第5話:聖女様と出版社、宣戦布告は校門前で
翌日の昼休み。学園の正門前が、にわかに騒がしくなっていた。
「……湊くん、あれ」
中庭から正門を見つめる陽葵の目が、一瞬でマイナス100度まで冷え切った。校門の外に、一台の高級セダンが止まっている。そこから降りてきたのは、いかにも「業界人」といった風貌のスーツ姿の男だ。
男は門衛に、一枚の名刺を差し出しながら必死に交渉している。その名刺には、国内最大手出版社のロゴが刻まれていた。
「あの名刺…『KAD〇KAWA』の文芸編集長ね…。私の『北極でアザラシと暮らしている』という返信を無視して、湊くんのIPアドレスからこの学園を特定したんだわ」
陽葵が握りしめていた金属製のフォークが、メキメキと音を立てて歪む。
「(視力と握力バケモンかよ…)」
「……湊くん、絶対にここを動かないで。いい?誰か来ても『僕は字が書けません』って顔をしてて」
「流石に無理があるだろ」
陽葵は俺の忠告を無視し、聖女の微笑み(※ただし目は笑っていない)を張り付けて、正門へと向かった。俺も気になって、遠巻きに様子を伺う。
「失礼ですが、何かご用でしょうか?部外者の方が校内に立ち入ることは生徒の安全上、許可されておりませんわ」
陽葵が降臨した瞬間、騒いでいた男子生徒たちが一斉に静まり返る。出版社の男も、その美貌とオーラに圧倒されたように一歩引いた。
「失礼しました。私は、こちらの生徒である『夜凪 湊』さんという生徒にどうしてもお会いしたくて……。彼は日本を変える天才なんです!」
その言葉に、周囲の生徒たちがざわめく。
「あの夜凪が天才?」
「何かの間違いだろ」という嘲笑が混じるが、出版社の男の目は本気だ。
だが、陽葵は冷たく言い放った。
「夜凪君が天才?ふふ、面白い冗談ですわね。彼は……そう、私の『下僕』として、毎日私の靴を磨くことしかできない無能な男ですわよ?」
「そ、そんなはずは……!あの文章、あの圧倒的な心理描写は、深い孤独を知る者にしか書けない……!」
「いいえ。彼はただの事故物件です。……さあ、お引き取りを。これ以上私たちの『静かな飼育箱』を荒らさないで」
陽葵の背後に、メラメラと滾る黒いオーラが見える気がした。出版社の男はその殺気に気圧され、「ま、また来ます!」と捨て台詞を残して車に逃げ込んだ。
「……湊くん、危なかったね」
放課後の準備室。陽葵は俺に抱きつき、ハアハアと激しい呼吸を繰り返していた。
「湊くんの良さは、私だけが知っていればいいの。……ねえ、湊くん。もし、これ以上あの男がしつこいなら……私がその出版社、買い取っちゃおうかな?」
「……無理があるだろ」
「無理じゃないよ。湊くんの版権を私が全部握れば、湊くんは一生、私の部屋だけで執筆活動ができるでしょ?完璧な監禁……じゃなかった、執筆環境をプレゼントしてあげる」
「(本音漏れてるぞ)」
陽葵は俺の指先を一つずつ、愛おしそうに舐めるように絡めてくる。
「君の才能は、世界を救う必要なんてない。……私一人の心を、めちゃくちゃにしてくれればそれでいいんだから」
聖女様の独占欲は、ついに「一企業の買収」を検討するレベルまで到達していた。俺は、自分の作品がこれ以上日の目を浴びないことを、人生で初めて切に願った。




