4 宝飾品
昨日までの自分も。紛れもなく自分だ。
だから、この、自室の惨状も自分でやってはいるのだけれど。
あまりのひどさに天井を見つめたミリヤム=メセトラーム侯爵令嬢。
昨夜は、申し訳ないが客間を使い寝起きはできた。
けれど。
自室がちゃんとあるのに、客間生活は憚られるだろう。
意を決して、自室のドアを開けた。
床一面とは言わず、いろいろなものが散乱している。
相当暴れてもいるのだろう。家具も、椅子などは上下逆になって転がっている。
確かに、命令ひとつで召使たちがすべての散乱したものを片付け、整頓し部屋の清掃まで完璧に行ってくれるだろう。
回帰したとはいえ、今ここにいるミリヤムも侯爵家の第二子令嬢だ。
清掃などしたことはない。
どこをどう片付けていいのかすらわからないありさまで。
かといって、召使に、自分のしでかしたことの後始末を頭ごなしに命じてさせるのは、申し訳ないような気持になる。
少し、途方に暮れてしまっていたのだ。
「ミリヤム様……失礼をいたします」
「アレイダ……」
そこへノックの音を響かせて、アレイダ=ゼンデンが顔を覗かせた。
「お部屋にお戻りと伺いまして、まいりました。遅くなって、大変申し訳ございません……」
アレイダは、覚悟を決めたようにしっかりと目を閉じ、ミリヤムに自身の頬を差し出した。
ミリヤムは困惑顔になった。
「何をしているの」
「なにって……、ミリヤム様がおっしゃったのですよ。わたくしに何か粗相を働いたときは、打ちやすいように頬を差し出しなさいと。お忘れなのでしょうか」
ミリヤムの困惑した表情が、さらに強くなった。
「もういいわ。あなたに手を上げたりは金輪際しないから」
「なぜでしょうか。私はもう、お払い箱だからでしょうか」
ミリヤムは目を丸くした。
「お捨てにならないでください。私が、ここで働きませんと、弟たちの生活が立ち行きません!」
わっ、とアレイダは、取り乱したように泣き始めた。
「落ち着いて。泣かなくても良いから」
「信じられません! そうおっしゃっても、ミリヤム様はいつもころころとご意見を変えられるではありませんか!」
「何を言ってるの!」
ぴしゃり。
ミリヤムの瞳が、アレイダの取り乱す瞳を射貫く。
「もう、私はあなたを傷つけたりしないわ」
アレイダは、ようやくそのミリヤムの瞳の奥に宿る真実に気がついた。
「ミリヤム様……」
「聞いてちょうだい。アレイダ。私はこれから、きちんと人間として生きていこうと決めたのよ。だけど、私一人では、どうにもならないわ。どうかあなたの力を貸してちょうだい。いいかしら」
アレイダの力がへなへなと抜けて、いまだに汚れに汚れている床にへたり込んだ。
そして、浅い呼吸を何度かして、さらに困惑を強くしてミリヤムを見つめる。
「ミリヤム様……あの時、やっぱり、お亡くなりになったんですね……、じゃなきゃ、こんなことおっしゃるわけがない……」
「……そうね、そうかもしれないわ。私だって、今どうしてこんな気持ちになっているか、わからないもの」
ミリヤムはその顔に、苦悶を浮かべた。
「たぶん、たぶんだけど、本当の私は、アレイダが言うように死んだの。きっと。でも、何かやらなければならないことがあって、どこかの神様が生まれ直しをさせてくれたのかもしれないわ」
「ミリヤム様……」
アレイダの瞳から透明なしずくが溢れる。
「私が怖かったら、離れていってもかまわないわ。それは、あなたの意思を尊重する。だけれども、今までこんなにひどい女だった私についてきてくれた。……信じているの。アレイダ。どうか、私に。いいえ。私の力になって頂戴」
アレイダは、左手で顔を覆った。
しばらくした後、深くうなずいた。
「わかりました。すぐにすぐにすべてを信じられることではありませんが。ミリヤム様のお力として、尽力させていただきます」
「……ありがとう」
いまだに目の奥には不審な光があるもののアレイダは、見た目よりも切り替えの早い少女であった。
「それでは、ミリヤム様。何からお手をお付けになりますか? この部屋の掃除なんていかがでしょうか」
*
さすがは侯爵家である。
夕刻には、快適な居室が整った。
ミリヤムはベッドルームの前室の応接ソファに座り、アレイダの淹れてくれた紅茶にホッと息をついた。
だが、目の前のテーブルには問題のある品々が積まれていた。
過去のミリヤムが、マリアンネの自室や父シーウェルトの自室、そして宝物庫から勝手に持ち出した高価で他に一つとしてない価値ある品々だ。
部屋の清掃時に出るわ出るわ、その数三十二点だ。
召使に持たせてとっとと返却するということも考えたが、何か紛失などしてはいけない。
