9 後継者宣誓式
故ペトロネラ=メセトラーム侯爵夫人の喪があけようとしていた。
シーウェルト=メセトラーム侯爵の書斎を主とし、第一子であるマリアンネ=メセトラーム侯爵令嬢にゆくゆくの後継者とする手続きが進んでいる。
後継者の披露については、月があけて紅彩の月十日と決まった。
その日は、神官長による承認式や家臣団による忠誠の誓いが行われることとなる。
もちろん。
マリアンネが正式後継者になるということで、婚約者であるヴェンデリン=ボルケスティン伯爵令息にも、婚約継続の意思を確認する必要があるとのことだ。
ボルケスティン伯爵家は、メセトラーム侯爵家の家臣団の上位に位置する家で長男であるヴェンデリンが入嗣することで、次男オスバルド九歳が次代ボルケスティン伯爵の後継者となる。
裏庭にポツンとたたずむガゼボにその二人はいた。
シーウェルトと会談を終えたヴェンデリンとマリアンネだ。
初陣を飾るために成人式を済ませたヴェンデリンにマリアンネは少し照れながら話しかけた。
「ヴェンデリン、しばらく会わないうちに、大人みたいな顔をするようになったね」
「そうかな」
ヴェンデリンは、言葉少なにほんの少し微笑んだ。
「君は、いや、君が幸せでいてくれてよかったよ。あ……ごめん。ペトロネラ様を亡くされていたんだったね。本当にごめんね」
マリアンネは、そっと首を振った。
「こちらこそ、変なことを言ったわ。ブルサスコ戦役から帰ってきたばかりだものね。本当にごめんなさい。ヴェンデリンが無事に帰ってきてくれて、本当によかった……」
「マリアンネも。悲しいことがあったのに……、いつもの君で安心した」
「ヴェンデリンも」
マリアンネの透明な水色の瞳に涙があふれた。
ヴェンデリンは、マリアンネの小さな柔らかな手にそっと自分の手を重ねて、握り締めた。
「君は、必ず僕が幸せにするよ」
ヴェンデリンがひざまずき、騎士の誓いを立てた。
*
「失礼いたします……。恐れ入りますが、ミリヤム様が面会を求めていらっしゃいます」
執事グーアハルト=ケンネルが、第二子ミリヤムの来訪をシーウェルトに告げた。
戦役への出征前に会ったミリヤムであれば、けんもほろろに断ったものだが。
戻ってみれば妻は死に、手に余るほどのわがままに育ってしまった次女はその雰囲気から何からが変わってしまっている。
家庭のことにも興味が湧かなかったシーウェルトにとって、こんなに興味をひかれたのは初めてのことだった。
しばしの沈黙の後、
「うむ。……入れてくれ。ミリヤムに会おう」
やがて。
9歳の次女が、父の執務室に入り、慎ましやかにしっかりと頭を垂れた。
「お父様。お時間をとっていただき、ありがとうございます」
「あ、ああ。何か話したいことがあると聞いたが。さっそく聞いてもいいかね」
「ええ。よろしいですわ。先日、亡くなったお母様のお部屋にお邪魔した時に、お母様お手づからの手記を見つけましたの」
「ふむ。ペトロネラのかい」
「ええ。左様ですわ。それで、お母様のご生家であるヴァウテルス家で興味深い伝記があるようなのですわ」
「ううん? そんなものは、聞いたことがないが……」
「左様でございましょうか。お母様の筆跡ではあったようですが、もしかしたら出回らない伝記ではあるのかもしれません」
「ふん。そうだろうね。それにしても君が、そんなものに興味を持つとは珍しい。前までの君はおとぎ話も大嫌いだったろう」
「樹木でも、三日見ぬ間になんとやらと申しますわ」
シーウェルトは男らしい眉を動かした。
「本当に、君、ミリヤムなんだね?」
「ええ。今までの私とは何か違うようにお感じになると思われるでしょうけれど。申し訳ございません。正真正銘、このミリヤムも私であることに間違いはございませんの」
「そう……そうだろうね……。では、父に会いに来た、その願いってなんだい」
ミリヤムは意を決して伝えた。
「お父様、できましたら、私、おじい様にお会いしたいと存じます」
「そうだね……、お義父様にもペトロネラの死について、お伝えしなければいけないし……、一応、使者は送ってはいるけれど。果たして来ていただけるかどうか……」
「それならば、私をお使者にお立てください」
「え。君が、行くのかい?」
「はい。私が知りたいのは、おじい様の家で伝わっている伝記ですもの。おじい様がもし、こちらにお越しくださっても、そのお話が聞けるとは思えませんもの」
「ふうむ。確かにね」
「それに……」
「それに?」
「マリアンネが、家督を継がれるのでしたら異母妹である私の存在は疎ましいかもしれません」
シーウェルトは、そこで完全に絶句した。
出征前最後に会った末娘は、手あたり次第目についたものを投げつけてくるような子供だった。
それが、敵対を表明していた異母姉を気遣うような言葉をいうなんて。
