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第6話:聖女様は、偽装工作に失敗する

◇◆◇◆◇


 大手出版社の編集者が校門まで来たというニュースは、瞬く間に学園中を駆け巡った。


「あの事故物件の夜凪に、なぜプロの編集者が?」

「もしかしてプロの作家なのか?」

「実は、とんでもない犯罪の証拠でも握られてるんじゃないか?」

「芥川賞作家らしいぞ」

 そんな根も葉もない噂が飛び交う中、天ヶ瀬 陽葵は焦っていた。


「(まずい……このままじゃ、湊くんの『凄さ』が無知なみんなにバレちゃう……!)」


 放課後のホームルーム。陽葵は立ち上がり、教壇に立つ教師に一切の隙もない聖女の微笑みかけた。


「先生、よろしいでしょうか。昨日の一件で、皆さんが大きな勘違いをされているようですので……。私が、夜凪君の実態をこの場でお見せしますわ」


 ざわつく教室。俺、夜凪 湊は嫌な予感しかしていなかった。陽葵は俺を教壇の前に呼び出すと、凍土のような冷徹な視線で俺を見据えた。


「夜凪君。皆さんは先日の一件から貴方に何かしら特別な才能があると勘違いしているわ。みんなの前で即興の執筆を披露してくださる?あなたの、その救いようのない無能さを証明するために」



 陽葵の作戦はこうだ。クラス全員の前で、俺に支離滅裂で価値のない文章を書かせ「なーんだ、やっぱりただの勘違いか」と思わせる。いわば、衆人環視の中での「公開処刑による無能偽装」。俺を社会的な底辺に繋ぎ止め、外の世界から守るための檻の補強だ。



 俺は渡されたチョークを手に、白々しい沈黙が支配する黒板に向き合った。陽葵が耳元で、俺にだけ聞こえる微かな吐息とともに囁く。


(『湊くん、適当に「あいうえお」とか書いて、不気味に笑いながら爪でもかじってて。そうすればみんな、君に興味を失うから。……終わったらたっぷり可愛がってあげる』)


「(……わかったよ)」


 俺は黒板に文字を書き始めた。だが、その時――。


 俺の脳裏に、昨日の陽葵とのロッカーでの出来事、彼女の切実な独占欲、そして今の俺を守ろうとして必死な姿が、鮮明な情景として浮かんできた。


 作家としての「性(さが)」が、勝手に指を動かす。書いたのは「あいうえお」ではない。それは、光り輝く少女が、一人の孤独な少年に壊されることを望む、狂おしいほどに美しい独白の一節。


《――影の中に潜む彼の瞳を、私だけが光と呼んだ。この光が君の孤独を暴いてしまうというのなら、いっそ君の手で、木っ端微塵に砕いてほしい。綺麗なままの私じゃ、君の震える指先に触れることさえ許されない気がするから。私はずっと退屈だった。誰にも触れられず、ただ神聖な器のように光を放ち続けるだけの毎日は、凍えるほどに虚しかった。完璧であることは、誰とも分かち合えないということでしょう》


 黒板に刻まれた、鋭く、それでいてガラス細工のように儚い文字。作家『ミナト』の本気が、チョークの白い粉と共に舞う。


「…………え?」


 最初に声を漏らしたのは、陽葵だった。彼女は俺の無能で無様な醜態を期待していた。なのに、目の前で書き上げられたのは、彼女自身が毎晩ベッドで悶えながら読み耽っている、あの愛してやまない『ミナト』の文体そのもの。


 教室内が、水を打ったように静まり返る。


「……何、これ。鳥肌が止まらないんだけど」

「夜凪のやつ、何なんだよこれの……」

「こんなの、本物の天才じゃなきゃ書けないだろ」


 女子生徒の数人が、涙ぐみながら黒板を見つめていた。湊の持つ「死んだ魚の目」が、今はミステリアスな、深い虚無と叙情を抱えた天才の瞳に見えていく。


「な…夜凪!お前、本当は……!」

 クラスの主犯格である松田が震える声で叫ぼうとしたその瞬間。陽葵が、般若のような表情で俺とクラスメイトの間に割って入った。


「ち、違いますわ!これは……これは、私が昨日教えた猿でも書けるテンプレを丸写ししただけですの!夜凪君はただの、文字を書く機械!そう、私の操り人形に過ぎませんわ!!」


 必死に俺を貶め、評価を地に落とそうとする陽葵。だが、その顔は真っ赤で、瞳には「湊くんの文章が良すぎて尊死しそう」という感動が溢れ出している。


「ですから皆さん、彼に近づかないで!彼は無能です!彼は私の靴を磨くための、ゴミなんですのよ!!」


 絶叫に近い陽葵の否定。だが、その叫びは無情にもクラスメートのざわめきによってかき消される。クラス中の生徒たちは、確信してしまった。


 夜凪 湊は、本物の天才だということに。


◇◆◇◆◇


 放課後。いつもの図書準備室。


「……湊くんのバカぁ!!なんであんなに素敵な文章書いちゃうのよ!偽装工作が台無しじゃない!!」


 陽葵は俺の胸をポカポカと叩きながら、泣きべそをかいていた。


「あんなの見せたら、クラスの女子たちが君を見る目が変わっちゃうでしょ! 私だけの湊くんだったのに!私だけの死んだ魚の目だったのにぃ!!」


「……悪かった、つい筆が乗ったんだ」


「もう知らない!こうなったら、明日から湊くんには『ぼくは天ヶ瀬 陽葵の家畜です』って背中に書いた特注のTシャツを着て登校してもらうわ!徹底的に社会的地位を抹殺して、誰にも愛されないようにしてあげるんだから!!」


 陽葵は俺の首に噛み付かんばかりの勢いで抱きついてくる。だが、俺は知っている。彼女が今、怒り以上に自分の愛する男の凄さが証明されたことに、最高に残酷なまでに悦んでいることを。


 俺の隠された才能が、聖女様の独占欲というガソリンを注がれ、爆発的な勢いで学校を飲み込もうとしていた。

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