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第2章 姫に心をⅤ

<1>



 ふー、手強い相手だった。

 俺はアリーナから控え室に戻る。スィランがこっちに駆け寄ってくるが、兵士が俺のことを呼んだ。


「悪い、ちょっと行ってくる」

「んだよ。じゃあスィランは先に戻ってるからな」


 つまらなそうにしてスィランが手枷をされる。俺は兵士のところに行った。


「なんですか」

「客だよ。こっちについてきな」


 客って、もしかして。



<2>



 俺はまた面会所めいた、鉄格子で区切られた場所に連れてこられた。今度はもう驚かない。既に客……フェネルが待っていた。またこいつかよ。気が重くなる。今度は何を言い出すんだろうな。


「いい試合でしたよ、ヤサカ・ナガオ」

「また見てたのか」

「ええ、こっそりと。逃げていないようで安心しました」


 いつも見張ってるってことか。


「何度も言うけど、俺はあんたに買われるつもりはないからな。アレだ。強いやつが欲しいんならスィランってやつをおすすめしとく」

「今日は、あなたには一部リーグとやらに上がってもらうよう伝えに来ました」

「一部……? 俺が?」


 まだ三回くらいしか戦ってないんだけど。


「闘技場のものから話を聞いています。人気があるようですね」

「そうなのか?」

「ええ。お前の戦い方は堅実で、ともすれば地味ですが、最近は華が出てきました」


 ……褒められているんだよな? しかし、そうだとしても嬉しくはない。


「よく分からないけど、用ってそんだけ?」

「私に買われなさい。お前が闘技場から抜け出すにはそれしかありません。私以外にお前を買おうとするものがいたら処断するように言ってありますから」

「……なんだよ、それ」

「私に買われない限り、お前はそこから出られないと言っているのです。あるいは、お前が死ぬまで」

「そんな顔して言うことかよ」


 フェネルは全く表情を変えない。ラベージャやスィランが表情豊かに思えるくらいだ。こいつはずっと俺を見下し続けている。

 つーかこの状況、ハマりかよ。


「どうしますか」


 クソっ。……いや、待てよ。問題なのは二つ。まずログイン、ログアウトする位置だ。そこが安全ならどうとでもなるし、逃げられる。

 もう一つはフェネルだ。こいつは俺を買おうとしている。一度でも俺がこいつのものになれば満足するかもしれない。従う振りをして安全なところでログアウトして逃げ出せばいい。まずは闘技場から出ることを考えればいいんだ。

 …………いや。いやいや、待て待て。

 俺がフェネルから逃げ出すこと自体がまずい。こいつが本当に実行するかどうかは分からないけど、奴隷を皆殺しにするとか言ってやがるんだ。本当かどうか分かってからでは遅い。ゲームの中の世界、俺の住んでいるのとは違う世界とはいえ、こっちの世界の人たちだって生きているんだ。俺はそんなにたくさんの命を背負えない。そんな自信はない。たぶん、罪悪感でとんでもないことになるだろう。


 ――――何かを殺せば、その何かの想いのようなものがお前に憑りつくぞ。


 カプリーノの言葉を思い出す。俺のせいで誰かが殺されるんなら、俺が殺したも同然だ。

 闘技場に来たのは俺の意志だ。俺の妙な意地でこうなっちまった。だったら、フェネルをきっちり納得させないとダメだ。

 そして。俺は何かを見落としている。


「なあ、俺を買った後で、俺をどうするつもりだ」


 俺は息を呑む。

 フェネルは冒険者プレイヤーのことを知っているはずだ。死んでも死なないことを、好きな場所でログアウトできるってことも。そんなやつが俺を買ってどうするってんだ。檻の中で大人しくしない獣なんて飼えやしないんだ。

