第2話 黒竜との契約
王立魔法学院の舞踏会は、断罪の場から混乱の渦へと変わっていた。
窓ガラスは砕け散り、外では兵士たちの怒号が飛び交う。
「結界が持たない!」
「生徒を避難させろ!」
学院を覆う結界へ、巨大な黒竜がゆっくりと降り立つ。
漆黒の鱗は夜空そのもののように光を吸い込み、一枚一枚が城壁ほどの大きさを持つ。黄金の瞳だけが、まるで太陽のように輝いていた。
誰もが恐怖に震える中、その瞳は私――リリアーナだけを見つめていた。
『契約者よ。来い。』
声は耳ではなく、頭の中へ直接響く。
(やっぱり……私だけに聞こえている。)
教師たちは必死に防御魔法を展開し、近衛騎士団が黒竜へ向かって魔法を放つ。
しかし。
炎も雷も氷も、黒竜の身体へ届く前に霧散した。
「そんな……!」
「最上級魔法が効かないだと!」
ゲームにも存在しなかった圧倒的な力。
いや。
存在していたのかもしれない。
ただ、主人公の視点では語られなかっただけなのだ。
その時、黒竜がゆっくりと翼を広げた。
暴風が学院を飲み込み、人々は立っていることすらできない。
私は自然と一歩前へ出た。
「リリアーナ!」
父、公爵アルベルトの叫び声が聞こえる。
「戻りなさい!」
でも、足は止まらなかった。
『恐れるな。』
右手の甲に浮かんだ黒い紋章が淡く輝き始める。
すると、黒竜の前へ一本の黒い光の道が現れた。
まるで「こちらへ来い」と誘うように。
私はゆっくりと歩き始める。
兵士たちも教師たちも、その光へ入ることはできなかった。
見えない壁が彼らを拒んでいる。
「何が起きている……」
王太子レオンハルトも言葉を失っていた。
私はそのまま黒竜の目前まで辿り着く。
巨大な瞳が私を映した。
『千年……長かった。』
「あなたは誰?」
『我が名はノクス。最後の黒竜であり、初代皇帝の契約竜。』
初代皇帝。
歴史の授業で聞いた伝説の人物。
世界を統一した英雄。
しかし、彼の死とともに帝国は滅び、黒竜も姿を消したとされている。
「どうして私なの?」
ノクスは静かに目を閉じた。
『資格を持つ者だからだ。』
「資格?」
『運命に抗い、それでも他者を救おうとする魂。』
思わず苦笑する。
「私は悪役令嬢よ?」
『違う。』
黒竜は断言した。
『世界がそう決めただけだ。』
その言葉が胸へ深く刺さる。
前世でも、私は周囲の期待に応えようとしてばかりだった。
この世界でも「悪役令嬢」という役割を押し付けられている。
でも。
誰かが決めた運命なんて、従う必要はない。
「……もし契約したら?」
『世界は大きく変わる。』
「しなかったら?」
『お前は死ぬ。世界も滅ぶ。』
あまりにも簡潔な答えだった。
迷う理由はない。
私は右手を差し出す。
「契約する。」
ノクスがゆっくりと額を近づける。
次の瞬間。
黄金の光と漆黒の光が絡み合い、学院全体を包み込んだ。
――契約成立。
頭の中へ膨大な知識が流れ込む。
古代文字。
失われた魔法。
魔道具。
帝国の歴史。
そして――。
世界地図。
「これは……」
今の王国地図とは違う。
大陸の地下には巨大な魔力の流れが張り巡らされ、その中心には七つの封印が存在していた。
『魔神は眠っている。』
「魔神……?」
『あと五年で封印は解ける。』
ゲームには存在しなかった真実。
勇者も聖女も知らない世界の裏側。
そして、その封印を守るために初代皇帝は命を落としたという。
「だから私を?」
『そうだ。』
その時だった。
学院の上空へ無数の光が現れる。
白銀の鎧を纏った騎士たち。
王国最強戦力。
王立魔導騎士団。
「黒竜を討伐せよ!」
団長の号令が響く。
何百もの魔法陣が空を覆った。
ノクスは静かに私を見る。
『どうする、契約者。』
私は迷わなかった。
「誰も殺さない。」
『ほう。』
「でも、私の仲間も傷つけさせない。」
私は契約したばかりの力へ意識を向ける。
右手の紋章が眩く輝いた。
「《黒皇結界》」
その瞬間、巨大な黒い半球状の結界が学院全体を包み込む。
放たれた数百の魔法はすべて結界へ吸い込まれ、音もなく消えていった。
王都中が息を呑む。
「全部……防いだ?」
「無詠唱で……?」
団長の顔から血の気が引いていく。
私は静かに空を見上げた。
「もう私は、誰かに裁かれる悪役令嬢じゃない。」
その宣言は、自分自身への誓いでもあった。
「私が、この世界の運命を選ぶ。」
黒竜ノクスが満足そうに翼を広げる。
その姿を見た王都の人々は、この日を後に「黒皇の再来」と呼ぶことになる。
そしてリリアーナ・フォン・ヴァルクレインという一人の令嬢の名は、恐怖でも悪名でもなく、新たな時代の始まりを告げる名として歴史に刻まれていくのだった。




