7 金の炎と運命の死
まだ日差しが強く、日が陰らないと気温が下がらない日が続いている。
それでも、吹く風の中にどこか秋めいた冷たさが感じられる頃だった。
温室の中にも、秋のバラの品種がつぼみから大輪の花に変化していっている。
「ああ、ここにいた。ミリヤム」
そこで振り向いたのは異母妹のミリヤム=メセトラーム侯爵第二令嬢だ。
「あら。マリアンネ。どうしたの」
呼びかけた、マリアンネ=メセトラーム侯爵令嬢は、そっと微笑んだ。
「あなた、前に乗馬とかよく行ってたじゃない? よかったら、私も連れて行ってもらえないかと思って」
「意外だわ。マリアンネがそんなことを言うなんて」
「そうね。この頃、だいぶ暑さも落ち着いてきたじゃない? 屋敷にばかりいるのも少しだけ……」
「うふふ。確かに息が詰まるわね。オルガ先生にカリキュラムの進み方を聞いて、都合のよさそうな日に行きましょうか」
マリアンネは、途端にとても明るい顔をした。
「よかったら、私がオルガ先生に聞きに行ってきましょうか」
ミリヤムは、自分の前で嬉しそうにするマリアンネを初めて見た。
「ええ、お願いするわ」
オルガに聞くと、即答が返ってきたのだが、翌日は雨で準備不足のため、翌々日に乗馬へ出かけることとなった。
*
小さな川や丘をいくつか越えると小高いところから屋敷を見下ろせる場所に来た。
「本当にミリヤムはいろんなところを知っているのね」
「ええ。でも、あまり褒められたことではないけれど」
二人は、話しながらゆっくりと馬を歩ませていた。
山道のカーブを曲がった先、白兎が藪から飛び出してきた。
ミリヤムの馬はうまく制御できたが。
「ああっ!」
「マリアンネ! 手綱を引いて!」
驚いたマリアンネの馬が、思いっきり駆け出してしまう。
「ミリヤム!」
その影は、一瞬のうちに小さくなっていく。
「マリアンネ!」
ミリヤムは、慌てて追いかける。
だが、マリアンネの馬は、どこへ走っていったのか、追いつけなかった。
ようやく、見つけたとき。
マリアンネの馬がぽつんと一頭でいて、先ほどの興奮を感じさせない表情で草を食んでいた。
「ねえ、あなた。乗り手はどうしたの?」
その馬に、騎乗で問いかけるが返事はなかった。
ミリヤムはあたりを見回す。
小さな崖の下、細い腕が見えた。
「マリアンネ!」
ミリヤムが駆けつけて、マリアンネを抱き起こすがすでに事切れていた。
「……どうして、マリアンネ……」
そうミリヤムが問いかけても、返事はどこからも返ってはこない。
ただ風が吹き抜けるだけだった。
母が違うといってもたった二人の姉妹だった。
それを、己の未熟さゆえに傷つけ、あまつさえ、回帰前のあの惨劇だ。
あの時、マリアンネを憎悪と嫉妬のため殺害した。
そして、その夫となったヴェンデリン=ボルケスティン伯爵令息まで殺すに至った。
あまつさえ、反省も後悔の念などかけらもなかった自分が処刑された。
それなのに、今こうして生きている。
生き返ってから。
なぜだか今まで持つことがなかった後悔や自責の念が、胸の奥底から涌き上がり、ようやく、姉妹で乗馬をするまでに至ったのに。
「どう……して……。あんまりよ……」
ミリヤムは、事切れ、次第に冷たくなっていくマリアンネをきつく抱きしめた。
「私が、死んでいればよかったのに……。マリアンネ……」
その時、瞬間、風が変わった。
ミリヤムを中心にし、そこから四方八方へ風が流れていく。
静かだった山の小鳥たちが、一斉に色とりどりのさえずりを上げる。
ミリヤムの心の奥底。
ほんのりと燃えていた小さな金の炎がその火を次第に大きな炎へと変えていき、その炎は二人の姿をも、やがて包んだ。
ミリヤムの頬が赤らむ。
「どうか、マリアンネ。生き返って」
その時、青白く開いていたマリアンネの唇に、赤く血潮が灯り呼吸が戻った。
──いつの間にか、二人を包んでいた炎は掻き消え、あれほどにぎやかだった鳥たちの歌も静まっていた。
「ねえ……私、どうしてしまったの?」
ぼんやりと目を開けたマリアンネが、うっすらと微笑みながらミリヤムを見つめた。
「マリアンネ……。マリアンネ!」
ミリヤムの顔は滂沱として濡れている。
「しょうがないミリヤムね……」
抱きしめられたままのマリアンネは、よしよしとミリヤムの頭を撫でている。
ミリヤムが泣き止んでから、二人はようやく帰路に就いた。
*
「ミリヤム。そろそろ、私たちに何があったか聞いてもいいかしら」
夕食後。マリアンネはミリヤムの部屋を訪ね、開口一番にそう言った。
真剣な顔でミリヤムを見つめるマリアンネを正面から見つめ返す。
