第3章 figureheadⅡ
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中空を自在に駆ける数多の武器。剣、槍、弓、斧、短剣……それらを操っているのは、キリハリリハであった。
彼女の周囲には海月のようにふわふわと武器が浮いている。しかし、攻撃の際には鮫のように鋭く、執念深く敵を追い詰める。
エルフたちの攻撃は当たらない。矢を射られても、キリハリリハは常時風を纏っているらしく、矢の方があらぬところへ飛んでいく。
「わし一人にこの体たらく、主らはまだ外へ出るべきではなかったのかもしれんなあ」
キリハリリハが剣を振る。近くにいたエルフのこめかみにぶち当たる。同時、彼女の右斜め上に浮いていた訓練用の槍も動いていた。
短剣が飛べば斧が振るわれる。矢が翔べば棍が後方を薙ぐ。キリハリリハが攻撃をするたび、彼女の周囲にある武器も、まるで意志を持っているかのように連動する。
キリハリリハに対するエルフは数十人。しかし彼女は数をものともしていない。むしろ押しているのはキリハリリハだ。
……八つ手。サンシチはそう言っていた。なるほど確かに、キリハリリハの連撃は凄まじい。
「先までの威勢はどうしたっ」
風と共に武器が飛ぶ。目を凝らせば、その武器はキリハリリハと確かに繋がっているのだ。彼女が手にしているのもそうでない武器も。まるで手が幾つもあるようにしか思えない。
「手が」
そうだ。
まるでじゃない。まさしく手が生えていた。
キリハリリハの生み出した風が糸のように細くなって、そいつが武器を掴んで(・・・)いる。風の魔法にはそういう使い方もあったのか。
「そうらっ! ほれほれどうしたかかってこんか!」
得物を構えるエルフだが、彼らの武器はキリハリリハが奪い取る。風の糸が剣や弓を奪い、彼女の新たな武器となる。
エルフたちももちろん必死に抵抗している。矢ではまともにダメージが通らないと分かり、剣をとる。キリハリリハの激しい攻撃の源は風だ。一度の動作で数人の敵を打ちのめす。武器は風に乗って速さを増す。エルフも風の魔法を放って相殺を狙っていたが、彼女はまるで意に介さない。
風を放つ。同じ種類の魔法かもしれないが、格と質が違うのだ。それはきっと、シャイアさんの言っていた言葉の力によるものだろう。
「どうなってんだよっ」
動けるエルフの数が減っていく。
キリハリリハが一歩前へ。八つの武器が唸りを上げる。狙われたエルフは飛来した剣を自分の剣で弾き返すも、上下左右から他の武器に襲われては成す術がない。何度か打ち据えられた後、風の魔法で地面に叩き落とされる。
別のエルフは戦意喪失していた。得物を取り落し、背中を向けたところで槍に突かれ、斧で強打される。ぐらりと倒れ掛かったところを剣の柄で打たれ、木の枝から落ちた。
また別のエルフは戦意旺盛だった。彼はもう二人と組み、三人でキリハリリハへ突っ込む。風の魔法は自分たちの魔法で相殺し、襲い掛かる八つの武器を己が剣で弾き、防ぎ、返す。同時に彼らの武器も奪われたが彼我の距離はもはやない。三人は体の小さなキリハリリハなら徒手空拳でどうにかなると判断したのだろう。
「もはや手加減など不要!」
「応。死ぬ気できぃや」
ぱん、という乾いた音が響いた。キリハリリハに飛びかかろうとしていたエルフが、踏み込んだ彼女に顔面を叩かれている。
俺の位置からですら訳が分からなかった。キリハリリハは、確かに消えていた。目の前のエルフはもっと訳が分からなかっただろう。
キリハリリハは短い手足を駆使し、残りの二人も容易く仕留める。彼女はふっと短くも鋭い呼気を吐き出し、構えた。そうしてキリハリリハは、エルフたちを強く見据えつける。ぞっとするような視線だ。同胞に向けるようなそれじゃない。これが彼女の本気なのか?
