第2章 姫に心をⅣ
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翌日の金曜日。俺は学校から帰ると、いつものようにナナクロへログインした。あの猛獣のような女のいる小部屋に戻ったと同時、俺はガードを上げて周囲を警戒した。
スィランは、いつもよりもつまらなそうな目つきをこっちに向けてくる。
「もう一度殴ったら治るか?」
人を病気みたいに言いやがって。壊れかけの機械じゃねえんだ、俺は。
俺はスィランを無視して窓の傍に立つ。しばらくそうしていると、扉の外から兵士が声をかけてきた。もう試合かよ。
「おい、お前らは《ハシラ教》の信者か?」
ハシラ教? ああ、そういやこの世界にはそういう宗教があるんだったな。俺は信者じゃない。が、スィランは弾かれるようにして跳び上がった。
「スィランはハシラサマが好きだ」
「おっ、そうか。ロムレムの教会から司祭様たちが来てる。お前ら奴隷にも祈る時間くらいは必要だろうからな」
「そいつはいい。聖句でも聞かせてくれよ」
スィランが少しはしゃいでいる。俺にはそういうのがよく分からないな。……ん? 聖句? さっきそう言ったよな。ちょっと待てよ……。
少し経つと、兵士の隣に年配の男が現れる。服装から見るにこの人が司祭なんだろう。彼は俺とスィランを痛ましげに見た後、祈りの言葉を唱え始める。皮肉屋のスィランも今だけは大人しく目を瞑って祈っていた。俺も彼女に倣い、いつかの時のように柱へ祈った。
お祈りの時間が終わった後、司祭は立ち去ろうとした。
「あのっ、少しだけ待ってもらえませんか!」
「あー? てめー奴隷のくせに何を」
「……どのような出自であろうとハシラ教の信者に変わりはありません」
司祭は兵士を押し留めて、俺の話に耳を傾けようとしていた。ありがたい。
「俺は今こうしていますが、冒険者です。キャラウェイの司祭、ソフィア様にもお世話になったことがあります」
「ほう、そうでしたか。冒険者はハシラサマを敬わない方が多い。立派なことです」
「どうか、ハシラサマの遺物に触れさせてもらえませんか」
司祭の眉がぴくりと動いた。
「俺はキャラウェイで初めて遺物に触れました。体中に衝撃が走ったのです。神を……そう、神を感じました。俺は奴隷として闘技場で戦っています。明日も知れぬ身となった今、最後にもう一度だけでもと……」
「ハシラサマはあなたの心にもいらっしゃいます」
「俺はまだストトストンに来たばかりです。信心深いとは言えないかもしれません。ですから、少しでも何かに縋りたいのです。未だ物質に頼らざるを得ない未熟なこの、ええと、どうか、迷える子羊……? みたいなものを助けると思って! お願いです司祭様!」
「……ううむ、そうまでおっしゃられるのなら」
司祭はでかい袖から何かを取り出す。それは、キャラウェイで見たものとは違うが、間違いなく柱の欠片だった。
俺は鉄格子越しにその遺物に触れさせて、握らせてもらう。そして頭の中で『格闘家』になりたいと強く思い浮かべた。
「もう、よろしいですか」
「ありがとうございます! これでいつ死んでも悔いはありません」
「……ううむ、どうか、どうかあなた方にハシラサマのご加護があらんことを」
俺とスィランは、去っていく司祭に頭を下げた。
『職業を剣士から格闘家に変更しますか?』
俺はメニューを操作して『はい』を押した。やったぜ。やっぱりな。ジョブチェンジ成功だ。
司祭か神父の聖句。柱の欠片。
この二つが揃えば俺たち冒険者はジョブチェンジできる。いけるかどうか微妙だったけど、どうにかなったな。
これで武器が増える。格闘家になったことで剣の適正は下がるだろうが、ドーンナックルは使いやすくなるはずだ。それに、イシトラから借りてる剣はかなりのものだ。多少のマイナス補正があったって全然戦える。後でもう一度ステータスを確認しておこう。
「おい」
「ん? なんだよ」
スィランは俺の顔をじっと見つめている。
「あんたがハシラ教だとは思わなかったぜ」
「いや、別にそういうわけじゃない。頭から柱を信じてないわけでもないけどな」
「その割にははしゃでいたじゃねえか」
まあな。俺は上手くいったことが嬉しくて笑顔で答えた。何が気に入らなかったのか、スィランは俺の肩をぶった。
<5>
闘技場での、三回目の個人戦が始まる。
俺は控え室の長椅子に座り、精神を集中させようとしていた。
「気分はどうだよ、あ? 色男さんよ」
けどスィランがうるせえ。隣に座ってべらべらと話を続けている。
「人をぶっ叩くのもぶっちぎるのも慣れてきたかよ。なあ」
「……なんでそんな絡んでくるんだよ」
「そんなもんスィランが知るかよ」
何言ってんだこの女は。
俺はスィランを無視して、控え室に用意されている装備を見る。武器に興味はなかったが、イシトラから借りたグラディウスは少しばかりリーチが短い。今回は片手でも持てる盾を持っていくのがいいかもしれない。