「君が、そんな風にいう日が来るなんて……。明日は、本当に槍でも降ってきそうだね」
「ふふ。いやなお父様」
ミリヤムは、困ったように微笑んだ。
「うん。わかったよ。君の思うようにすればいい。王都には、療養のために祖父の家に行くと伝えておくから」
「ありがとうございます。お父様」
「ただし、マリアンネの後継者披露式まではいてくれるかい?」
「ええ。もちろんですわ」
ミリヤムはしっかりと一礼をし、父の書斎から廊下に出た。
「本当に、あれは、ミリヤムなんだろうか……」
書斎に残されたシーウェルトは、思わず作り付けのカウンターの酒瓶に手を伸ばした。
気付けに二杯立て続けに飲んだ。
それでも、頭の中の混乱は少しも軽減してくれないのだった。
*
紅彩の月十日当日。
メセトラーム侯爵家礼拝堂にてシーウェルトは、次の通りに宣誓した。
「メセトラーム侯爵家当主、私シーウェルト=メセトラームは、ここに宣誓する。
このメセトラーム侯爵家は第一子、マリアンネ=メセトラームを正統後継者に認め、次代侯爵を引き継ぐ者とする。
以後、メセトラーム家中の意思は、マリアンネを通せ。
決定は覆らない」
緊張の面持ちで、礼拝堂に集っていた家臣団と使用人たちは、その決定に胸を撫で下ろした。
実の父親の侯爵から冷酷に扱われていた、すべてにおいて信頼に足る長女マリアンネ。侯爵から過剰に保護を受けていた奔放で凶暴な次女ミリヤム。
この姉妹の待遇がすべてにおいて正反対だったため、愛されているだろうミリヤムを後継者に据えるのではないかと、そんな怯えが彼らにはあったのだ。
しかし、公平で知識に富み、努力家でもあるマリアンネが後継者に選ばれた。
安堵するような空気が礼拝堂に満ちていく。
続けて、神官長が最高神ディアグ神殿からの祝福をマリアンネに与えた。
家族席にて、祝福するような面持ちでその光景を見ていたミリヤムだった。
ふと見ると、祝福の宣詞を受け取っているマリアンネの少し上に、キラキラと光る何かがあった。
その光は強まったり弱まったりを繰り返し、最後には、マリアンネの全身をも包んだ。
ミリヤムは、きょろきょろと周囲を見渡したが、その光を見ている者は特にいないようだ。
マリアンネ付きメイドのブノウト=デュヴェルジェや家庭教師オルガ=セーデルグレーンにもその様子は見えていない。
やがて神官長の宣詞が終わった。
その瞬間、マリアンネを包んでいた光が瞬いてマリアンネ自身に吸い込まれるように消えていく。
(これは、夢……、いいえ、違うわ……)
続けて、ヴェンデリンの入り婿になるための宣誓式と祝福へと進んでいったが。
その時には、マリアンネへの祝福の時に見えた光は、その場に集う人には全く見えなかったのだ。
ミリヤムは、無理矢理に気のせいだと思うことにした。
おそらく、この場にいた誰にそれを伝えても、信じてはもらえぬだろう。
それよりも、以前のミリヤムを知っている者たちばかりだ。
ただ面白くないとこの儀式を反故にするための虚言だと捉えられるに違いない。
ふと、視線を感じその方向を見るとミリヤム付きメイドのアレイダ=ゼンデンだけが、心配そうにミリヤムを見つめていた。
荒れていたミリヤムを、つかず離れずそっと見続けてきた彼女だ。
回帰後のミリヤムの変化を一番に肌で感じている。
姉が妹を気遣うような視線でミリヤムを見ていた。
ミリヤムは、その視線にうなずきと笑顔を返す。
アレイダは、ほっとしたようなそれでも心配を深くするような複雑そうな表情を浮かべて、スピーチする神官長に向き直った。
(わかるわ。アレイダ。あなたが一番戸惑っているわよね。私にも、本当にどうして、今の私になったかわからないのよ……)
その夜、ホールに場所を移し、披露パーティーが慎ましやかに行われた。
参加者は、家臣たちである。
侯爵家の後継者の披露ともなる大々的な披露パーティーを行いたかったところではあったが、喪は明けたとはいえ、侯爵夫人であったペトロネラ=メセトラームの葬礼があったばかり。
やはり、はばかられるところがあるのだ。
マリアンネの衣装は襟元の詰まった薄紫のオーガンジーの清楚なドレス姿である。
手元の指輪は、神殿からの祝福の証である。
濃い金色の柔らかな髪をハーフアップでまとめ、詰められた襟元には金糸のメセトラーム侯爵家の家紋刺繍が灯りを反射してとても美しいとミリヤムは思った。
対して、ミリヤムのドレスは、装飾はあまりなく、シルクのドレスではあるが、その肌に馴染むような色合いの淡い灰青で作られている。細かい刺繍はあるにはあったが、控えめながらもとても美しい刺繍が施されている。
マリアンネのドレスが光を放つように堂々としている陽であるならば、ミリヤムはそれに対峙するまさに陰のドレスであった。
ただ、二人並ぶ様を見た招待客たちにとって、ぴったりと対に見えて、その二人揃った光景の美しさは、後世まで語り草となった。




