1 秋の空の婚礼式
午後の二つ鐘が鳴り響いた。
グリュックスブルグ王国、王都ヤイニッセの最高神ディアグ神殿の前には、祝い事を寿ぐ民衆が集まっていた。
メセトラーム侯爵第二子令嬢のミリヤムとヴェンデリン=ボルケスティン伯爵令息の婚礼が、それは華やかに執り行われたのだ。
秋の日が燦燦と降り注ぐ佳き日であった。
青空に高く鳥が、大きく輪を描き出している。
正午から行われた婚礼の儀だったが、終盤、神殿から出てきたミリヤムの豪奢な婚礼衣装と騎士でもあるヴェンデリンの姿に民衆は、思わず感嘆の声を上げる。
「これは見事な花嫁だ」
「花婿様も素敵ね!」
「ミリヤム様!おめでとうございます!」
「どうぞお幸せに!」
ミリヤムが白い手袋をつけた右手を、空に掲げた。
歓声が一斉に高くなる。
「巫女様! どうかお幸せに!」
歓声が、さらに高くなった。
二人は、顔を見合わせて微笑んで、民衆にそれぞれ手を振ってから、ボルケスティン伯爵家の紋章のついた馬車に乗り込んだ。
「ヴェンデリン。今日はこんなに素敵な式を本当にありがとう」
「いいや。でも、本当なら、君のお母様にも参加していただきたかった」
「ありがとう、ヴェンデリン。お母様も天上から想いを寄せてくださっているわ」
「そうだね……」
ミリヤムは、流れる車窓の景色を見つめた。
王都ヤイニッセの秋のさなか、馬車も人々もせわしなく行き交っているが、
どこかその空気は穏やかであった。
やがて、二人の乗る馬車はボルケスティン伯爵邸の中央玄関前に到着した。
ボルケスティン伯爵邸では、この後、招待客を呼び大々的に祝宴が開かれる。
ボルケスティン伯爵家は、メセトラーム侯爵家の配下の家であり、この婚姻によって一層その結びつきは強くなるだろう。
将来の伯爵夫人であるミリヤムを出迎えに、祝宴に直接の関わりのない使用人たちが、その中央玄関前に列をなし、粛々と頭を下げた。
上流貴族の令嬢であれば、そのような使用人たちに頭を下げないに違いない。
しかし、ミリヤムは違った。
まるで、相手が王家であるように丁寧にカーテシーをした。
使用人たちは、一様にどよめく。
伯爵家に輿入れしたからと言って、それ以上に身分が高かった侯爵令嬢だった女性が、自分たちみたいな身分の者に頭を下げるなど……。
思いもよらない事態に、使用人たちはきょとんとした顔をお互いに見合わせた。
「これは、してやられたね」
停車したもう一台の馬車から降りてきた夫婦が、困ったように微笑んでいる。
「お父様、お母様」
先に振り向いたヴェンデリンが、本当に幸福そうに両親へ笑顔を見せた。
続けて、ミリヤムが振り向くと、ヴェンデリンの両親であるエウオニオ=ボルケスティン伯爵とオクタヴィア=ボルケスティン伯爵夫人が肩をすくめている。
「さすがは、女神カリステの巫女だ。侯爵令嬢だった君が、それほど丁寧に礼をするとは、思えなかった」
「ええ。そうね……。ミリヤムさん。本当に私共の家へのお輿入れでよかったのかしら?」
「ええ。お義母様。ご心配をおかけしてしまい、申し訳ございません。ただ、私のわがままでヴェンデリンへの思いを遂げさせていただき、感謝しかありません」
「いいえ。ふたりで決めたことなら、私たちは反対など出来はしないわ」
オクタヴィアの視線が、ミリヤムからそっと外される。
「ただ、あなたのお姉さまのマリアンネ様のことを思うと、不憫で……」
一度、ミリヤムは悲しげに目を伏せた。そして、もう一度、オクタヴィアをしっかりと見つめる。
