2 惨劇
髪を振り乱したミリヤム=メセトラーム侯爵第二令嬢の前には、息絶えたばかりの異母姉のマリアンネ=メセトラーム侯爵第一令嬢の骸がしどけない姿勢で転がっている。
「キャーハハハハハ。わたくしのことを、馬鹿にしていた天罰よ!」
「大丈夫か! マリアンネ!」
騎士の礼服に身を包んだヴェンデリン=ボルケスティン伯爵令息が、花嫁控室に飛び込んできた。
そして、惨状に目を見張る。
「そ、……そんな……。マリアンネ……」
ヴェンデリンは、婚姻を結んだばかりの花嫁の骸に腰を抜かしながらも精一杯の力を振り絞って駆け寄った。
その時、背中側の脇腹に強い違和感を覚えた。
ヴェンデリンは、眼球がこぼれてしまいそうなほど、目を見開いた。
大ぶりのナイフの刃が、自分に突き刺さっている。
そして、その柄をしっかりと握っているのは妻、マリアンネの異母妹であるミリヤムだ。
「ミリヤム……!」
ミリヤムは、笑顔でナイフの柄をひねりあげた。
「ぐあ!」
無我夢中で腕を振り回したヴェンデリンの右ひじが、ミリヤムの腹にあたり、ミリヤムは身体ごと後方の壁にぶち当たった。
ミリヤムは、その衝撃で気を失う。
「マリアンネ……」
ヴェンデリンの負傷箇所は、思ったより深く、マリアンネの骸にたどり着く前に絶命した。
*
「ひどい惨状だな。これは」
グリュックスブルグ王国王都ヤイニッセには、警察権限を持つ近衛騎士団でもあるプロタグニスタ騎士団があった。
第三小隊、小隊長のアーモス=ストゥプカが、やりきれないとでもいうように息をついた。
「小隊長。生存者、目を覚ましたようです」
「そうか、今行く」
「だけど、おかしいんですよ。その生存者ですけど、両手に怪我をしただけで、あとは血しぶきを浴びただけで、そのほかに怪我はないんですよ」
ストゥプカは顎髭に手をやって、しばらく考え込んだ。
ボジヴォイ=ヴォレグは、怪訝そうに小隊長の顔を覗き込んだ。
「ヴォレグ。その生存者から決して目を離すなよ」
「え。どういうことですか?」
「その生存者は、おそらく、犯人だ」
*
「ねえ! どういうこと!」
ミリヤムは、プロタグニスタ騎士団敷地内の塔に拘置されている。
「なんでわたくしがこんなところに捕まっていなきゃいけないの!」
石畳の牢には、寝具もなくトイレ代わりの木桶しかなかった。
「メセトラーム侯。お気持ちはわかりますが、ミリヤム嬢の罪状は明らかです。お帰り下さい」
第三小隊、小隊長アーモス=ストゥプカが、対峙しているのは、シーウェルト=メセトラーム侯爵だ。
牢の中では、愛娘のミリヤムがいまだに叫んでいる。
「いいや……。貴公にはわかりますまい。妻を失い、娘たちは殺し合いをした父親の心情など」
「再度、申し上げますが。大変申し訳ございません。ミリヤム嬢との面会は出来かねます」
「うむ……、収監されて一日。まだこの騒ぎ……。面倒なことを押し付けて申し訳ないが、娘を最後までよろしく」
一礼するとシーウェルトは、塔をあとにした。
その間もミリヤムは扉をひどい音を立てて叩きながら、叫び続けていた。
「どうして、わたくしがこんなひどい目に遭うのよ!」
*
マリアンネ自身の母は、マリアンネの誕生と時を同じくして亡くなった。
マリアンネには、母のぬくもりはなかったが、親身になった乳母の献身によって清らかな心の優しい娘に育った。
翌年、シーウェルトは、国の北部にあるヴァウテルス伯爵家の娘ペトロネラを娶った。
ペトロネラは、その次の年、女児を産んだ。
女児は、ミリヤムと名付けられ、すくすくと育っていく。
物心ついたとき、ミリヤムは異母姉のマリアンネに対し、既に敵意をむき出しにしていた。
母は違ってはいるが、二人きりの姉妹である。
家督は第一子であるマリアンネが継ぐこととなっていた。
それを聞いたミリヤムは、より一層マリアンネを敵視し始めた。
「おかあさま……」
母の愛を知らぬマリアンネはペトロネラにそれを求めた。
「いやっ! 汚らわしい。触らないで頂戴」
ペトロネラは、マリアンネの小さく冷えた手を跳ねのける。
マリアンネは、真実孤立無援である。
「お母様に何をするの!」
ミリヤムは、持っていたグラスのブドウ水をマリアンネにぶちまけた。
「お母様にひどいことをするなら、わたくしが相手になるわ!」
ペトロネラは、心からの笑顔でミリヤムを見つめ、その髪を優しくなでた。
いたたまれなくなったマリアンネは、走って自室に逃げようとした。
「いやに騒がしいが、何かあったのか?」
書斎から居間に戻ってきたシーウェルトが、マリアンネを見咎めた。