ミリヤムは、申し訳ないがと伝えるようにと言付けして、マリアンネに自室に来てもらうように依頼した。
数分後、家庭教師の授業終わりのマリアンネが、ミリヤムの自室を訪れた。
「この部屋、どうしたの……?」
ミリヤムの物心ついたときから、壮絶に汚れた部屋しか見ていなかったマリアンネは、一番に驚いてみせた。
「ええ。心境の変化なの。マリアンネ。よく来てくれたわね。少し相談に乗ってほしくて来てもらったのよ」
殊勝にもそんな風に言葉をつなぐミリヤムに、やっぱり驚きを隠せなかったマリアンネ。
「本当にどうしてしまったの? ミリヤムらしくないわ。絶対に何か企みがあるのでしょ」
ミリヤムは少し微笑んで。
「企みなら、あるわ。これを見て頂戴」
マリアンネがテーブルの上を見た。
そこに上がっているのは、ミリヤムに持っていかれて、そのまま帰ってこなかった品々だ。
その中の一つ、大ぶりなブローチを見つけた。
その宝石で作られたブローチは、マリアンネ自身の母の形見だ。
母の実家で代々伝えられてきた逸品で、やはりその他の宝飾品では代わりになるものはない。
「これを修理できるものは修理に出して、磨けるものは磨いてお返ししたいの」
「どうして……」
「マリアンネ。あなたのものやお父様の品々、宝物庫を漁ったこと、すべて事実よ。今は本当に悔いているわ。罪を悔い改めても足りないくらいのことをしでかしてしまっていたもの。お詫びのしようもないけれど、本当にごめんなさい……」
激怒している自分を抑え込んでいるマリアンネを、正面から見つめるミリヤム。
「私のことは、一生許してくれなくても、かまわない。でも。この品々を修理し返却する、その力も今の私にはないの。どうか助けてください」
ミリヤムは、誠実に平身低頭した。
「どうか、お願いです。この品々の修理先などを教えてください」
その時、マリアンネの右手が、ミリヤムの頬を打った。
「いい加減にして。あなた、私が、私たちがどれほど泣いて悔しく思っていたか知っているの?」
返す手の甲で、ミリヤムの左頬をマリアンネは打った。
「どれほど、どれほど、悔しくて、悲しかったか!」
ミリヤムは、その痛みに耐え続けた。
マリアンネの激高が落ち着いたころ、泣きぬれた二人が床に崩れ落ちている。
「……どうして、反撃しないの。いつもだったら、最初から殴りかかってくるくせに」
「マリアンネ。あなたにはもう、十分ひどいことをしていたもの。私にも誰にもマリアンネを傷つける資格なんてありはしないのに……」
マリアンネは、ハンカチを取り出し、口の端が切れてしまったミリヤムの傷にあて、大きなため息を一つついた。
「わかったわ。ミリヤム。あなたを叩いたこと、本当にごめんなさい。もう、金輪際しないと誓うわ」
「いいえ。これからも私が間違ったことをしでかしてしまったらその時には遠慮なくぶってちょうだい。それだけの権利はあなたにはあるわ」
宝飾品の数々は、王都ヤイニッセの名のある宝飾店に一度すべて預けられることとなった。
*
「ねえ、マリアンネ。私に家庭教師を頼むことはできないかしら」
「家庭教師? 誰だったかしら。勉強なんかしたくないと何人もの家庭教師を追い返した人は」
ミリヤムは、弱ったように笑った。
「悲しいことに、私には教養がないもの。文字はかろうじて読めるみたいだけれど、それ以上に何も知らないわ。これでは、どうにもならないもの」
「ううん。そうね……、本当だったら、お父様にお願いをしないといけないことだわ。だけど。今、お父様は出征していらっしゃるし……」
マリアンネは、弱り果てた。
女の身であり、家督を継ぐと正式に決まっているわけではない自分には、家財を動かす権利などないことが多すぎた。
だけれども、たった一人の異母妹が、自分の教養について思い悩み、自分に頼んでくるなんて。
今までならば、絶対にありえないことであった。
「わかったわ。オルガ先生にどうにかできないか相談してみましょう。それで、お断りになったら、お父様のお帰りまで待っていて。……それでいい?」
ミリヤムは、その頬に大輪の花を咲かせた。
その目を極限にまで見開き、マリアンネは、驚愕に震えた。
今までのミリヤムには見たことのない表情だったからだ。
*
食事を終えたミリヤムは、屋敷内の誰も踏み入れないような奥まった場所に足を踏み入れた。
どこからか、冷気が届くようでミリヤムの肩が少し震えている。
とある居室のドアの前、しばしミリヤムはたたずんだ。
そして、おもむろにノックをし、返事などもあるはずもないドアをゆっくり開く。
「お母様。お加減はいかがでしょうか」
部屋の中では、多少の埃がドアの開閉によって揺らめいていた。




