11話 死んだはずの母
王都へ足を踏み入れた瞬間、アリアは息を呑んだ。
石畳には無数の亀裂が走り、建物は崩れ落ち、人々は悲鳴を上げながら逃げ惑っている。
王国最強と呼ばれる近衛騎士団でさえ、黒い魔物の群れを押し返すことができず、次々と負傷者が運ばれていた。
「ゲームとは……全然違う。」
本来、この時代に王都が滅びの危機を迎えることはない。
自分が運命を買い取り続けたことで、世界そのものの未来が変わり始めている。
そう考えた時だった。
――ゴォォォォン!!
王城の中心から轟音が響き、漆黒の光柱がさらに大きく膨れ上がる。
空が黒い雲に覆われ、昼間だというのに夜のような暗さへ変わっていく。
「アリア様!」
クロードが剣を抜き、彼女の前へ立った。
「あそこです!」
光柱の中から、巨大な影が姿を現す。
黒い翼。
山のような巨体。
赤く燃える双眸。
ただ空を見下ろしているだけなのに、周囲の兵士たちは恐怖で膝をついていた。
「あれが……始まりの災厄。」
白銀の騎士の声にも緊張が滲む。
その瞬間、アリアの契約書が眩く輝いた。
ページが勝手に開き、黄金色の文字が浮かび上がる。
⸻
【対象確認】
始まりの災厄
討伐成功率 0.1%
運命の買い取り 実行可能
代償 未確定
⸻
「代償が、また表示されない……。」
今までとは明らかに違う契約。
それでもアリアは迷わなかった。
「このままじゃ王都は終わる。」
彼女が契約書へ手を伸ばした、その時だった。
「その契約を結んではいけない。」
澄んだ女性の声が響く。
全員が振り返る。
瓦礫の上に、一人の女性が立っていた。
漆黒のドレスをまとい、長い金髪を風になびかせている。
その姿を見た瞬間、白銀の騎士の表情が凍りついた。
「そんな……。」
「あり得ない……。」
女性はゆっくりと歩き出す。
魔物たちは彼女を襲うどころか、まるで王にひれ伏すように道を開けていく。
その異様な光景に、誰も動けなかった。
やがて女性はアリアの目の前で足を止める。
そして、優しく微笑んだ。
「久しぶりね、アリア。」
「立派に育ったわ。」
その声を聞いた瞬間、アリアの心臓が大きく跳ねた。
幼い頃、毎日聞いていた声。
絶対に忘れるはずのない声。
「……お母様?」
震える声で問いかける。
女性は静かに頷いた。
「ええ。」
「あなたの母、セレスティアよ。」
クロードが信じられないという表情で首を振る。
「ですが奥様は十年前に亡くなったはずです!」
「そう記録されているだけよ。」
セレスティアは空を見上げ、黒い竜へ視線を向けた。
「あの日、私は死んだことにしなければならなかった。」
「すべては、この災厄を封印し続けるために。」
アリアは何も言えなかった。
病死だと信じ続けていた母は、生きていた。
しかも、この世界を守るため、たった一人で戦い続けていたのだ。
しかし次の瞬間、母の笑顔が消える。
「アリア。」
「もう時間がない。」
「あなたに本当の敵を教える。」
その一言と同時に、空に浮かぶ黒い竜が、ゆっくりと二人へ顔を向けた。