「おとうさま……」
マリアンネもまだ幼い。
自分の窮状をきちんと伝えることができずに、うつむいて押し黙った。
シーウェルトは、大げさにため息をついた。
首を振り、涙が止まらずにいる長女を冷たく押しのけ、次女を軽く腕の中に抱き、愛妻にキスを落とす。
「あなた。おっしゃっていただけませんか? マリアンネがわがままばかり言うのです」
「そうよ。お母様はわたくしのお母様ですもの」
「そうだったのか。こら。だめだぞ。マリアンネ。ペトロネラが困るようなことをするんじゃないぞ。いいか? わかったな」
大声で泣いてしまえたら、多少なりとも楽になったかもしれないが、淑女教育の賜物なのか弊害なのか、幼い時からマリアンネは声を上げて泣くことがなかった。
それでも、こらえ切れない涙があふれ続けていた。
*
それは、マリアンネが七つの時だった。
「お初にお目にかかります。ヴェンデリン=ボルケスティンと申します」
一つ違いのヴェンデリンは、そう、レディのようにふるまうマリアンネに伯爵令息らしくあいさつをした。
「いいか。マリアンネ。このヴェンデリンは、お前の婚約者だ。何かあれば、相談しなさい」
父、シーウェルトにそんなことを言われてしまえば、従うほかはなかった。
「かしこまりました。お父様。ヴェンデリン様、どうぞよろしくお願いいたします」
面白くなかったのは、その顔合わせに居合わせたミリヤムだ。
「お姉さまだけ、ずるい! 私も婚約者が欲しいですわ」
そう駄々をこねても、淑女教育すらサボり、教養もないミリヤムへの申し込みは、あるわけがない。
そのことで、何度も癇癪を起こしてもいかんともしがたいのが事実だ。
婚約者を譲れとは言われなかっただけ、マリアンネはホッと息をつく。
*
「ミリヤム様。マリアンネ嬢への態度を改めていただけませんか」
ある時、来訪していたヴェンデリンが、自分の婚約者であるマリアンネをあまりにひどくなじるミリヤムにそう進言した。
ミリヤムは、醜悪に顔をゆがめた。
「ヴェンデリン、あなた。わたくしによくもそんな口を利けるわね」
手に持っていたティーカップごと、ヴェンデリンに投げつける。
「ミリヤム! あなた、なんてことをするの!」
「大丈夫だ。マリアンネ。紅茶は冷めていたから」
マリアンネは、ハンカチでヴェンデリンを拭く。
慌てたメイドたちもタオルを持ってくる。
「ありがとう。平気です」
「平気じゃないわ! あなた、わたくしがマリアンネにひどい態度をとっているなんてどうしてひどいことを言うの」
マリアンネとヴェンデリンは、少し、お互いの顔を見合わせた。
*
婚姻の儀、当日。
マリアンネとヴェンデリンは、態度を改めないミリヤムを招待せず式に臨んだ。
本来であれば、メセトラーム侯爵家の礼拝堂で行われることになっていた婚礼の儀だったが、マリアンネのたっての望みで最高神ディアグ神殿で執り行われることになった。
ミリヤムの参加を、忌避したのか、今となってはそれはわからないことだ。
招待がなければ、実の姉の婚姻式でさえ外出し参加することは難しい。
どうやってミリヤム=メセトラームが、侯爵家の屋敷を抜け出して、ディアグ神殿まで来られたのか、それも含めた捜査が行われたが、手引きした者がいたのだろう。
現時点では、わかっていなかった。
プロタグニスタ騎士団第三小隊アーモス=ストゥプカ小隊長は、自身の机に向かい本件についての報告書を認めていた。
それにしても、異母姉をそれほど憎むものなのだろうか。
その夫まで殺すほどのものか?
二人を殺したミリヤムは、近日中に磔刑での死刑を予定されている。
*
雲の多い一日だった。
群衆の集まるスーウェル広場に一台の囚人用馬車が到着した。
群衆は、罪人の処刑を見物するために集まってきている。
群衆から、大罪を犯した犯罪者への非難の声が、それはもう多数あがっている。
そんな中、囚人用馬車から降ろされたミリヤムは、さるぐつわの隙間から、思いつく限りの呪いの言葉を叫んでいた。
その声に気がついた群衆は、水を打ったように静かになった。
本来であれば、思い残しの言葉などを刑吏が尋ねるが、それは取りやめになった。
いよいよ、磔にされるミリヤム。
その時、黒い雲が湧き起こりバケツをひっくり返したような雨が落ちてきた。
雷鳴もとめどなく轟いている。
「邪教だ。邪教の神の仕業だ……」
強い雨から逃げ惑う群衆の誰かが一言そう呟いた。
そして、ミリヤムの細く小さな体を二本の槍が、両脇から貫いた。
豪雨の中、ミリヤムの血はその大地に溶けていった。