 ふと、フェネルを見る。彼女は口元を緩めて笑っていた。ゾッとした。


「……また来ます。試合は明日の正午です。いいですね」


 俺はフェネルが視界からいなくなるまで、やつから目を離せなかった。

 ダメだ。たぶん、あいつはダメだ。フェネル・セラセラは知っている。恐らく、ドリスやアニスよりもプレイヤーについて知っている。

 俺たち地球の人間がストトストンを覗いているように、あいつもまた俺たちのことをじっと見ている。ただのモノとして見下ろしている。捕まったら何をされるか分からねえ。



<3>



 翌日。土曜日。時刻は九時を回ったところか。

 今日が休みでよかった。試合が昼からなら、平日だったら参加できないところだった。ちょうど家族も出かけている。今の内からログインしておこう。

 ログインに成功し、小部屋に戻る。スィランが面倒くさそうにこっちを見てきた。


「よう、ヤサカ。今度は一部リーグに上がるなんてな」


 昨日は早めにログアウトしたからスィランとはほとんど話していなかったな。


「そうなっちまった」

「さっき兵士が用件を伝えに来たぜ。あんたがいないと分かると怒ってたが、スィランに伝言を残していった。兵どもももう慣れたんだろうな。あんたがいなくなることに」

「そんで、どうせここに戻ってくるしな」


 俺もその場に座り込む。


「伝言ってなんだ?」

「今日の試合についてだ。すげえな、よかったじゃねえか。あんたの相手はチャンプらしい」

「……チャンプ? いきなりか? つーか、俺たちの相手は冒険者だけじゃないのかよ」

「チャンプ直々のご指名だってよ。急に人気が出てきたやつだから気になったのかもな。それに、一部リーグには戦奴だっている。試合の相手はごちゃ混ぜだって聞いてるぜ」


 チャンプって、あのでかいオウガか。

 マジかよ。勝てるとか、そういう話じゃあないけどやりづらいことに変わりはない。デスペナのあるプレイヤーとは違うから、一歩間違えば……ってことがある。


「もしくは、気に入らないから叩きのめしにきたってやつかもな」

「あんたをか? なんでだ?」


 スィランが訪ねてくるので、俺はイシトラのことを話した。すると、彼女は得心したように頷く。


「かもしれねえな。あのチャンプは闘技場の英雄だ。皆に人気がある。観客にも、奴隷にもな。特別扱いされんのは一人でいい。そういうやつだからこそチャンプでいられるんだろうよ」

「にしても、一部に上がっていきなりチャンプが相手かよ」


 イシトラとの約束を果たせるかどうか、早い段階で分かっちまいそうだ。


「自信がねえのか?」

「あんまり」


 俺はプレイヤーだし、ある意味では仕様の外にいる。だけど、あのチャンプはかなり強いだろう。ストトストンの世界の人たちにもラベージャやスィランのようにえげつないやつだっている。


「俺は、スィランにだって勝てそうにないしな」

「そりゃいいな。だったらあんたがチャンプになってくれ。それで試合の相手にスィランを指名してくれよ。今のチャンプよりか楽に勝てそうだ」

「……なんか、ちょっとは励ますとか慰めてくれよ」

「くだらねえ女みたいなことを言うんじゃねえよ。けど、なあ、あんたもじきにここから消えるんだな」

「なんでだ?」

「一部に上がるんだろ。ここは二部リーグか、それ未満の奴隷の場所だからな」


 ああ、そうなるのか。俺はもしかすると、イシトラたちがいる場所に移ることになるんだな。


「案外、ここの居心地にも慣れてきたんだけどな」

「スィランと別れるのが寂しいかよ、坊ちゃん」

「退屈はしなかったからな」


 スィランは珍しく普通に微笑んだ。そういう顔をしていると、普通に可愛く見えるんだけどな。いつもの言動が酷過ぎる。


「スィランもあんたがいなくなるのは残念だ。ツキがあるやつの近くにいると、こっちにまでツキが回ってくるからな」

「俺がツイてる……?」


 冗談だろ。運のいいやつはこんなところにいねえよ。


「あんたはここにいるべくしているんだと思うぜ。物事には大抵意味がある。あんたはここでの暮らしをくだらねえと思っているかもしれねえけどな」


 意味か。

 あるといいな、そういうのが。ただ、その意味に気づく前にどうにかなっても世話がない。今日の試合、相手はチャンプだが、せめて死なないように立ち回らねえと。



<4>



 収容所の奴隷たちは小部屋で飯を食う以外に、広場のような場所で食事をふるまわれる時もある。教会の人たちが炊き出しに来るんだそうだ。ボランティアみたいなもんだろう。たまにはいいもん食ってくれよなって。今日がその日だった。

 俺とスィランは柔らかいパンと肉(鶏肉に似ているけどなんだろうなこれ)の入ったスープをもらい、適当な場所に座って食事を始めた。周囲には見張りの兵士がたくさんいるが、狭い小部屋よりはマシだった。


「たまには外で食うのもいいもんだな」

「柱の恵みだな。お代わりもあるんだってよ。早く食おうぜ」

「なあスィラン、そんな焦らなくてもいいじゃねえか」


 スィランの女子とは思えない食べっぷりを見ていると、向こうからガタイのいいやつが歩いてくるのが見えた。……イシトラ? 間違いない。あの髭はイシトラだ。

 イシトラは俺を見つけると、こっちにゆっくりと歩いてくる。


「よう坊主ども、美味そうに食ってんじゃねえか」

「やらねえぞ」


 スィランがイシトラをねめつけた。


「いらねえよ。おれぁハシラ教でもねえし、柱の加護をあまり信じちゃあいないからな」


 そう言って、イシトラは俺の横に腰を下ろす。スィランはイシトラをじっと見ていたが、飯の方が重要だと判断したのか、無視して食べるのを再開した。


「坊主。今日が試合らしいな」

「相手、チャンプらしいっす」

「わりぃな。おれがあいつを焚きつけたってのもある」


 マジかよ。


「チャンプには充分気をつけろよ」

「やっぱり、そんなに強いんですか」

「何をしてくるか分からねえ。アリーナの上でも、外でもな。最近のチャンプの対戦相手だが、十全に力を発揮できずにやられちまうのが多い。メシに薬を盛られたりとかな」


 俺は手に持っているパンとスープを見つめてしまう。まさか、そんなことはないよな。


「チャンプを勝たせようとする連中は多い。奴隷も客も、兵士も。闘技場の連中はみんなチャンプが好きときてる。チャンプが何もしなくても、誰かが坊主の邪魔をするかもしれねえ」

「妨害してまで勝ちたいところが見たいんですかね」

「それが闘技場のチャンプなのさ」


 ともかく、出来る範囲で気をつけておこう。

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