「怯んだか! わしに恐れをなしてどうするっ。主らの敵は人じゃろう! 戦い仕掛けて不味くなれば許してくれと言うつもりか! 阿呆がっ」
怒っているんだろう。ただ、キリハリリハは俺の為なんかじゃない。エルフという種族そのものに対して怒りをぶつけているように見える。
ここいらでいいだろう。止め時だ。俺はキリハリリハを止めようとしたが、彼女に射すくめられて身動き取れなくなる。
「死人が出るぞっ」
「そのつもりでやれと言うたはずじゃ」
あかん、目が据わってんな。
誰しもがヴェロッジのエルフの全滅を覚悟した時、とある建物の屋根から一人の老エルフが現れた。
「ほ、星詠みさま……」
「おおお、なんということだ」
星詠み? 占い師みたいな人だったっけか。
「静まれい皆よ! 我らで争っていてどうする! そこに利も理もなかろう!」
張りのある、よく通る声だった。
星詠みは俺たちが押し黙ったのを認めてから、持っていた杖で空を指し示す。
「悪い風が我らの頭をおかしくしたのじゃ。誰しもが義憤に駆られたわけではなかろう。自分が気持ちよくなりたいから争った。違うか。ならば今宵起こった争い、止めるのは今ぞ」
誰も言い返せなかった。この星詠みってのが偉い人ってのもあるだろうが、エルフたちもキリハリリハも苦い顔で彼を見上げている。
俺もそうだ。今にして思うと、俺が戦う必要なんかどこにもなかった。集会所にわざわざ出向いて喧嘩を売ったのはなぜだろうとすら思えてくる。
「しかし、罪があるなら罰があるのもこの世のさだめでは」
「このままでは終わらせませぬ!」
倒れていたものたちが起き上がってきた。何となく気づいちゃいたが、俺に視線が注がれる。なるほどな。生贄決めてそいつを殺そうってんだ。そいつが俺ってだけの話だ。
星詠みは俺のことをじっと眇めていたが、緩々とした動作で首を振る。
「致し方あるまい。異邦の冒険者、前途ある若者よ。この森に来たが運の蹲い。そう考えて命を差し出してはくれまいか」
「ふざけるな。主ら、どこまで勝手なことを言えば気が済むんじゃ!」
「お前とて自分のことは分かっているだろう。このまま戦い続ければ、先に屍を晒すのがどちらかということを」
キリハリリハが庇ってくれようとしているが、彼女には彼女の生活があり、人生がある。俺一人に拘ることはない。
「いいんだ、キリハリリハ」
俺は近くにあった木剣を拾い上げる。
「星詠みとか言ったか。好きにしてくれ。そうやらないと納得出来ないってんなら、そうするしかないってのは分かる。だけど俺も好きにするよ」
「サンシチ。異存はないな」
「……それで、ヴェロッジが守られるならば」
来るか。
が、町の出入り口の方から複数の足音が聞こえてきた。朗らかで、楽しそうな話し声もだ。
そちらに目を向けると、エルフではない亜人の集団が目に入った。
「……?」
亜人の集団もこちらの状況に気がついたらしく、立ち止まってひそひそ話を始める。誰だ。じっと目を凝らせば、ちょこんと生えた耳が見える。アレは、イア族か?
この場を取り繕うつもりだったか、サンシチがイア族に近づくも彼らは警戒心を露わにする。
「これはどういうことですか……」
「人間の冒険者が暴れておりましてな」
イア族だけではなく、他の亜人たちもいるようだ。
「人間が……」
「すぐに終わりますゆえ、皆さんは旅の垢を宿で落としてもらえれば」
ふと、俺とイア族の目が合う。
ヨークシャテリアみたいな顔をしたイア族が、あっという声を上げた。
「終わらせるとはどういうことかっ。エルフは、あの方を殺すつもりなのですか!」
サンシチはテリアめいたイア族の気勢に押され、何度も頷く。
「ならん、なりませんぞサンシチ殿! あなたはあの方を……我らの救世主を、英雄の命を奪うというのですか!」
は? と、俺とエルフは素っ頓狂な声を出した。
「え、英雄……? あ、あの若者が? そんな、馬鹿な」
「いいや、見間違えるはずはない。我らは、いや、カルディア周辺どころか、ホワイトルートの亜人はあの方に救われたようなものなのです。あの方のおかげで亜人狩りが減り、奴隷商人に売られるものも少なくなったのです」
「確かにそのような話は聞いておりましたが……」
キリハリリハがこっちを見てくる。訳が分からないので、俺は肩を竦めた。
けど、カルディアの近くで、ヨークシャテリアみたいなイア族……?
