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第7話:聖女様には、泥は被せない

◇◆◇◆◇


 昨日の黒板に刻まれた、あまりに鮮烈な独白の一節。あの一件以来、クラスの空気は劇的に変質していた。

「夜凪は、本当は隠れた天才なんじゃないか」という疑念がクラスを覆い、陽葵が築き上げてきた独占計画は崩壊の危機に瀕していたのだ。


 焦燥に駆られた陽葵は、ついに禁忌の手段に打って出た。俺を卑劣な無能として再定義するために、匿名掲示板へ偽造された証拠データをアップロードしたのだ。それは、俺がどこかの文学賞の落選作を盗用していたという、稚拙だが悪意に満ちた捏造データだった。


 ……しかし、陽葵は致命的な、あまりに初歩的なミスを犯した。焦りのあまり、匿名アカウントのプロフィール欄に自身の連絡用メールアドレスを記載したまま公開してしまったのだ。さらに、添付ファイルの名称は『偽データ』となったまま。生徒会は即座にその矛盾を突き止め、発信源が天ヶ瀬 陽葵の端末であることを特定した。


「……っ、どうしよう。生徒会から偽データのアップロードのことでメールが…。生徒会に私が湊くんを貶めようとしたことがバレたら、聖女の立場どころか、湊くんを近くに置く正当性が……!」


 放課後の図書準備室。顔を真っ青にして震える陽葵。準備室の外からは、例の件を調査する生徒会役員たちの足音が聞こえてくる。


 俺は無言で、陽葵の手からマウスを奪い取った。


「……湊くん?」

「お前はそのまま、聖女様でいろ。泥を被るのは俺だけでいい」


 俺は陽葵のアカウントに強制ログインし、プロフィールを俺自身の情報に上書きした。さらにサーバーのログを物理的に書き換え、あたかも俺が陽葵を陥れるために、彼女の端末をハッキングして自作自演の盗作騒ぎを起こしたという体裁へと、地獄の筋書きを完成させた。


 ――ガチャン!と扉が開く。


「……やっぱりここにいたのね、天ヶ瀬さん。この掲示板のこのアカウントはあなた?」


 生徒会長が冷徹な目で陽葵を射抜く。だが、突きつけられたPCの画面には、書き換えられたばかりの『夜凪 湊』のプロフィールが、傲慢なほどの不遜さで表示されていた。


「か、会長…それ……」

 生徒会長の取り巻きの一人が生徒会長に震えるように言った。生徒会長が驚きながら画面を見るとついさっきまで天ヶ瀬 陽葵のメールアドレスが記されていたアカウントだったものが、俺のものに変わっていた。そしてそこには本当に盗作をおこなったことが記されているデータがあった。


「え…。なにこれ…。あなたがやったの…?」


「……ああ、俺がやった。彼女の端末を盗んで、注目を集めるために自作自演をした。盗作をしたのも事実だ」


 俺は死んだ魚のような目のまま、淡々と答えた。横で陽葵が「違う、私が……!」と叫ぼうとするのを俺は冷たく制した。


『(喋るな。お前まで泥を被ったら、誰がこの最悪な俺をここで匿ってくれるんだ?)』


 微かな囁き。陽葵は唇を血が滲むほど噛み締め、絶望と歓喜の混ざった涙を浮かべて黙り込んだ。


「……最低。あなたが天才かもしれないと期待した私たちが馬鹿だったわ。期待を裏切り、天ヶ瀬さんを陥れようとするなんて……救いようのないクズね」


 生徒会役員たちの蔑みの視線。それは昨日までの期待を一瞬で塗りつぶし、さらに深い、生理的な嫌悪へと変わった。


「夜凪 湊。貴方の停学処分を検討します。天ヶ瀬さん、申し訳ありませんでした。こんな卑劣な男に構うのはもうおやめなさい。貴方の魂が汚れます」


 陽葵は、役員たちに守られるように部屋を連れ出される。去り際、彼女は振り返った。その瞳には、自分を救うために世界を敵に回した俺への、狂おしいほどの情熱と、支配欲の炎が再燃していた。


◇◆◇◆◇


 一時間後。静まり返った準備室に、陽葵が一人で戻ってきた。彼女は扉に鍵をかけるなり、俺の足元に崩れ落ち、嗚咽を漏らしながら俺の膝に顔を埋めた。


「……ごめんなさい、ごめんなさい湊くんっ! 私のせいで、私のミスのせいで、君を……最低のクズにしちゃった……っ!」


「……いいよ。これでまた、元通りだ。誰も俺に近づかないし、お前は俺を更生させるという名目で、堂々と俺のそばにいられるだろ?」


 俺がそう言うと陽葵は顔を上げ、涙でぐちゃぐちゃの顔で俺に縋り付いた。


「湊くんは…。どうしてそんなに優しいの…?自分の全てを捨ててまで、私を守るなんて……。ああ、もう、嫌だ……。大好き、大好き、愛してる……!」


 陽葵は俺の首筋に顔を埋め、吸い付くように深く、深く、自分の印を刻み込もうとする。


「世界中が湊くんを石で打っても、私だけは湊くんの味方だよ。……ううん、世界が君を嫌えば嫌うほど、君の居場所は私だけになるんだもんね……」


 陽葵の瞳の奥で、歪んだ光が再燃する。罪悪感と快楽。俺をどん底に落としてしまったという自責の念が、彼女の執着愛を、もはや後戻りできない領域へと加速させていた。


 学校のヘイトを一点に浴びる俺と、それを聖女の顔で庇いながら、裏で愛でる彼女。二人の関係は昨日よりもずっと深く、暗い場所へと沈んでいった。

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