……俺もそうだが、ここには安物とはいえ武器がある。奴隷たちはこの武器を使って兵士を襲い、闘技場から逃げようとは思わないのだろうか。
脱走に失敗すれば殺されるかもしれない。それに、自らの意志で、望んで闘技大会に参加している人だっている。スィランだってその口だろう。……俺はどうだ。何だか気分が、価値観ってものがおかしくなっている気がする。
「スィラン」
「なんだ?」
「慣れてきたのかもしれない」
スィランは鼻で笑った。
俺は俺だ。だけど、この世界の空気を吸えば吸うほど、自分の中身が変わっていくような気がしてならない。
なあ、兄貴。頭の悪い俺ですらそう思うんだ。あんたがこの世界に来たんなら、何を思うんだろうな。
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今日はスィランが先にアリーナへ向かった。俺は少しばかりの不安感を抱えながら、彼女の試合が終わるのを待つ。
歓声はすぐには止まなかった。スィランはこの闘技場で人気を勝ち取っているらしい。気持ちは分かる。あの声は聞いてると気分が良くなり過ぎる。あれはダメだ。あれは、毒だ。浴び続けるとおかしくなっちまう。
試合の終わったスィランは上機嫌だった。俺は彼女の言うことに返事して、アリーナへ向かう。
昨日と同じ。一昨日と同じことを繰り返す。
歓声を浴びながら、地下の控え室から地上のアリーナへと出る。自然と血が燃え上がるような感覚。
反対側からは今日の対戦相手のプレイヤーが出てくる。背の高い女だ。しかしここでは性別など何の意味も持たないのだろう。見た目なんか判断材料を鈍らせるものに過ぎない。互いが歩いて近づき、ある程度の距離で立ち止まる。
「『空也』だ。よろしく頼む」
ラッパの音が降り注ぐ。俺は相手の挨拶を無視して、グラディウスを呼び出した。盾を前に出して自身を隠す。これで相手は剣の出所が分からなくなるだろう。
前へと踏み込む。瞬間、金属音が耳朶を打った。左腕が盾ごと弾かれる。パリィされた! 先まで空手だった空也は、クロスボウのような得物を手にしていた。
「なんだそりゃあっ!」
矢が連射される。弾かれた腕では防御できない。グラディウスの腹で凌ごうとするが、刀身が短くて全ては防げなかった。矢が何本かヒットした途端、メニューが表示されて俺にバッドステータスが付与されたことを知らせる。
野郎、この野郎、矢になんか塗ってやがったな。反撃してやる。こっちの得物はグラディウスだ。もっと近づかきゃ当たらねえ。
観客が何事かを叫んでいる。皆、同じ言葉を叫んでいる。
「殺せ」
確かに、彼らはそう言っていた。
<7>
たとえ戦奴といえど、一部リーグに上がったものには一定の自由が与えられる。彼らは闘技場のアリーナで血を流すことが仕事だが、一方で、他のものたちの試合を観戦する権利も与えられている。
観客席の一階にあたる部分が一部リーグの戦奴たちの席だ。もちろん見張りはつくが、それ以外にこれといった制限はない。
今日、ドワーフのイシトラは『坊主』の試合を見に来ていた。試合が始まる前、そこでようやく彼の名前が『ヤサカ・ナガオ』であることを知った。
イシトラが酒をちびちびやりながら試合を観戦していると、周囲からどよめきが起こった。チャンプが観客席にやってきたのだ。彼は衆目からの視線を集めながら、イシトラの隣にどっかりと腰を下ろす。
「珍しいなぁ、イシトラ。あんたが試合を見に来るなんてよ」
言って、チャンプは瓶に入った酒を呷った。安酒だった。
「あの黒いのか。あんたが武器を作ってやるって相手はよ」
「……まあな」
「あいつのどこに惹かれた?」
チャンプがイシトラを見据える。
「あの坊主は、お前が失くしたものを持ってるかもしれねえ。おれも老い先長くねえんでな、賭けるのも面白そうだと踏んだ」
「俺が? 俺がなくしただと? 馬鹿な。俺は持ってる。金も、名誉もな。ロムレムの市民よりもだ」
「やめろ、エンダイブ。てめえでてめえを落とすんじゃねえ」
「俺をその名前で呼ぶんじゃねえ。俺はチャンプだ。もう、昔の生活は全部捨てたんだよ」
イシトラはアリーナに目を向けた。ナガオは苦戦しているようだが、思っていたよりも上手く貸した武器を使っているようだった。
「チャンプ。おれがお前さんに武器を作ったのはな、おれが諦めたもんをお前さんが諦めてなかったからだ。おれが目を背けたものを、お前さんが見続けていたからだ。だが、今は違う。お前さんは歯牙を失った。分かるか、チャンプ。つまらねえ連中に媚びを売って飼われてんだ。闘技場で生かされてる魔物と何も変わりゃしねえのさ」
「そこまで言うかよイシトラァ……」
「……体が鈍ってるな、チャンプ。酒の飲み過ぎだ」
イシトラは席から立ち上がる。
「チャンプ。お前さんの過去はおれだって知ってる。だがよ、死んだ嫁っ子も娘っ子も――――」
「言うなっ! 言うんじゃねえ」
「すまん。悪い酒が回っちまったみたいだ」
言って、イシトラは観客席を後にした。残されたチャンプは酒瓶を地面に投げ捨てて叩き割る。試合は、ナガオが勝利を収めていた。