俺の中で一つ、合点がいった。そうか。アニスの時の。さゆねこが捕まっていた時の。
あの時、俺はアニスの屋敷にいた亜人を森に帰す手伝いをした。その時に出会った長っぽい人が、今、ヴェロッジに来ているのだ。一緒にいるのは、あの集落の人たちだろう。
それは分かった。分かったが、あの人が言うほどのことを俺はしていない。大陸の亜人が俺に救われた? そんなものは知らない。勝手に英雄だの何だのと祭り上げられているだけだ。いや、担がれているのかもしれなかった。
「ナガオや、主は何をしてきたんじゃ?」
「何もしてないんだって」
イア族の長はエルフたちに詰め寄る。彼の熱に当てられたか、他の亜人たちも同じようにして声を張り上げる。
彼らは言う。
英雄を殺すなと。
やめてくれ。
流石に我慢ならなくなって、何か一言言ってやろうと思ったが、星詠みが屋根の上から転がって地面に落ちたので、皆が黙ってそちらを見た。
死んだのかと思ったが、星詠みは生きているらしく、ゆっくりと立ち上がって、鼻から血が出ているのも気にならないのか、持っている杖で俺を差した。
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「ハシラサマ……!」
俺はハシラサマではない。
「いいや、確かに、その中におる。神がおられる!」
場が俄かにざわつく。
先まで俺を殺せと言っていた星詠みが、ふらふらとした足取りでこっちまで歩いて、ぺたぺたと俺の体を触るもんだから、キリハリリハはつまらなそうに俺を見上げていた。
「星詠みよ。主の気がとうとう触れたらしいの。いや何、わしはのう、前々から思っておったんじゃ。寿命の長いわしらとはいえ、長く生き過ぎるとよくはないんじゃろうなあとな」
「阿呆を言え。わしはいたって正常じゃ。どこもおかしいところはない。……おお、おお、わしは、なんということをしでかそうとしておったのか」
星詠みは俺から視線を外すと、皆の方に振り返った。
「この方を殺してはならん! この方こそ、この星詠みの探していたまっことの戦士、森に新たな風を吹かせるものぞ!」
「ば、馬鹿な」
「わしが冒険者の召喚を進言したのは、この方のような御仁を待っていたからじゃ」
サンシチがよろけていた。
「何故、何故今になってそのようなことを!」
「この星詠みの目が曇っていた。今の今まで見えんかったが、そのものを信奉する亜人らの熱気が曇りを晴らした。この方の中には神がいる、間違いなく!」
「何かの間違いだっ」
失神していたシャーラブーラが、頭を手で押さえながらで声を荒らげる。
「こいつは俺たちを無茶苦茶にしようと動いている! 現に見ろっ、仲間が何人も倒れているじゃないか!」
「黙らんか。貴様らが私怨で動いたことなど、この星詠みにはお見通しよ」
「こいつだって私怨で動いていたじゃないか!」
その通りだ。俺は俺の都合でシャーラブーラたちを襲撃した。
星詠みはどう反論するのかと思えば、普通に黙殺しやがった。このジジイ、ろくな方向に耄碌してるじゃねえか。
「待ってくれ! 俺は、ただの冒険者だ! 亜人の英雄だとか、新しい風がどうとか、そんなもんじゃない。シャーラブーラの言ったように勝手にやってるだけだ!」
「おお、なんと謙虚な」
「やはりナガオさまは我々を救う一筋の光明……!」
「聞けば、あのアニス・セラセラもナガオさまの器に己の矮小さを知り、亜人狩りを止めたとか」
……アニスか。
嫌な予感がしてきたぞ。アニスが亜人を攫うのを止めて、周囲にも止めさせたのは、俺に対しての何かしらのアピールかもしれない。あの姉妹は俺を手の内に入れたがり過ぎている。
だから、大陸の亜人に対する脅威が小さくなったのは俺のせいじゃない。アニスが勝手にやっていることだ。それが回り回って尾ひれがついて、俺がそういう風に仕向けたんだと思われてるんじゃないか?