「輿入れさせていただいたのが、異母姉のマリアンネでなくて申し訳ございません。けれども、わたくしもこのボルケスティン家をしっかりと盛り立てていきたいと存じております」
「ミリヤムさん。おかしなことを言ってしまって、こちらこそ申し訳なかったわ。さあ、お家に入りましょう。いいわね。あなた」
エウオニオとヴェンデリンは、鷹揚にうなずき、二人の妻の後ろをゆっくりとついていった。
*
祝宴は盛況であった。
さすがはメセトラーム侯爵の令嬢の婚姻だ。
王都ヤイニッセの大多数の貴族たちがこのホールに集まっているようだ。
テーブルには、味の良い料理が美しく盛り付けられ、招待客たちがよく手入れされたガラスのグラスを手に持ち、それぞれの華やかな衣装が、ホールに花を添えている。
楽団の音楽が鳴りやまずに、招待客たちのダンスのステップがその床音を強く打ち鳴らす。
そんな中、ミリヤムは、衣装を変えるため、一度控室に下がった。
最高潮であるホールの熱気とは違い、控室の空気はどこかひんやりして、ミリヤムはその身を少し震わせた。
メイドたちに手伝ってもらいながら、婚礼衣装を脱ぎ、真新しいドレスに袖を通した。
その時、侯爵家から転籍してきたミリヤム付メイドのアレイダ=ゼンテンが来訪者を告げた。
「ミリヤム様。恐れ入りますが、マリアンネ様がお越しでいらっしゃいます。お通ししてもよろしいでしょうか」
「ええ。お願いするわ」
アレイダは、ボルケスティン伯爵家の古株メイドのクラリーチェ=アガッシに合図を出した。
そして、控室から泣きはらした目の、栗毛色の髪をハーフアップに垂らした可愛らしい少女が、入ってきた。
「マリアンネ……」
異母姉のマリアンネ=メセトラーム侯爵令嬢だ。
「ごめんなさい。今、少しお話ししてもいいかしら」
どことなく、鼻声のように聞こえた。
「来てくれていたのね。ええ。マリアンネなら、大歓迎よ」
純白の婚礼衣装から、ボルケスティン伯爵家の紋章色の銀となす紺を模したドレスに着替えているミリヤムは、マリアンネに向けて微笑んだ。
「……来てはくれないかと思っていたわ」
「何を言うの。私たちは、たった二人の姉妹じゃない」
マリアンネは、悲しげにも気丈に微笑んだ。
「だけど、私、マリアンネにずいぶんとひどいことばかりをしていたし。それに、本当なら、ヴェンデリンは、マリアンネの婚約者だったのに」
マリアンネは、首を振る。
「それは、そうだけれど。あなたたちが、とても惹かれ合っていたのはいくら私でもわかったから」
「マリアンネ……」
「だけど、これだけは本当に約束して。ヴェンデリンを決して泣かさないで。あの人、本当に純粋な人だから」
「マリアンネ。わかったわ。そんなことは絶対にしないと誓うわ」
「絶対よ」
「ええ。心から誓うわ」
「ありがとう、ミリヤム」
「では、私、先にホールに戻ってるわね」
「ええ。私もそろそろ行くわね」
「ミリヤム……」
「なあに?」
マリアンネは、その茶色の瞳に涙をためながらも微笑んだ。
「どうか、幸せになってね」
ミリヤムはしっかりとうなずいた。
「ええ。必ず」
*
たけなわだった祝宴もそろそろ終幕といった風情となった。
とあるメイドがホールの片隅にそっと置かれている花束に気がつく。
ふと見たときは、深紅のバラの花束であるように見えていた。
忘れ物か、とメイドは花束を抱きかかえた。
そのとき、生臭さがメイドの鼻先をかすめた。
バラの香りではなかった。
目を見開いたメイドは、まじまじとその花束を見つめる。
「ひぃ!」
その花束は、白いバラで作られたものであったのだ。
その深紅は、血液であった。
腰を抜かしたメイドは、声すらも上げられず気を失った。




