでは、人手を減らせません」
「馬は?」
「飼う余裕がありません」
「……。」
「水は、川の流れは使えないでしょうか」
「え?」
ハッとしたように若い男が川の方を見た。
リディアは頷いた。
「水車……」
若い男の目が変わった。
「水車で回転を作って、それを伝えれば……」
彼は紙を引き寄せた。
「直接つなぐと流れによって速度が変わる。なら、間に――」
筆が走り始める。
リディアは少しだけ目を丸くした。
先ほどまで自分の話を聞いていた男が、もう別の世界に入っている。
「ここに歯車を……」
「おい」
老人が口を挟んだ。
「その歯車じゃもたねえ」
「え?」
「この量の石を運ぶんだろう」
老人は紙の上を指で叩いた。
「一度にどれだけ載せるつもりだ?」
「ええと……そこまでは」
「だろうな」
老人が鼻を鳴らした。
「小僧。お前さんは頭の中で動かしてる」
「では、どうすれば?」
「まず、載せる石の量を決めろ」
「しかし、それでは――」
「順番だ」
老人は筆を奪うように取った。
「重さが分からねえのに、歯車の大きさなんぞ決められるか」
「……なるほど」
若い男が唸った。
「では、必要な搬送量から逆算して……」
「そういうことだ」
二人の間で、話が始まった。
リディアはしばらく黙って見ていた。
やがて。
「……あの」
「はい?」
「私は、何をすれば?」
二人が同時にリディアを見る。
「嬢ちゃんは、そのままでいい」
「え?」
老人が言った。
「思いついたことを言え」
「……それだけですか?」
「ああ」
若い男も頷いた。
「むしろ、途中で遠慮されると困ります」
「でも……」
「俺たちは、こういうものを考えるのが仕事ですから」
若い男は笑った。
「面白いものを持ってきてくれたんです。最後まで考えさせてください」
その目が、妙に輝いていた。
◇
そこから先は、早かった。
「帯は革では?」
「高すぎる」
「布を重ねれば」
「石が擦れりゃ破れる」
「木の板をつないで帯のように……」
「曲がらねえ」
「なら、短い板を鎖のようにつなぐ」
「……それなら」
老人が腕を組む。
「いけるかもしれん」
「水車は?」
「川岸に置くなら、まず土台がいる」
「軸は?」
「木じゃ弱い」
「鉄にしますか?」
「全部か?」
「いえ。力がかかる部分だけ」
「それなら鍛冶屋に頼め」
「歯車は?」
「木でも作れる」
「でも摩耗します」
「なら交換できるようにする」
「……なるほど」
話が止まらない。
リディアが一つ案を出すたびに、二人がそれを揉み、削り、別の形に変えていく。
やがて、若い技師の声が少しずつ大きくなっていった。
「待ってください」
紙に線を引く。
「ここをこうすれば、回転を二段階に落とせます」
「ほう」
「それなら帯の速度を抑えられる」
「石が落ちにくくなるな」
「そうです」
「だが、その歯車だと力が逃げる」
「では、ここを――」
「いや」
老人が身を乗り出した。
「そこじゃねえ。軸を変えろ」
「軸を?」
「力を逃がすんじゃねえ。最初から逃げねえようにする」
「……!」
若い男が紙を見つめた。
「それなら……水車の回転をもっと効率よく使える」
「だろう?」
老人が笑った。
「面白くなってきたじゃねえか」
その顔を見て、リディアは思った。
昨日までとは、まるで別人だ。
帰ることを考えていた男たちとは思えない。
今は二人とも、目の前のものしか見ていない。
◇
最初の試作品は、半日で壊れた。
帯が外れ、歯車が一つ欠け、軸が曲がった。そして、載せた石が全部地面に落ちた。
若い技師が頭を抱えた。
「……駄目です」
「何がだ?」
「全部です」
「全部じゃねえ」
老人は壊れた機械を見ながら言った。
「帯は動いた」
「ですが……」
「石も一度は運べた」
「一度だけです」
「一度できたなら、直せる」
若い技師が顔を上げた。
「……そうですね」
その声に、もう落胆はなかった。
むしろ、楽しそうだった。
「では、もう一度です」
「おう」
老人が笑った。
◇
数日後。
川岸に、大きな木製の構造物が組み上がっていた。
水車が回り、軸が回り、歯車が噛み合う。
そして、長い帯がゆっくりと動き始めた。
「……動いた」
誰かが呟いた。
帯の上に載せられた砕石が、少しずつ運ばれていく。
一つ。
二つ。
三つ。
そして、反対側へ落ちた。
「運んだ……」
村人たちから声が上がった。
リディアは、ただそれを見つめていた。
何度も失敗した。
壊れては直し、また壊れても、それでも二人は諦めなかった。
「……すごい」
思わず口からこぼれた。
若い技師が振り返った。
「まだ改良できます」
「え?」
「もっと効率を上げられる」
老人も笑った。
「当然だ」
「当然?」
「こんな面白ぇもの、これで終わりにできるか」
老人は動き続ける機械を見上げた。
「……久しぶりだ」
「何がです?」
「こんなに、作りてぇと思ったのはよ」
若い技師も笑った。
「僕もです」