「違うっ。俺はただ、仲間を助けたかっただけなんだ!」
俺が何を言っても、彼らは都合のいいように曲解してしまう。
「ナガオさまは亜人の救世主」
「亜人を助ける為にハシラサマから遣わされた」
「あのセラセラ家にも臆せず立ち向かった」
ヴェロッジにやって来た亜人たちだけでなく、エルフたちの俺を見る目も変わろうとしていた。敵意は既に感じられない。あるのは畏れだ。まるで、本当に神様でも見ているかのような……。
どうすれば誤解が解けるのか考えていると、声だけはでかい星詠みが調子を上げやがった。
「わしはナガオさまの中に神を見た! 神はここにいる! ナガオさまは神の使いであり、神そのものに近い存在じゃあ!」
「何を言ってんだあんた!」
星詠みは俺の話を無視して、周りの連中を熱心に説き伏せようとしている。
「そっ、そうだ! 王都を襲うのはいいけどよ、何もエルフが仕切らなくたってよかったじゃないか!」
「エルフが頭じゃあ俺たちは納得出来ねえ!」
うんうんと頷く星詠み。何か、途轍もなく嫌な予感がする。俺も必死で声を張り上げるが、誰も話を聞いてくれない。こちらを見ようともしない。
「このままでは森は切り開かれ続ける! 亜人は人の玩具であり続ける! 今こそ奮起し、我らの地位を人と対等なものにするんじゃあ! その為には……」
星詠みと、亜人たちが俺を見る。
「偉大なる指導者が必要になる」
ぞくりとした。
こいつら……いや、こいつ、この星詠みとか言うやつ! これが狙いだったのか?
「なって、いただけますかな? 我らの指導者に」
星詠みは笑みを深めた。
俺は嫌だと首を振ったが、拒否権はなさそうである。キリハリリハも助け舟を出そうとしたが、
「では、ここで二人まとめてあたら命を散らすというんじゃな」
星詠みはそう言った。
いつの間にか、俺とキリハリリハが一蓮托生ってな状況になっている。断れば俺だけじゃない、彼女も死ぬ。
指導者、だと?
亜人引き連れて王都攻め入る、飾りのリーダーじゃねえか。
「貴様っ、星詠み! 主は……分かっておったな、このままでは上手くいかないことを。エルフ以外の氏族から不満が出ることをっ。構うなナガオ、主はここから去れ。あとはわしがどうにかする」
どうにか出来るはずがない。
「……ごめん」
嫌だ。俺の近くの人が死ぬのは。俺のせいで、知ってるやつが死ぬのは。
「ほっほ。お若い冒険者。亜人の英雄。未来の王よ、返答は、如何に」
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ヴェロッジは湧いていた。新しい指導者、英雄とやらの出現に。
「ささ、どうぞ」
「お酒はいいよ」
夜は深まったというのに、宴はまだ続いている。
俺は集会所の上座に通され、色んな亜人との挨拶を何度もやらされていた。
傍には星詠みとサンシチが、それから、ぶすっとした顔のキリハリリハとシャーラブーラがいた。
集会所の外からは楽しそうな歌声と、リズム感も何もない、無茶苦茶な打楽器の音が腹の底まで響いてくる。外でも火を焚いているのだろう、風と共に影が揺らめいている。
饗された料理に手をつける気は起こらなかったが、こういう立場になった手前、仕方なく果物にかぶりついた。
「王都攻めは明日のつもりでしたが、取り止めてナガオさまの意見を窺うのもいいですな」
星詠みは気楽そうな顔で言った。こいつには一杯食わされた。
星詠みは以前から、ヴェロッジのエルフだけで他の亜人を率いるのは難しいと気づいていたに違いない。不平不満を矢面に受ける盾が必要だったのだ。
「少し、風に当たってくるよ」
「一口も酒をお飲みでないのに。ああ、いや、皆の酒気に当てられましたかな」
キリハリリハが付いて来ようとしたが、心配ないと言って集会所を一人きりで出た。とはいえ出入口は一つだけだ。俺が外に出てきたのを見て、ヴェロッジ中の人たちが騒ぎ出す。俺は逃げるようにして集会所の裏に行き、人気の少ない方へと歩く。でかい木の幹を見つけて、その根元に腰を落ち着かせるとやっと人心地が付いた。
「亜人の指導者って……」
