第8話:聖女様の慈悲は、絶望の淵でこそ輝く
「――あーあ、やっぱり『事故物件』はやることもクズだな」
教室に、松田のせせら笑いが響く。停学処分こそ免れたものの、生徒会からの「厳重注意」と「盗作の宣言」によって、俺、夜凪 湊への風当たりはかつてないほど強くなっていた。
昨日まで「実は天才かも」と俺を遠巻きに見ていた連中は、裏切られた反動からか、以前よりも露骨に悪意をぶつけてくる。
「おい、盗作野郎。次は誰の文章をパクるんだ?自分の言葉じゃ何も喋れねえもんなぁ?」
松田が俺の机を蹴り飛ばし、中に入っていたノートをぶちまけた。パラパラと散らばるノート。それを松田は蹴とばし、踏みつけた。
「やめろよ、松田。汚らわしいだろ」
「そうだよ、聖女様が更生させてる最中なんだからさぁ」
松田の取り巻きたちが、教室の入り口に立つ陽葵に同意を求めた。陽葵は、いつもの聖女の微笑みを仮面のように張り付けたまま、ゆっくりと俺の席へ歩み寄る。
その目は、冷酷なまでに透き通っていた。
「……ええ、その通りですわ。夜凪君、あなたのしたことは万死に値します。……皆さん、彼のような『救いようのないクズ』には、相応の罰が必要だと思いませんか?」
「(茶番……)」
俺は一瞬、陽葵の表情が申し訳なさそうに緩んだのを見逃さなかった。
「さすが聖女様!話がわかる!」
松田が調子に乗って、俺の頭に飲みかけのペットボトルの水を垂らした。冷たい感触が首筋を伝う。陽葵は、それを見てわずかに口角を動かした。
「――だから、これからの彼の『管理』は、すべて私に一任してください。彼が二度と、皆さんに不快な思いをさせぬよう……私が責任を持って、徹底的に『指導』いたしますわ」
陽葵の声が、教室の温度を数度下げたように錯覚させる。松田たちは、その威圧感に気圧され、「え、あ、はい……聖女様がそう言うなら……」と引き下がった。
俺は黙って、床に散らばった汚れたノートを拾い集める。陽葵は俺を見下ろし、クラス全員に聞こえるような声で冷たく告げた。
「夜凪君。放課後、いつもの場所へ来なさい。……あなたのその汚れきった心を、私がお掃除してあげますから」
松田やその取り巻き、多くのクラスメイトはその様子をクスクスと見守っていた。
「かわいそう…」
そう教室の隅でつぶやいたのは同じクラスの辻岡 春香。バスケ部の女の子で、明るくて赤いメッシュのボブヘアーの元気っ子だ。
「まぁでもあの話が事実なら夜凪が悪いんじゃない?しらんけど」
春香に対してこう返したのは、こちらも同じクラスの相川 美月。春香と対照的で、おとなしい黒髪セミロングのお姉さん系な美月も同じくバスケ部の一員。身長が春香は149cm、美月は169cmと差が20センチあることからバスケ部内では凸凹コンビと言われている。
放課後。図書準備室。扉の鍵が閉まった瞬間、部屋の空気は「冷徹な処刑場」から「甘ったるい監獄」へと一変した。
「……湊くん! 湊くん湊くん湊くん!!」
陽葵は俺に飛びつき、俺の髪の毛を自分のハンカチで必死に拭い始めた。その手は細かく震えている。
「ごめんね、ごめんね……っ!あの松田っていうゴミ……。湊くんに水をかけるなんて、湊くんの体に触れるなんて、万死、万死、万死……!!今すぐあの男の人生を、物理的にデリートしてやりたい……!」
「……もう乾いてるから拭くな、痛い。でも俺が選んだ道だから。お前が聖女様で居続けるためには、これしかなかっただろ」
俺がそう言うと、陽葵は俺の胸に顔を押し当て、嗚咽を漏らした。
「嫌だよぉ……。君がみんなに汚い言葉を投げつけられてるのを見るの、私の心臓が千切れるより痛いんだよ。……でも、でもね、湊くん」
「いや、一応お前も凄い言葉投げかけてるからな」
そう言った俺に対して陽葵は顔を上げ、濡れた瞳で俺を見つめた。その瞳の奥には、ドロリとした濃密な悦びが渦巻いている。
「でもみんなが君を嫌えば嫌うほど、君には私しかいなくなる。……さっき、松田くんに水をかけられた時、君、私の方を見たでしょ? あの助けを求めるような、絶望した目……」
「(聞いちゃあいねぇ…)」
「別に助けは求めてないが」
ため息をつきながら言う俺に、陽葵は俺の頬を両手で包み、熱い吐息を吹きかけこう言った。
「いや、求めてた。最高だったよ。私、あの瞬間、教室で理性が吹き飛ぶかと思った。……湊くん、もっと、もっと私に依存して。世界中を敵に回して、私という名の鎖に縛られていて……」
陽葵の指が、俺の肌に刻印を刻むように深く食い込む。学園で最も忌み嫌われるクズと、それを裏で貪る聖女。俺たちは、松田たちの悪意を餌にして共依存の迷宮へと堕ちていった。