リディアは二人を見て、微笑んだ。
◇
その数日後。
一台の馬車が、リヴェルの屋敷へ入ってきた。
「また来たの?」
リディアが外へ出る。
馬車から降りてきたのは、見覚えのある男だった。
「アレク様」
「元気そうだな」
「はい」
アレクは辺りを見渡した。
そして、川岸で動いている巨大な木製の構造物を見つけた。
「…………」
しばらく黙っている。
「な、なんだあれは」
リディアは首を傾げた。
「物資を運んでいるんです」
「そんなことは見れば分かる」
アレクが目を丸くする。
「どこから、あんなものが湧いてきたんだ?」
「人手不足を補うために、試行錯誤して開発したんです」
「君が?」
「最初に考えたのは私です。でも、形にしたのはあの二人です」
リディアが若い技師と老職人を指す。
「私は、大きな仕組みしか考えられませんでした。どうすれば本当に動くのかは、二人が考えてくれたんです」
アレクは二人を見た。
それから、もう一度リディアを見る。
「……なんということだ」
「?」
「君は、また何か作ったのか」
「作ったのは私ではありません」
「そういうところだよ」
アレクが苦笑する。
そして、しばらく考えるように腕を組んだ。
「だが、これなら工事は早くなる」
「はい」
「人が石を運ぶ時間が減る」
「はい」
アレクが川岸を見た。
「なら、もっと人手を増やせば――」
「それが難しいんです」
「……なぜ?」
リディアは川岸を見た。
「今いる人たちは、ほとんど農民です。外から人を呼んでも、同じような人ばかりです」
「技術者は?」
「足りません」
「職人は?」
「足りません」
「金は?」
「もっと必要です」
アレクが黙る。
リディアも黙った。
風が吹く。
川の音だけが聞こえた。
やがて、アレクがぽつりと言った。
「……指揮官か」
「え?」
「足りないのは、人間の数だけじゃない」
アレクは川岸の工事を見渡した。
「これだけの仕事を、誰がまとめる?」
リディアは答えられなかった。
「技師は技師の仕事をする。職人は職人の仕事をする。農民は畑を守る」
アレクがリディアを見る。
「では、それらを全部まとめて動かす人間は?」
リディアは、しばらく考えた。
「……私が、やっています」
アレクは少しだけ目を細めた。
「そうだな。君が全部やってきた」
「はい」
「工事の順番を決めて、人を割り振って、必要なものを考えて、問題が起きれば自分で見に行く」
リディアは黙って頷いた。
「君がいなければ、ここまで進まなかった」
「……ありがとうございます」
「だが」
アレクは、川岸で動く機械と、その周囲で作業する人々を見た。
「君は二つにはなれないからな」
「二つに?」
「技術者たちと一緒に、新しい仕組みを考える君と、村全体の仕事を見渡して指揮を取る君。その両方を、同じ時間にすることはできない」
リディアは、動き続ける水車を見た。
確かに、最近は一つの場所に長くいられない。
技師たちの話を聞いている途中で、別の場所から呼ばれる。
工事の確認に向かえば、今度は食料や道具の手配が滞る。
誰かに任せようとしても、全体の順番を知っている者がいない。
結局、最後は自分が走り回ることになる。
「……私が、全部やらないといけないと思っていました」
「最初は、それでよかった」
アレクは静かに言った。
「規模が小さかったからね。君一人で見渡せた」
そして、川岸の先へ視線を向ける。
「だが、もう違う」
「違う?」
「仕事が増えた。関わる人間も増えた。技術も、工事も、生活も、別々に動き始めている」
アレクはリディアを見た。
「今、足りないのは、さらに働く人間だけじゃない。誰が何をするのかを決め、全体の進み具合を見て、必要なら順番を変える人間だ」
「……指揮を取る人」
「そう」
アレクは頷いた。
「君が考えたことを、君一人で全部実行する必要はない。現場を見て、君の決めた方針に従って人を動かす人間が必要なんだ」
リディアは、しばらく何も言えなかった。
自分が忙しいのは、仕事が多いからだと思っていた。
けれど、仕事を分ける人間も、分けた仕事を繋ぐ人間も、全体を見て判断する人間もいなかった。
だから、全部が自分のところへ戻ってきていたのだ。
「……そんな人、いるんでしょうか」
リディアが尋ねる。
アレクは少しだけ考えるように黙った。
「……いる」
「本当ですか?」
「心当たりがある」
リディアの顔がわずかに明るくなる。
「……本当ですか?」
「ああ。ただし」
アレクは少し困ったように笑った。
「少々、扱いにくい男だ」
「扱いにくい?」
「私が知る限り、君と同じくらい頑固だよ」
「……私、頑固でしょうか?」
リディアが首を傾げる。
アレクは思わず笑った。
「そこからか」
「?」
「まあ、会えば分かる」
そう言って、アレクは川岸へ視線を戻した。
「彼が来れば、少しは君も楽になるだろう」
リディアは動き続ける水車を見つめた。
「……楽しみです」
そう呟いた。