「落ち着いて聞いてちょうだい。マリアンネ。あの時、あなたは落馬して命を落とした……」
「え……でも、わたし、今、生きているわ……」
「そうね。そうなの……、どうして、今、マリアンネが生きているかわからないの」
「あなた、何かしたの?」
ミリヤムは、首を横に振る。
「ごめんなさい。私にも本当にわからなくて」
マリアンネは思案顔で、首を傾げた。
「なにか、あの時、うっすらと記憶があるのだけれど、誰もいない草原を歩いている夢を見ていたのよ。その時、温かい風を感じてふと立ち止まったのね。そうしたら、金の炎を纏った女神が一人、私を呼んでいるの。その女神は私の腕をつかんで、死なないでと泣いたわ。どうか生き返ってと。……その女神の顔、ミリヤム。あなたとそっくりだったわ」
ミリヤムは驚愕した。
「そしてね。女神が消え失せたと思ったら、目の前にあなたがいたの……。本当に、ミリヤム……、あなた、何か知っているんじゃない?」
「マリアンネ……、本当にその女神を見たの?」
「ええ。見たわ。こんなことで嘘をついて何になるのよ」
「──私も、その女神に会ったわ」
「いつ……、いつ会ったの」
「いいえ……、きっと、信じてなんかもらえないから……」
「それでも、何か知っているんでしょ。あなたは私に教えるべきだわ」
ミリヤムは、何度も逡巡したが、やがてその唇は言葉を紡いだ。
「私、あなたとヴェンデリンを殺したのよ。過去世とでもいうのかしら」
「どういうことなの……?」
ミリヤムは、静かな声で、結婚式後の惨劇とその後処刑を受けた自身について話して聞かせた。
「本当に、どうして、今、ここにこうして生きているのかが分からないの。でも、落馬して命を落とした時のことになるのかしら、その時、その金の炎の女神を見た記憶があるの」
「私が、見たような?」
「ええ……。そうして、目覚めたら、それまでの自分ではなくて……」
「確かに、驚いたわ。遠乗りに出かけて帰ってきたと思ったら、全く別の人みたいだったもの」
「そうよね。私も自分で、ものすごく戸惑っていたもの。今までの悪行が本当に悔やまれて、何度も自ら命を絶とうとしたわ。その行為を行おうとしたけれど、そのたびに、胸の奥底で誰かが叫ぶの。まだ何もはじまっていないし終わってもいないと」
「それは……」
「ええ。その声の主は誰なのかわからないわ。その炎の女神が何なのかもわからないままで。だから、私は、生きることにしたの。今までの罪を贖うために」
「そうなの……」
マリアンネは、ふと、ソファに背中を預けて天井を眺めた。
「それにしても、私、あなたに殺される運命だったのね……」
気まずいミリヤムは、俯いた。
「どういうことかは、今は、わからないけれど」
マリアンネがいたずらっぽく、ミリヤムを見つめた。
「これって、その運命がすっかり変わったということかしら?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をミリヤムはした。
「確かに……、確かに、そうね……」
ミリヤムの頬に希望が戻る。
と、そこへ。
急を告げるノックの音がした。
「ミリヤム様。マリアンネ様おいででしょうか」
「どうしたの」
ミリヤム付きメイドのアレイダ=ゼンデンが通したのは、母、ペトロネラ=メセトラーム侯爵夫人付きのコロンブ=フラヴィニーだった。
「ペトロネラ様が、危のうございます」
「お母様が?」
ミリヤムは茫然自失の体となった。
「ミリヤム。お義母様のところに参りましょう」
「ええ、そうね……」
二人は青い顔のまま、階段を上がった。
「フラヴィニー、クレマー先生は?」
マリアンネが、気丈にも尋ねた。
「ええ。もう人をやっていますが……」
マリアンネは、その口調で、察したのか言葉少なに「そう……」とだけ返した。
自分の出産とともに自身の母を亡くしたマリアンネだ。
継母にあたり、自身にきつく当たってきたペトロネラでも、母には違いはなかった。
やがて、ミリヤムが母の居室のドアを力強く開き、ベッドに駆け寄った。
「お母様!」
ミリヤムは、昼間マリアンネにしたように、祈りをささげた。
その時、風が四方八方に向かうかと思われたが、“それ”は、発動しなかった。
だが──。
たった一つの奇跡が起きた。
回復しないと思われていた、ペトロネラの意識が一度だけ戻ったのだ。
そして、愛娘のミリヤムの頬をそっと撫でた。
「ミリヤム。幸せになってね……」
そして、微笑むと力尽きた。
「お母様? お母様!」
ミリヤムの泣き叫ぶ声は、屋敷中に響いた。
その夜は、月明かりのない暗夜であった。