俺は、ヴェロッジに集う亜人の長、みたいなものになった。仮ではあるが。仮ではあるが、王都攻めのリーダーとして期待されているのは分かる。あの場の雰囲気に流されたのは俺だ。とてもじゃないが、あんな大勢の人たちを阻むことは出来なかったのも確かだろう。立ち上った熱意は意志の奔流だ。俺一人だけで受けるには、少しばかりきついものがあった。
利用されたのは腹が立つが、種をまいたのは自分だ。あの時、カルディアであのイア族を助けなければこんなことにはならなかったのだろうか。……考えるだけ無駄か。俺はたぶん、何度やり直してもイア族を助けることになっただろうし、そうでなかったとして、ここでエルフに殺されていただけだろう。
前向きに考えよう。
仮とは言え、ここでは俺が一等偉いんだ。俺抜きで好き勝手することは少なくなるだろう。だったらだ。俺が積極的に王都攻めをせず、なあなあでやればいい。そうしている間に王都の知り合い――――ドリスやラベージャが該当するだろうか――――に戦いをどうにか収めるように頼めばいい。そうだ。休戦でもすりゃあいい。人と亜人には隔たりがあるが、時間を稼ぐのはそこまで難しくないはずだ。落ち着いてきたところで、俺は兄貴たちを追う旅に戻れば済む。
「ナガオさま」
ぼうっとした頭で色んな事を考えていると、横合いから声をかけられた。誰だと思って身構えるも、テリア顔のイア族……件の長だったので警戒を解く。
「こうしてまたあなたと見えられるとは、長生きもしてみるものです」
「ああ、ええと、あなたは」
「申し遅れましたな。私はロシャといいます」
ロシャと名乗ったイア族の老人は俺の傍に立った。
「此度のこと、まことに申し訳なく思っています」
「え?」
「年甲斐もなく、つい、声を荒らげて……私がああ言ったせいで、ナガオさまに負担をかけてしまいました」
「いや、たぶんそんなことはないと思います。誰が何を言ったって、あの星詠みは俺に責任をなすりつけるつもりでしたよ」
「かもしれませんが、私たちは心底から、ナガオさまになら導かれてもいいと思っています。あなたは確かに私たちを救ったのですから」
救った、か。
「ヴェロッジの大長がどうお思いかは知りませんが、この町に集まった亜人の氏族は、ほとんどがナガオさまのことを知っておりますよ。あなたになら命を預けてもいい、あなたの為なら死んでもいい、そう思っているものもいるでしょうな」
「命を? どうしてそこまで」
「今まで誰かに命を助けられたことがなかったから、でしょうなあ」
ロシャは顎鬚を扱くと、ゆっくりと俺の方を見た。
「私たちの多くはきっと、ナガオさまに協力するでしょう。……一つだけ、つまらないことをお話してもよろしいでしょうか」
俺は小さく頷き、話を促す。
「頭が誰になろうが、戦の相手が誰であろうが、私たち亜人と呼ばれるものが望むのは一つです。それは、平穏な暮らしなのですよ。何もよそ様を押し退けて、王城で暮らしたいわけではないのです。放っておいてくれればそれでもいい。それだけなんです。私たちは」
それは、随分と寂しい願い事のように聞こえた。
ここは、そんなことですら叶わないし、望んでしまうような世界だったのか。
「……俺はあなたたちの英雄でも救世主でもないんです。ただの冒険者だから。でも、俺は俺の出来る範囲のことを何とかやってみようと思います」
成り行きだけどここに呼ばれた。嘘かもしれないけど、この人たちに望まれた。俺だって人と亜人の関係に思うところはあるし、糸を引いてるやつがいるんだとしたら、そいつの思う通りに動きたくないって気持ちもある。
そのままの気持ちをロシャに伝えると、彼は小さく笑った。
「ああ、失礼しました。ですがナガオさま。私たちはきっと、それを望んでいるんですよ」
「……?」
「あなたがあなたのままであること。そのままのあなたの行いが、私たちの唯一の救いになるのかもしれない。私はそう考えています」
ロシャの言ったことはいまいちよく分からなかった。ただ、少しだけ気持ちが落ち着いたのは確かである。
こうしてヴェロッジの夜は更けていく。ああ、明日も朝から大変になるんだぞと、熱っぽい頭がそんなことを訴えていた。




